1976年世界 20世紀
1976年1月21日、コンコルドが定期超音速旅客便として就航した——ブリタニカ百科事典は「世界初」と位置づけるが、超音速機として先に飛んでいたのはソ連のTu-144だった
日付と暦
- 原典表記
- 1976年1月21日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1976-01-21(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 1月21日のページ
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概要
1976年1月21日、英国とフランスが共同開発した超音速旅客機コンコルドが、定期旅客便として商業運航を開始した[SRC-01256][SRC-01258][SRC-01259]。英国航空はロンドン・ヒースロー空港発バーレーン行きのBA300便を、機長ノーマン・トッドの操縦で運航した[SRC-01258]。同日、エールフランスはパリを出発し、ダカールを経由してリオデジャネイロへ向かう便を運航した[SRC-01256][SRC-01259]。ブリタニカ百科事典はこの就航を「世界初の定期超音速旅客便」["the world's first scheduled supersonic passenger service"]の開始と位置づけている[SRC-01256]。もっとも、超音速機として先に飛行し、限定的な就役をすでに果たしていたのはソ連のツポレフTu-144であり、両機の「初」が指す範囲は同じではない(詳細は異説・論争欄)[SRC-01256][SRC-01257][SRC-01260]。
本文
コンコルドは、英国とフランスが1962年に締結した二国間協定に基づき共同開発した超音速旅客機である[SRC-01256][SRC-01259][SRC-01260]。エールフランスは、この協定が同年11月に締結されたと記す[SRC-01259]。開発は英国のブリティッシュ・エアロスペース(British Aerospace)とロールス・ロイス、フランスのアエロスパシアル(Aérospatiale)とSNECMAの4社が担ったと、ブリタニカ百科事典は記す[SRC-01256]。試作1号機(001号機)は1969年3月2日に初飛行した[SRC-01256][SRC-01260]。この初飛行はフランス・トゥールーズで行われたと、エールフランスとスミソニアン国立航空宇宙博物館は記す[SRC-01259][SRC-01260]。操縦士はアンドレ・チュルカだったと、エールフランスは記す[SRC-01259]。同機は1973年9月26日には初めて大西洋を横断した[SRC-01256]。
1976年1月21日、コンコルドは定期旅客便としての商業運航を開始した[SRC-01256][SRC-01258][SRC-01259]。英国航空はBA300便として、ロンドン・ヒースロー空港からバーレーンへの便を、機長ノーマン・トッドの操縦で運航した[SRC-01258]。同日、エールフランスはパリを出発し、ダカールを経由してリオデジャネイロへ至る便を運航した[SRC-01256][SRC-01259]。両社は同年5月にはワシントンD.C.への定期便を、1977年11月にはニューヨークへの定期便をそれぞれ追加した[SRC-01256]。
コンコルドは最大でマッハ2.04(音速の約2倍)で巡航し[SRC-01260]、高度55,000〜60,000フィートという、通常の旅客機のおよそ倍の高度を飛行したと、スミソニアン国立航空宇宙博物館は記す[SRC-01260]。乗客定員は92人から128人だったとも同館は記す[SRC-01260]。
歴史的背景
超音速で飛行する旅客機の開発には巨額の費用がかかることから、英仏両国は単独での実現を断念し、1962年に二国間協定を結んで共同開発に乗り出したと、スミソニアン国立航空宇宙博物館は記す[SRC-01260]。プロジェクトの名称「コンコルド」(Concorde)は、この英仏両国政府の合意(協調)にちなむと同館は説明する[SRC-01260]。1965年2月までに試作機2機の製造が始まり、001号機はアエロスパシアルが、002号機はブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション(BAC)がそれぞれ担当した[SRC-01260]。開発の背景には、冷戦下でより速い旅客輸送を競う各国・各社の技術競争があったと同館は位置づける[SRC-01260]。
なお、超音速旅客機の開発競争ではソ連も並行して取り組んでおり、ツポレフTu-144が1968年12月に試験飛行を行い、コンコルドの初飛行(1969年3月)に先行した(詳細は次項「異説・論争」欄)[SRC-01257][SRC-01260]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1962年11月(グレゴリオ暦) | 英仏、超音速旅客機の共同開発で二国間協定を締結 | [SRC-01259][SRC-01260] |
| 1968年12月(グレゴリオ暦) | ソ連のツポレフTu-144が試験飛行 | [SRC-01257] |
| 1969年3月2日(グレゴリオ暦) | コンコルド試作1号機(001号機)がフランス・トゥールーズで初飛行 | [SRC-01256][SRC-01259][SRC-01260] |
| 1973年9月26日(グレゴリオ暦) | コンコルドが初めて大西洋を横断 | [SRC-01256] |
| 1975年(グレゴリオ暦) | Tu-144がモスクワ〜アルマアタ路線で郵便の輸送を開始 | [SRC-01257] |
| 1976年1月21日(グレゴリオ暦) | 英国航空・エールフランスが定期旅客便として商業運航を開始 | [SRC-01256][SRC-01258][SRC-01259] |
| 1976年5月(グレゴリオ暦) | 両社、ワシントンD.C.への定期便を追加 | [SRC-01256] |
| 1977年11月(グレゴリオ暦) | 両社、ニューヨークへの定期便を追加 | [SRC-01256] |
| 1978年(グレゴリオ暦) | Tu-144が同路線で旅客の輸送を開始 | [SRC-01257] |
| 2003年5月(グレゴリオ暦) | エールフランス、コンコルドの運航を終了 | [SRC-01256] |
| 2003年10月24日(グレゴリオ暦) | 英国航空、BA2便(ニューヨーク発ロンドン行き)を最後にコンコルドの運航を終了 | [SRC-01256][SRC-01258] |
異説・論争定説のない論点があります
「世界初の超音速旅客機」をめぐる位置づけの違い: ブリタニカ百科事典は、コンコルドを「世界初の旅客輸送用超音速商業航空機」["the first supersonic passenger-carrying commercial airplane"]と記し、1976年1月21日の就航を「世界初の定期超音速旅客便」["the world's first scheduled supersonic passenger service"]の開始と位置づけている[SRC-01256]。一方、同じブリタニカ百科事典は別項目で、ソ連のツポレフTu-144について「世界初の超音速輸送機」["world's first supersonic transport aircraft"]であり、1968年12月に試験飛行を行ったと記している[SRC-01257]。スミソニアン国立航空宇宙博物館も「ソ連が超音速ジェット旅客機時代に最初に足を踏み入れた」["The Soviet Union was the first to set foot in the supersonic jet airliner age"]とし、1968年にTu-144を送り出したと記す[SRC-01260]。
これらの記述は互いに矛盾するものではなく、「初」が指す範囲が異なっている。Tu-144は機体としての試験飛行において先行し(1968年12月)、コンコルドは有償旅客を乗せた定期の旅客便としての商業運航において先行した(1976年1月21日)、という関係にある。なお、超音速飛行そのものの先後は別の論点である。ブリタニカ百科事典のTu-144項目は、同機が1969年6月に音速を突破し["exceeded the speed of sound in June 1969"]、画像キャプションでは「1969年6月5日、Tu-144は音速の壁を破った初の旅客機になった」["On June 5, 1969, a Tu-144 became the first passenger aircraft to break the sound barrier."]と記す[SRC-01257]。一方、エールフランスはコンコルドの初の超音速飛行を1969年10月["October 1969 : First flight at supersonic speed Mach 1"]と記しており[SRC-01259]、この点でもTu-144(1969年6月)がコンコルド(1969年10月)に先行する。本サイトはいずれの「初」がより重要かを判定しない。
Tu-144の就役時期: ブリタニカ百科事典は、Tu-144がモスクワ〜アルマアタ間の路線で就役し、1975年に郵便の輸送を、1978年に旅客の輸送をそれぞれ開始したが、別の事故を受けて運航から離脱したと記す[SRC-01257]。この記述によれば、Tu-144が有償旅客を乗せた定期運航を始めたのは、コンコルドの1976年1月21日就航より後である。スミソニアン国立航空宇宙博物館は、Tu-144について「効率が悪く運航費がかかりすぎ、持続的な成功を収められなかった」["it did not experience sustainable success, as it was very inefficient and way too costly to operate"]と記し、モスクワ〜アルマトイの一路線のみを飛んだとする[SRC-01260](ブリタニカの表記「Alma Ata」とスミソニアンの表記「Almaty」の違いは、同一都市についての出典間の表記ゆれと本サイトは判断し、統一しない)。なお、運航当事者である英国航空自身は、2003年10月24日の退役について「世界で唯一の超音速旅客サービスの終了」["bringing to a close the world’s only supersonic passenger service"]と記しており[SRC-01258]、この表現は上記のTu-144の1978年旅客輸送開始(ブリタニカの記述)と字義どおりには両立しない。本サイトはこの評価の違いをそのまま両論併記し、いずれが妥当かは判定しない。
巡航速度の違い: スミソニアン国立航空宇宙博物館は、Tu-144の巡航速度がマッハ2.15とコンコルドのマッハ2.04より高かったと記す[SRC-01260]。ブリタニカ百科事典のTu-144項目は、同機の巡航速度を「最大マッハ2.2」["up to Mach 2.2"]とし、スミソニアンの数値とはわずかに異なる[SRC-01257]。本サイトはこの数値の違いをそのまま両論併記し、独自に統一しない。速度の優劣と商業的な持続性は別の論点であり、本サイトはいずれの機体が「優れていた」かを評価しない。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 「世界初の超音速旅客機」の範囲 | コンコルドは「世界初の定期超音速旅客便」(1976年1月21日就航) | [SRC-01256] | ブリタニカ百科事典の記述 |
| 「世界初の超音速旅客機」の範囲 | ツポレフTu-144は「世界初の超音速輸送機」(1968年12月試験飛行、1975年郵便輸送就役) | [SRC-01257][SRC-01260] | ブリタニカ百科事典・スミソニアン国立航空宇宙博物館の記述 |
| Tu-144の旅客便就役時期 | 1978年に旅客の輸送を開始 | [SRC-01257] | ブリタニカ百科事典の記述(単独系統) |
| 巡航速度 | Tu-144はマッハ2.15(スミソニアン)/最大マッハ2.2(ブリタニカ)、コンコルドはマッハ2.04 | [SRC-01257][SRC-01260] | 出典間で数値がわずかに異なる |
関連する出来事
- 1968年12月、ソ連のツポレフTu-144が試験飛行を行った。ブリタニカ百科事典は同機を「世界初の超音速輸送機」["world's first supersonic transport aircraft"]と記す(本記事「異説・論争」欄参照)[SRC-01257]。
- 1969年3月2日、コンコルド試作1号機がフランス・トゥールーズで初飛行した(本記事タイムライン参照)[SRC-01256][SRC-01259][SRC-01260](日付はブリタニカ百科事典・スミソニアン国立航空宇宙博物館、場所はエールフランス・スミソニアン国立航空宇宙博物館の記載による)。
- 2003年、コンコルドは退役した。ブリタニカ百科事典によれば、エールフランスは同年5月に、英国航空は同年10月に運航を終えた。英国航空自身の記録では、最後の商業飛行は同年10月24日のBA2便(ニューヨークJFK発ロンドン・ヒースロー行き、機長マイク・バニスター)だった(本記事タイムライン参照)[SRC-01256][SRC-01258]。
関連人物
- ノーマン・トッド(のーまん・とっど): 英国航空の機長。1976年1月21日、コンコルドBA300便(ロンドン・ヒースロー発バーレーン行き)を操縦した[SRC-01258]。
- アンドレ・チュルカ(あんどれ・ちゅるか): コンコルド試作1号機の試験飛行操縦士。1969年3月2日、フランス・トゥールーズでの初飛行を担当した(日付はブリタニカ百科事典・スミソニアン国立航空宇宙博物館の記載による)[SRC-01256][SRC-01259][SRC-01260]。
歴史的意義
英仏共同開発のコンコルドは1976年に定期旅客便として就航したが、騒音と運航コストの高さがサービスの制約となり、これに伴う高額な運賃が採算を圧迫したと、ブリタニカ百科事典は記す[SRC-01256]。財政的な損失により、両社は路線を絞り込み、最終的にはニューヨーク線のみが定期路線として残ったと同事典は記す[SRC-01256]。スミソニアン国立航空宇宙博物館も、コスト・運賃・騒音を退役の主な理由として挙げている[SRC-01260]。英国科学博物館の元学芸員デイヴィッド・ルーニーは、1960年代当時「超高速だが騒音が大きく燃費の悪い飛行機」と「低速だが効率的で静かなエンジンを持つ大型機」という2つの選択肢があったが、生き残ったのは後者(ボーイング747のような広胴機)だったと振り返る[SRC-01261]。本サイトは、これらの評価をいずれも出典に基づく見解として紹介し、コンコルドという技術的到達それ自体の当否は判定しない。
現代の視点
英国科学博物館の元学芸員デイヴィッド・ルーニーが示した「超高速だが騒音が大きく燃費の悪い機体か、低速だが効率的で静かな広胴機か」という二者択一の整理(本記事「歴史的意義」欄参照)は、その後の旅客機の主流が広胴機側に定着したことを踏まえた回顧的な解釈である[SRC-01261]。本サイトはこれを歴史的な解釈の一例として紹介するにとどめ、この評価を現行の航空産業の動向や超音速機の開発計画へ接続することは本記事の射程外とする(本稿の整理)。
出典一覧
- [SRC-01256] Concorde | Summary, History, & Facts/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
- [SRC-01257] Tupolev Tu-144 | Supersonic, Airliner, Prototype/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
- [SRC-01258] Celebrating Concorde/British Airways(ランクB)
- [SRC-01259] Travel - Concorde - History (Air France公式サイト内「Concordeの歴史」ページ)/Air France(ランクB)
- [SRC-01260] What Happened to the Concordes?/Smithsonian National Air and Space Museum(ランクB)
- [SRC-01261] Concorde's legacy (Science Museum Blog)/Science Museum (London)(ランクB)
本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。
訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-16 | — |
| 2 | 2026-09-16 | あり |
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