1809年世界 19世紀

フェリックス・メンデルスゾーンは、1809年2月3日、ハンブルクでユダヤ系の家庭に生まれた——20歳のとき、初演から100年後にバッハの『マタイ受難曲』をベルリンで指揮し、「バッハ復興」の口火を切ったとされる

日付と暦

原典表記
1809年2月3日(グレゴリオ暦)
換算
1809-02-03(グレゴリオ暦)
掲載日
2月3日のページ

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概要

1809年2月3日、フェリックス・メンデルスゾーンがハンブルクで生まれた[SRC-01360][SRC-01361][SRC-01362]。父はアブラハム、母はレーア(旧姓ザロモン)で、ユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーンを祖父に持つ[SRC-01360][SRC-01361]。一家はユダヤ系であった[SRC-01360][SRC-01361][SRC-01362]。1811年、フランスの占領を理由に一家はベルリンへ移り、1816年、フェリックスは兄弟姉妹とともにルター派の洗礼を受けた[SRC-01360][SRC-01361][SRC-01362]。1829年、20歳になったメンデルスゾーンはベルリンで、バッハの『マタイ受難曲』の再演を指揮した[SRC-01360][SRC-01361][SRC-01362]。

本文

フェリックス・メンデルスゾーンは、1809年2月3日、ハンブルクで生まれた[SRC-01360]。父アブラハムは、ユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーンの息子である[SRC-01360][SRC-01361]。母はレーア、旧姓ザロモンといった[SRC-01360][SRC-01361]。

1811年、フランスによるハンブルク占領を理由に、一家はベルリンへ移った[SRC-01360][SRC-01362]。

1816年、フェリックスは兄弟姉妹とともにルター派の洗礼を受けた[SRC-01360]。Mendelssohn-Haus Leipzigの年表によれば、この洗礼は3月21日に行われ、姉ファニー(10歳)、フェリックス(7歳)、妹レベッカ(ほぼ5歳)、弟パウル(3歳)の4人が洗礼を受けた[SRC-01361]。NDB(Neue Deutsche Biographie)は、ユダヤ人の解放が実質的に達成されていないことに失望した父が、子どもたちに洗礼を受けさせたと記す[SRC-01362]。一家はのちにバートルディの姓を名乗るようになった。この姓は、メンデルスゾーンの母方の伯父にならったものである[SRC-01360][SRC-01362]。由来となった対象物や、姓を名乗り始めた時期については出典によって記述が異なる(下記「異説・論争」参照)。

1823年、メンデルスゾーンは母方の祖母から、エドゥアルト・リーツが書き写した『マタイ受難曲』の楽譜を誕生日の贈り物として受け取った[SRC-01362](贈与の機会については出典によって記述が異なる。下記「異説・論争」参照)。1827年秋には私的な練習を始めた[SRC-01362]。1829年3月11日、初演から100年後にあたるこの日、メンデルスゾーンの指揮のもと、ベルリン・ジングアカデミーで3回公演のうち最初の公演が行われた[SRC-01361][SRC-01362]。イエス役はエドゥアルト・デフリエント、福音史家役は宮廷歌劇場歌手シュテュルマーが歌った[SRC-01362]。

ブリタニカ百科事典は、この演奏をバッハの死後初めての演奏であり、19世紀の「バッハ復興」の端緒になったと記す[SRC-01360]。NDBも、メンデルスゾーンがこれによって今日まで続くバッハ・ルネサンスの端緒を開いたと評する[SRC-01362]。

歴史的背景

NDBによれば、一家はベルリンで、裕福で同化したユダヤ人社会の、文化的に開かれた雰囲気の中で育った[SRC-01362]。父アブラハムは、ユダヤ人の解放が実質的に達成されていないことに失望し、1816年、子どもたちに洗礼を受けさせた[SRC-01362]。改宗後も、メンデルスゾーン自身は自らのユダヤ系の出自を否定することはなく、ユダヤ人の運命に連帯感を抱いていた、とNDBは記す[SRC-01362]。

Mendelssohn-Haus Leipzigによれば、メンデルスゾーンの音楽の才能は幼少期から際立っており、9歳で初めてピアニストとして公の場に立ち、10歳で作曲の指導を受け始め、12歳で最初の交響曲を書き、17歳のとき、今日も演奏される『真夏の夜の夢』の演奏会用序曲を作曲した[SRC-01361]。ブリタニカ百科事典は、メンデルスゾーンを「初期ロマン派においてもっとも名高い音楽家の一人」と評する[SRC-01360]。

タイムライン

日付(グレゴリオ暦) 出来事 出典
1809年2月3日 ハンブルクで誕生 [SRC-01360][SRC-01361][SRC-01362]
1811年 一家、フランスの占領を理由にベルリンへ移る [SRC-01360][SRC-01362]
1816年3月21日 兄弟姉妹4人でルター派の洗礼を受ける [SRC-01361]
1816年または1822年(出典により異なる。下記「異説・論争」参照) 一家がバートルディの姓を名乗り始める [SRC-01360][SRC-01362]
1823年 母方の祖母から『マタイ受難曲』の写本を誕生日の贈り物として受け取る(贈与の機会は異説あり。下記参照) [SRC-01362]
1829年3月11日 ベルリン・ジングアカデミーでバッハ『マタイ受難曲』の再演を指揮する [SRC-01360][SRC-01361][SRC-01362]
1847年11月4日 ライプツィヒで死去(38歳) [SRC-01360][SRC-01362]
異説・論争定説のない論点があります

確認された異説: (1) バートルディの姓を名乗り始めた年について、出典間で記述が異なる。(2) また、[SRC-01362]は同一ページ上に Neue Deutsche Biographie(NDB・1994年、Schwingenstein執筆)と Allgemeine Deutsche Biographie(ADB・1885年、Loeper執筆)の2項目を併載しており、この2項目の間で、子どもたちの洗礼の時期・バートルディ姓の由来となった対象物・『マタイ受難曲』写本の贈与機会の3点について記述が異なる(下記表参照)。ADBはNDBの前身として同機関がかつて刊行した旧版であり、本記事は現行版であるNDB(1994年)の記述を基礎とする。誕生日・生誕地・ユダヤ系の家族構成については、非Wikipedia出典3件〔Encyclopaedia Britannica・Mendelssohn-Haus Leipzig・NDB〕がいずれも一致しており、対立する記述は見当たらなかった。姓がメンデルスゾーンの母方の伯父にならったものである点ではブリタニカとNDBが一致するが[SRC-01360][SRC-01362]、由来となった対象物については記述が分かれる(下記表参照)。本サイトが確認した範囲では、いずれの年が正確かを明示的に検討・裁定する出典は見当たらなかった。

論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
バートルディの姓を名乗り始めた年 1822年、両親も洗礼を受けたときに一家全員で名乗り始めた ブリタニカ百科事典[SRC-01360] 大衆向け百科事典の記述。一次資料への個別脚注はなし
バートルディの姓を名乗り始めた年 1816年、子どもたちの洗礼以来、一家は複合姓を名乗った NDB(Neue Deutsche Biographie)[SRC-01362] 学術的人名事典の署名記事
子どもたちの洗礼の時期 1816年、失望した父が子どもたちに洗礼を受けさせた(原語:「1816 ließ der Vater, enttäuscht über die nicht wirklich vollzogene Emanzipation der Juden, seine Kinder evangelisch taufen.」) NDB(Neue Deutsche Biographie 17〔1994年〕)[SRC-01362] 現行版(バイエルン科学アカデミー編纂、1994年)
子どもたちの洗礼の時期 子どもたちは生まれたときからキリスト教(プロテスタント)として育てられ、両親は後に改宗した(原語:「Die Kinder wurden von der Geburt an christlich-protestantisch erzogen, während die Eltern erst später übertraten.」)。1809年4月付のドロテア・シュレーゲルの書簡も乳児洗礼を示唆する ADB(Allgemeine Deutsche Biographie〔1885年〕・SRC-01362の同一ページに併載) NDBの前身にあたる旧版(1885年刊、同機関発行)
バートルディ姓の由来となった対象物 母方の伯父が「家族の農園」の名にちなんで名乗っていた(原語:「the name of a family farm」) ブリタニカ百科事典[SRC-01360] 大衆向け百科事典の記述。一次資料への個別脚注はなし
バートルディ姓の由来となった対象物 母方の伯父がベルリンの邸宅(Gartenhaus)の前所有者から名を取った(原語:「bei dem Uebertritt von dem Vorbesitzer seines Berliner Gartenhauses den Namen Bartholdy angenommen」)。NDB本体は由来の対象物に言及しない ADB(1885年・SRC-01362の同一ページに併載) NDBの前身にあたる旧版
『マタイ受難曲』写本の贈与機会 母方の祖母から誕生日の贈り物として受け取った(原語:「von seiner Großmutter mütterlicherseits zum Geburtstag erhalten」) NDB(1994年)[SRC-01362] 現行版
『マタイ受難曲』写本の贈与機会 クリスマスツリーの下で見つけた(原語:「unter seinem Weihnachtsbaum gefunden」) ADB(1885年・SRC-01362の同一ページに併載) NDBの前身にあたる旧版

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

NDBは、1829年の『マタイ受難曲』再演について、メンデルスゾーンがこれによって今日まで続くバッハ・ルネサンスの端緒を開き、19世紀の音楽生活への影響はほとんど過大評価できないほどだと評する[SRC-01362]。ブリタニカ百科事典も、この演奏を19世紀の「バッハ復興」の端緒と位置づける[SRC-01360]。

メンデルスゾーンの音楽をめぐる後世の受容は、生前の高い評価から一様ではなかった。Mendelssohn-Haus Leipzigによれば、1850年、リヒャルト・ヴァーグナーは匿名で論説「音楽におけるユダヤ性」を発表し、洗礼を受けたメンデルスゾーンを含むユダヤ系の音楽家が、その出自ゆえに人の心を真に打つ音楽を作曲する力を持たないと論じた[SRC-01361]。同館は、メンデルスゾーンの音楽がナチ期には演奏を禁じられ、この状況が20世紀のかなりの期間にわたりメンデルスゾーンの作品への態度に影響を及ぼしたと記し、今日ではその音楽が世界の主要な舞台に戻っていると付言している[SRC-01361]。本記事はこの後世の受容史を出典の記す範囲に限って紹介するにとどめ、現代の政治的論争への接続は行わない(本サイトの整理)。

現代の視点

本記事の射程は、1809年2月3日のメンデルスゾーンの誕生と、家族的背景(ユダヤ系の出自・1816年の洗礼・バートルディ姓)、および1829年のバッハ『マタイ受難曲』再演に限定する。メンデルスゾーンのその後の作曲活動全体(交響曲・協奏曲・『エリヤ』等の主要作品)、結婚後の生活、後世の学術的な再評価の詳細は、本記事の主題外として扱わない(本サイトの整理)。

出典一覧

  1. [SRC-01360] Felix Mendelssohn | Biography, Music, & Facts/Encyclopaedia Britannica, Inc.(ランクB)
  2. [SRC-01361] Felix! (Felix Mendelssohn Bartholdy — biography and chronology)/Mendelssohn-Haus Leipzig (Stiftung Mendelssohn-Haus Leipzig)(ランクA)
  3. [SRC-01362] Mendelssohn Bartholdy, Felix — Neue Deutsche Biographie (NDB)/Deutsche Biographie(Neue Deutsche Biographie/Historische Kommission bei der Bayerischen Akademie der Wissenschaften〔バイエルン科学アカデミー付属歴史委員会〕)(ランクA)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-17あり
22026-09-17あり

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