1669年江戸時代

シャクシャインの戦い、寛文9年6月——松前藩の交易政策に反発したアイヌ民族が蝦夷地各地で蜂起、和議の席でシャクシャインが死去

日付と暦

原典表記
寛文9年6月14日ごろ(和暦・太陰太陽暦)
換算
1669-07-11(グレゴリオ暦)
掲載日
6月14日のページ

暦の注記: この出来事は和暦(太陰太陽暦)の寛文9年6月14日ごろに起きた(グレゴリオ暦換算: 1669年7月11日)[SRC-02500]。この換算値は国立天文台暦計算室「日本の暦日データベース」への照会値による(年の干支は己酉・月の干支は辛未・日の干支は乙亥)[SRC-02500]。改暦境界(1582年10月・明治5年12月〜6年1月)・元号境界のいずれにも該当しない。蜂起開始の日付を日単位で明記する出典は、本記事が確保した出典のうち1件(青森県史資料編近世1)のみであり、その出典自身も「ごろ」という留保を付す[SRC-02499]。本サイトでは06-14のページに掲載している。

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概要

寛文9年(1669)6月14日ごろ、蝦夷地(現・北海道)の東西各地で、アイヌが松前藩に対して一斉に蜂起した[SRC-02499]。蜂起を主導したのは、シブチャリ(現・北海道新ひだか町)を拠点とするメナシクルの首長シャクシャインである[SRC-02496][SRC-02497]。背景には、松前藩が独占する交易体制(商場知行制)のもとで、アイヌに不利な交換比率が押しつけられていたことへの不満があった[SRC-02496][SRC-02499]。鉄砲を持つ松前藩の反撃によりアイヌ側の勢力は次第に衰え、同年10月23日、和議の会談の場でシャクシャインらは殺害された[SRC-02497][SRC-02499][SRC-02503]。

本文

シブチャリの首長カモクタインは、承応2年(1653)、ハエ(現・北海道日高町門別)を拠点とするハエクルの首長オニビシに殺害された[SRC-02497][SRC-02503]。これを受けてシャクシャインが新たな首長となったが、両集団の対立は続き、寛文8年(1668)、シャクシャイン方がオニビシの居所を奇襲し、オニビシを殺害した[SRC-02497][SRC-02503]。

オニビシを失ったハエクル側は、松前藩に武器・食料の支援を要請する使者を送ったが、拒否された[SRC-02496][SRC-02499]。使者であったオニビシの姉婿ウタフは、その帰路に疱瘡にかかって死亡した[SRC-02496][SRC-02497][SRC-02499][SRC-02503]。この死が松前藩による毒殺であるという風説となって広まり、ハエクル・シュムクル側にも松前藩への敵対感情が高まった[SRC-02496][SRC-02499]。シャクシャインは、それまで敵対していたシュムクル側を含むアイヌに、松前藩への蜂起を呼びかけた[SRC-02497]。

寛文9年6月14日ごろ、東は白糠(しらぬか)、西は増毛(ましけ)に至る蝦夷地の東西各地で、アイヌが一斉に蜂起した[SRC-02499][SRC-02503]。鷹待・金掘・交易船の者たちが襲われた[SRC-02496][SRC-02499]。日本大百科全書は日本人390人余(『津軽一統志』)が殺されたと記し、ブリタニカ国際大百科事典小項目事典は和人273人(355人などとする説もある)としており、犠牲者数は出典によって異なる[SRC-02496][SRC-02497]。

蜂起の報は、同年6月21日に松前藩へもたらされ、松前藩は7月13日にこれを「蝦夷蜂起」として幕府へ届け出た[SRC-02499]。幕府は、松前氏の一族で旗本の松前泰広(松前八左衛門)を、将軍徳川家綱の命を受けた者として蝦夷地へ派遣した[SRC-02499][SRC-02503]。松前泰広は7月20日に命を受けて江戸を立ち、8月10日に松前へ渡り、同月21日、鎮圧隊が陣を敷いていたクンヌイ(現・北海道長万部町国縫)に到着して全軍の指揮を執った[SRC-02499][SRC-02496]。鉄砲を持つ松前藩側が優位に立ち、アイヌ側の勢力は次第に衰えていった[SRC-02496][SRC-02497]。

松前藩はアイヌ側に、償い(ツクナイ)の提出と、シャクシャインらの助命という条件で和議を申し出た[SRC-02496][SRC-02497]。シャクシャインらはこの呼びかけに応じ、同年10月23日夜、ヒボク・アツマ・サルの3か所で会談に出てきたが、そこで殺害された[SRC-02499]。新編弘前市史はこの日のことを「シャクシャインが戦死し」と記す一方、青森県史は「会談に出てきたところを騙まし討ちにあい、殺害されてしまった」と記し、デジタル版日本人名大辞典+Plusは「和議成立の祝宴で謀殺された」とする[SRC-02497][SRC-02499][SRC-02503]。翌24日には、シャクシャインの拠点であったシブチャリの砦も陥落した[SRC-02503]。

歴史的背景

江戸幕府は松前藩に、蝦夷地における対アイヌ交易の独占権を認めていた[SRC-02499]。松前藩はこの交易を商場知行制のもとで運用し、家臣に蝦夷地各地の商場での交易権を分与した[SRC-02499]。この結果、アイヌの交易相手は松前藩側に限定され、交換比率もアイヌに不利な方向に変化した[SRC-02499]。日本大百科全書は、干鮭5束(100尾)=米2斗の交換比率が米7〜8升に下がったと記し、青森県史は、米1俵の内容量が減らされ、1俵が7〜8升程度の不等価交換が押しつけられたと記す[SRC-02496][SRC-02499]。

蜂起の直接の契機はウタフの死にまつわる毒殺の風説であったが、日本大百科全書は、より重要な背景は松前藩の蝦夷交易体制の強化であったとする[SRC-02496]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
和暦・承応2年(1653) オニビシ、シブチャリの首長カモクタインを殺害。シャクシャインが首長となる [SRC-02497][SRC-02503]
和暦・寛文8年(1668) シャクシャイン方、オニビシを奇襲して殺害 [SRC-02497][SRC-02503]
和暦・寛文9年(1669)6月14日ごろ(グレゴリオ暦換算1669年7月11日) 東西蝦夷地各地でアイヌが一斉に蜂起 [SRC-02499]
和暦・寛文9年6月21日(グレゴリオ暦換算1669年7月18日) 蜂起の報、松前藩へ到達 [SRC-02499]
和暦・寛文9年8月21日 松前泰広、クンヌイに到着し全軍を指揮 [SRC-02499]
和暦・寛文9年10月23日(グレゴリオ暦換算1669年11月16日) シャクシャインらが和議の会談の場で殺害される [SRC-02497][SRC-02499][SRC-02503]
和暦・寛文9年10月24日(グレゴリオ暦換算1669年11月17日) シブチャリの砦が陥落 [SRC-02503]
異説・論争定説のない論点があります

調査範囲は本記事が挙げた8件の出典(コトバンク収載7事典・新ひだか町公式サイト・青森県史デジタルアーカイブス・国立天文台暦計算室・新ひだか町アイヌ施策基本構想・北海道日高振興局公式サイト・新編弘前市史)に限る。

論点 説 根拠・出典 本サイトの記述方針
蜂起開始の日付 寛文9年6月14日ごろ(日単位。「ごろ」の留保付き) 青森県史資料編近世1 日単位の明記は単一系統のみであり、留保(「ごろ」)付きである。本サイトは本文冒頭の暦の注記でこの点を明示し、確度をprobableとして扱う
同上 寛文9年6月(月単位。日は示さない) ブリタニカ国際大百科事典小項目事典・山川日本史小辞典改訂新版・世界大百科事典(旧版)・新編弘前市史 月単位の一致は複数系統にわたるが、いずれも日単位の情報を持たない
シャクシャイン殺害の性格づけ 「戦死」 新編弘前市史 性格づけの優劣は判定せず、本文・Claimでは中立的な「殺害」を用い、各出典の語は帰属形で開示する
同上 酒宴の席での殺害、または謀殺 ブリタニカ国際大百科事典小項目事典・山川日本史小辞典改訂新版・デジタル版日本人名大辞典+Plus・新ひだか町アイヌ施策基本構想 同上
同上 「会談に出てきたところを騙まし討ちにあい、殺害されてしまった」 青森県史資料編近世1 同上
殺害された和人・日本人の人数 273人(355人などとする説もある) ブリタニカ国際大百科事典小項目事典 両説を併記し、優劣は判定しない
同上 390人余(『津軽一統志』を根拠とする) 日本大百科全書 同上

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

シャクシャインの戦いを経て、蝦夷地における松前藩・日本人側の主導権が確立した[SRC-02496]。精選版日本国語大辞典は、以後、松前藩によるアイヌへの「搾取」が強められたと記す[SRC-02496]。本サイトは、鎮圧した側・蜂起した側いずれの行動についても、その当否を判定する立場をとらない。蜂起に関連するとされるチャシ(砦)跡群(シベチャリ川流域チャシ跡群及びアッペツチャシ跡)は、平成9年(1997)12月2日に国の史跡に指定され、現在も保存・活用が図られている[SRC-02498]。

現代の視点

新ひだか町(シブチャリの現在の所在地)は、シャクシャインを「英傑」と位置づけ、松前藩によって「謀殺された」シャクシャインの霊を慰める法要祭が、現在も道内外のアイヌの人々によって古式に則り執り行われていると、町自身の施策文書に記している[SRC-02501]。北海道日高振興局によれば、この法要祭(「アイヌ民族の英傑を偲ぶ伝統行事」)は9月に新ひだか町静内真歌(真歌公園)で開催される[SRC-02502]。本サイトはこれらを新ひだか町・北海道日高振興局自身の記述として紹介するものであり、人物の評価そのものを本サイトの立場として述べるものではない。

出典一覧

  1. [SRC-02496] シャクシャインの戦い(コトバンク収載: デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)/コトバンク(運営: 朝日新聞社・VOYAGE MARKETING。収載辞典の発行元は小学館)(ランクB)(複数の資料を収載)
  2. [SRC-02497] シャクシャイン(コトバンク収載: ブリタニカ国際大百科事典小項目事典・山川日本史小辞典改訂新版・デジタル版日本人名大辞典+Plus・世界大百科事典〔旧版〕)/コトバンク(運営: 朝日新聞社・VOYAGE MARKETING。収載辞典の発行元はBritannica Japan〔ブリタニカ国際大百科事典小項目事典〕・平凡社〔世界大百科事典〔旧版〕〕・山川出版社・講談社)(ランクB)(複数の資料を収載)
  3. [SRC-02498] 史跡シベチャリ川流域チャシ跡群及びアッペツチャシ跡(新ひだか町公式サイト・3ページ)/北海道新ひだか町(教育委員会教育部 文化振興課 博物館・アイヌ政策係)(ランクB)
  4. [SRC-02499] 青森県史デジタルアーカイブス『青森県史資料編近世1』Ⅱ部解説「4 寛文蝦夷蜂起」(執筆: 菊池勇夫)/青森県(青森県史デジタルアーカイブス。青森県交通・地域社会部 地域生活文化課)(ランクB)
  5. [SRC-02500] 日本の暦日データベース(国立天文台 暦計算室)— 寛文9年6月4日・6月14日・6月21日・10月23日・10月24日の換算照会結果/国立天文台 暦計算室(ランクA)
  6. [SRC-02501] 新ひだか町アイヌ施策基本構想(新ひだか町)/北海道新ひだか町(ランクB)
  7. [SRC-02502] シャクシャイン法要祭(北海道日高振興局保健環境部環境生活課)/北海道(日高振興局保健環境部環境生活課)(ランクB)
  8. [SRC-02503] 新編弘前市史 通史編2(近世1) 第3章第一節三「寛文蝦夷蜂起への出兵」(弘前市立弘前図書館/ADEAC)/弘前市(新編弘前市史編纂委員会)/弘前市立弘前図書館(ADEAC収載)(ランクB)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-10-09あり
22026-10-09あり
32026-10-09なし

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