1804年世界 19世紀
トレビシック式蒸気機関車、ペニダレンで世界初の鉄道走行
日付と暦
- 原典表記
- 1804年2月21日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1804-02-21(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 2月21日のページ
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概要
1804年2月21日、英国ウェールズのペニダレン製鉄所で、リチャード・トレビシックが設計した蒸気機関車が、鉄10トン・貨車5両・70人を牽引して、製鉄所からアバーシノンまでの軌道上を走破した[SRC-01505][SRC-01506][SRC-01508]。ウェールズ国立博物館(Amgueddfa Cymru)は「世界初の鉄道走行」(the world's first ever railway journey)と、米国機械学会(ASME)は「レール上を走行して成功した世界初の蒸気機関」(the world's first steam engine to run successfully on rails)と、それぞれ異なる限定句でこの走行を評している[SRC-01505][SRC-01508]。この試験走行の背景には、ウェールズ国立博物館が「言い伝えによれば」(Tradition has it that)と留保して記す逸話があり、製鉄所主サミュエル・ホンフレイと隣接製鉄所主リチャード・クロウシェイが、機関車が鉄10トンをアバーシノンまで運び空の貨車を持ち帰れるかどうかについて、リチャード・ヒルを相手にそれぞれ500ギニーを賭けたとされる[SRC-01505]。走行そのものは成功したが、機関車の重量に軌道の鋳鉄製レールが耐えられず損傷したため、後に鍛造ハンマー駆動用の定置式機関として転用された[SRC-01505][SRC-01508]。
本文
Grace's Guideの年表によれば、1802年、ペニダレン製鉄所で鍛造ハンマーを駆動するための高圧蒸気機関がトレビシックによって製作された。製鉄所の従業員レース・ジョーンズの協力を得て、トレビシックはこの機関を車輪に載せ、軌道機関車へと改造したという[SRC-01507]。1803年5月2日、トレビシックは自身が持つ機関車特許の10分の1を、製鉄所主サミュエル・ホンフレイに売却している[SRC-01507]。
ウェールズ国立博物館の解説によれば、1803年、ホンフレイはコーンウォール出身のトレビシックが開発し道路機関に搭載していた高圧蒸気機関に関心を持ち、トレビシックをペニダレン製鉄所に招いた[SRC-01505]。同館は「言い伝えによれば」(Tradition has it that)と留保したうえで、近隣シファルサ製鉄所の経営者リチャード・クロウシェイが新型機関車に懐疑的であり、クロウシェイとホンフレイがプリマス製鉄所のリチャード・ヒルを相手取ってそれぞれ500ギニーを賭けたと記している[SRC-01505]。賭けの内容は、この機関車が鉄10トンをペニダレンからアバーシノンまで運び、かつ空になった貨車を持ち帰ることができるかどうかというものだったとされる[SRC-01505]。
1804年2月21日、この試験走行が行われた[SRC-01505][SRC-01506][SRC-01508]。トレビシック自身が残した記述によれば、機関車は鉄10トンを5両の貨車に積み、70人を乗せて出発し、走行中は時速ほぼ5マイルに達し、出発から到着まで給水は一度も行わず、消費した石炭は2ハンドレッドウェイトだったという[SRC-01505]。ペニダレンからアバーシノンまでの行程はおよそ9マイルで[SRC-01505][SRC-01506][SRC-01508]、米国機械学会の記述では所要時間は4時間5分だったとされる[SRC-01508]。
しかし帰路で機関車のボルトが破断してボイラーが漏水したため、火を落とさざるを得ず、機関車がペニダレンに戻ったのは翌日になった[SRC-01505]。このためクロウシェイは、賭けの条件どおりに走行が完了していないと主張する根拠を得たが、この賭けの決着がついたかどうかはわかっていないとウェールズ国立博物館は記している[SRC-01505]。
往路の走行自体は成功したものの、機関車は軌道に対して重すぎたとされる[SRC-01505]。米国機械学会の解説では、当時の鋳鉄製レールはトレビシックの機関車の重量を支えるだけの強度を備えておらず、破損を繰り返したため、蒸気機関車が商業的に実用化されるまでにはなお数年を要したとされる[SRC-01508]。この結果、機関車は据え置かれ、ペニダレン製鉄所の鍛造ハンマー駆動用の定置式機関に転用された[SRC-01505]。
歴史的背景
トレビシックは1801年12月24日、コーンウォール・キャンボーンの道路上で最初の高圧蒸気機関車「パフィング・デヴィル」を走らせ、7人の友人を乗せて短距離を走行させたが、長時間の蒸気圧維持はできなかった[SRC-01508]。ペニダレンの機関車は、このパフィング・デヴィルに続く、トレビシックによる軌道走行機関車の実用化の試みだった[SRC-01508]。
なお、Grace's Guideの記述によれば、1802年にはシュロップシャーのコールブルックデール社もトレビシックの助言を得て別の軌道機関車を製作しており、この機関車が完成したこと自体は確実とされる。ただし、実際に走行したかどうかを示す記録は、現存する図面と書簡以外に確認されておらず、同記述ではこの点は明らかにされていない[SRC-01507]。
ペニダレンでの成功が伝わると、1805年、ニューカッスル近郊ワイラム炭鉱の経営者クリストファー・ブラケットがトレビシックに機関車の設計を依頼し、トレビシックの代理人ジョン・ウィンフィールドがゲーツヘッドで2両目の機関車を製作した[SRC-01507]。1808年には、トレビシックはロンドンのユーストン・スクエアに環状の軌道を敷き、「キャッチ・ミー・フー・キャン」と名付けた機関車を1シリングの乗車料金で公開実演した[SRC-01507][SRC-01508]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1801年12月24日(グレゴリオ暦) | トレビシックがコーンウォール・キャンボーンの道路上で最初の蒸気機関車「パフィング・デヴィル」を走らせる | [SRC-01508] |
| 1802年(グレゴリオ暦) | ペニダレン製鉄所でハンマー駆動用の高圧蒸気機関が製作され、レース・ジョーンズの協力で車輪付き機関車に改造される | [SRC-01507] |
| 1803年5月2日(グレゴリオ暦) | トレビシックが機関車特許の10分の1をホンフレイに売却 | [SRC-01507] |
| 1804年2月21日(グレゴリオ暦) | ペニダレン機関車がアバーシノンまでの試験走行に成功(本記事の配置日) | [SRC-01505][SRC-01506][SRC-01508] |
| 1805年(グレゴリオ暦) | ワイラム炭鉱のブラケットの依頼で、トレビシックの2両目の機関車が製作される | [SRC-01507] |
| 1808年(グレゴリオ暦) | トレビシックがロンドンで「キャッチ・ミー・フー・キャン」を公開実演 | [SRC-01507][SRC-01508] |
| 2004年2月21日(グレゴリオ暦) | 試験走行200周年を記念する行事がメルシル・ティドビルで開催される | [SRC-01506] |
異説・論争定説のない論点があります
本サイトが確認した出典の範囲では、1804年2月21日の走行そのものが成功したことに異論はない。一方で、(1)「世界初」という評価の射程、(2)所要時間、(3)賭けの決着の有無、(4)賭けの金額、(5)積載重量の変化について、出典間で扱いに幅がある[SRC-01505][SRC-01507][SRC-01508]。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 「世界初」の評価の射程 | ウェールズ国立博物館はこの走行を「世界初の鉄道走行」、米国機械学会は「レール上を走行して成功した世界初の蒸気機関」とそれぞれ評しており、限定句が異なる | ウェールズ国立博物館は「the world's first ever railway journey」、米国機械学会は「the world's first steam engine to run successfully on rails」と、それぞれ異なる限定句でこの走行を紹介する [SRC-01505][SRC-01508] | 独立した2つの専門機関がそれぞれ異なる限定句で明記する評価 [SRC-01505][SRC-01508] |
| 同上 | コールブルックデール社は1802年にもトレビシックの助言を得て別の軌道機関車を製作しており、この機関車が完成したこと自体は確実とされるが、実際に走行したかどうかは確認されていない | Grace's Guideは、現存する図面(1855年に発見、1862年に博物館へ寄贈)と書簡以外に手がかりがなく、1952年の研究者E・A・フォワードがこの図面はコールブルックデール軌間〔3フィート〕のものでペニダレンの軌道〔4フィート2インチ〕とは別物と指摘したことのみを記す | ランクC出典による記述であり、走行の有無自体を確認する記述ではない。ペニダレンの走行が「世界初」であるという評価と直接矛盾するものではない [SRC-01507] |
| 所要時間 | 米国機械学会は所要時間を4時間5分と記すが、同時代の新聞報道は2時間で走破したと記す | 米国機械学会は「which was completed in 4 hours and 5 minutes」と記す[SRC-01508]。一方、SRC-01507に収載されたRoyal Cornwall Gazette(1804年3月3日付)の同時代報道は「It performed its journey in two hours」と記す[SRC-01507] | 現代の専門機関サイトの記述と、走行から10日後の同時代新聞報道が対立する |
| 賭けの決着 | 帰路でのボルト破断・遅延を理由にクロウシェイは賭けの条件が満たされていないと主張したが決着したかどうかは分かっていない、とウェールズ国立博物館は記す一方、同時代の新聞報道は賭けに負けた側が代金を支払ったと伝えている | ウェールズ国立博物館は「it is not known if this was ever settled」と記す[SRC-01505]。一方、SRC-01507に収載されたRoyal Cornwall Gazette(1804年3月3日付)の同時代報道は「the gentleman who betted against it, cheerfully paid his money」(賭けに負けた紳士は快く代金を支払った)と記す[SRC-01507] | 後年の博物館解説(単一系統)と、走行から10日後の同時代新聞報道が対立する |
| 賭けの金額 | ウェールズ国立博物館はそれぞれ500ギニーと記すが、同時代の新聞報道は500ポンドと通貨・金額が異なる | ウェールズ国立博物館は「500 guineas each」と記す[SRC-01505]。一方、SRC-01507に収載されたRoyal Cornwall Gazette(1804年3月3日付)の同時代報道は「a bet of five hundred pounds」と記す[SRC-01507] | 通貨・金額とも一致しない |
| 積載重量の変化 | 本サイトが依拠する3系統は鉄10トンとのみ記すが、同時代の新聞報道は乗車した約70人の重みで走行中に15トンへ増加したと記す | ウェールズ国立博物館・BBC・米国機械学会はいずれも鉄10トンとのみ記す[SRC-01505][SRC-01506][SRC-01508]。一方、SRC-01507に収載されたGloucester Journal(1804年2月27日付)の同時代報道は「the weight of the load was soon increased from 10 to 15 tons, by about 70 persons riding on the trams」と記す[SRC-01507] | 積載量が固定10トンだったか、乗車人数により動的に増加したかで記述に幅がある |
関連する出来事
- 1801年12月24日、トレビシックはコーンウォール・キャンボーンの道路上で最初の高圧蒸気機関車「パフィング・デヴィル」を走らせた。ペニダレンでの走行に先立つ最初の試みである[SRC-01508]。
- 1808年、トレビシックはロンドンのユーストン・スクエアに環状軌道を敷き、機関車「キャッチ・ミー・フー・キャン」を公開実演した[SRC-01507][SRC-01508]。
- 2004年2月21日、ペニダレンでの走行200周年を記念し、メルシル・ティドビルで記念式典が開催され、英国王立造幣局はトレビシックを描いた記念2ポンド硬貨を発行した[SRC-01506]。
関連人物
- リチャード・トレビシック(Richard Trevithick、りちゃーど・とれびしっく): この試験走行に用いられた蒸気機関車を設計・製作した本人。1771年、英国コーンウォール生まれ[SRC-01505][SRC-01507][SRC-01508]。
- サミュエル・ホンフレイ(Samuel Homfray、さみゅえる・ほんふれい): ペニダレン製鉄所の経営者。機関車の製作を監督し、道路機関に搭載された高圧蒸気機関に関心を持って賭けにも加わった[SRC-01505][SRC-01507]。
- リチャード・クロウシェイ(Richard Crawshay、りちゃーど・くろうしぇい): 隣接するシファルサ製鉄所の経営者。ホンフレイと共に賭けに加わり、走行後に賭けの条件が満たされていないと主張したとされる[SRC-01505]。
歴史的意義
ウェールズ国立博物館の解説は、蒸気機関車が商業的に実用化されるまでにはこの走行からなお数年を要したとしたうえで、それゆえジョージ・スティーブンソンではなくリチャード・トレビシックこそが「鉄道の父」であると評している[SRC-01505]。これは同博物館による評価であり、本サイトが確認した出典の範囲では、この走行と1820年代以降のスティーブンソンらによる鉄道の商業的実用化との間の技術的な系譜そのものを詳細にたどった記述は確認できていない。
米国機械学会の解説によれば、ペニダレンの機関車は排気蒸気を煙突へ導いて通風を強めるという、高圧機関の実用化に不可欠だった工学的な工夫を備えていた[SRC-01508]。
現代の視点
ペニダレン機関車の実物大の復元機は1981年に披露され、現在はスウォンジーのナショナル・ウォーターフロント博物館に展示されている[SRC-01505]。ウェールズ国立博物館の解説は、この復元機が走行時に原型の機関車と同じ軌道破損の問題を再現したと伝えている[SRC-01505]。
2004年には走行200周年を記念する行事がメルシル・ティドビルで開催され、当時のウェールズ首席大臣ロドリ・モーガンは、トレビシックを「産業革命の先駆者であり、史上最も偉大な技術者の一人」と評した[SRC-01506]。英国王立造幣局はこの年、トレビシックを描いた記念2ポンド硬貨を発行している[SRC-01506]。
出典一覧
- [SRC-01505] Richard Trevithick's steam locomotive/Amgueddfa Cymru — National Museum Wales(ランクA)
- [SRC-01506] Steam train anniversary begins/BBC News(ランクB)
- [SRC-01507] Richard Trevithick/Grace's Guide to British Industrial History(ランクC)(複数の資料を収載)
- [SRC-01508] Richard Trevithick/American Society of Mechanical Engineers (ASME)(ランクB)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-18 | — |
| 2 | 2026-09-18 | あり |
| 3 | 2026-09-18 | あり |
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