1963年世界 20世紀
ボストーク6号打ち上げ——テレシコワ、史上初の女性宇宙飛行士
日付と暦
- 原典表記
- 1963年6月16日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1963-06-16(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 6月16日のページ
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概要
1963年6月16日、ソ連のワレンチナ・テレシコワはバイコヌール宇宙基地からボストーク6号に搭乗して打ち上げられた[SRC-02457]。打ち上げ時刻はNASA公式カタログで協定世界時09時36分00秒と記録されているが、他の資料は09時29分〜30分と記録しており、分単位で相違がある(異説参照)[SRC-02457][SRC-02460][SRC-02461][SRC-02463]。NASAの公式宇宙機カタログは、この飛行を「史上初の女性」による飛行と記している[SRC-02456]。2日前の6月14日にはワレリー・ブィコフスキーがボストーク5号で打ち上げられており、両機は6月16日から19日まで同時に飛行した[SRC-02456][SRC-02459]。NASA公式記録はこの間ボストーク6号が飛行の大半でボストーク5号と双方向の無線通信を維持したと記すが、HISTORYは最接近時の短い交信のみを記し、RussianSpaceWebは2日目半ばに交信が途絶したと記す(異説参照)[SRC-02456][SRC-02458][SRC-02461]。テレシコワは48周回を経て、1963年6月19日にカラガンダの北東に帰還した[SRC-02456]。
本文
NASAの公式宇宙機カタログは、ボストーク6号を「ソ連最初の有人飛行シリーズの最後の宇宙船」と位置づけている[SRC-02456]。テレシコワはパイロット訓練を受けていなかったが、アマチュアのパラシュート降下者として経験を積んでいたことを基盤に、1962年に宇宙飛行士候補として選抜された[SRC-02458][SRC-02459]。HISTORYは、1962年2月に他の女性パラシュート降下者3名・女性パイロット1名とともに選抜され、宇宙飛行士となるための集中訓練を開始したと記している[SRC-02458]。
1963年6月14日、ワレリー・ブィコフスキーがボストーク5号で打ち上げられた[SRC-02458]。ブィコフスキーがなお地球を周回している中、テレシコワは6月16日にボストーク6号で打ち上げられた[SRC-02458]。両機は異なる軌道をとったが、一時的に接近し、2人の宇宙飛行士は短い交信を行ったと記されている(接近した距離は出典により記述が異なる。異説参照)[SRC-02458][SRC-02459]。HISTORYは、テレシコワの宇宙船が自動制御システムに導かれ、テレシコワ自身は手動操縦を行わなかったと記している[SRC-02458]。
1963年6月19日、宇宙滞在から48周回・約3日を経て、ボストーク6号は大気圏に再突入した[SRC-02456][SRC-02458]。ボストーク計画の飛行では、帰還時に宇宙飛行士が高度約2万フィートでカプセルから射出され、機体とは別にパラシュートで地上へ降下する手順が定められており、テレシコワもこの手順に従って降下したと記されている[SRC-02458][SRC-02459]。ボストーク6号はカラガンダの北東に着陸し[SRC-02456]、ブィコフスキーのボストーク5号も数時間後に無事着陸した[SRC-02458]。
飛行後、テレシコワはソ連邦英雄の称号とレーニン勲章を受章した[SRC-02458][SRC-02459]。同年11月、同じく宇宙飛行士のアンドリヤン・ニコラーエフと結婚した[SRC-02458][SRC-02459]。
歴史的背景
HISTORYは、ソ連の宇宙計画が、米国に先んじて別の「宇宙における初」を達成する手段として、1960年代初頭に女性を宇宙へ送ることを追求したと記している[SRC-02458]。同資料は、テレシコワとニコラーエフの結婚についても、ソ連指導者ニキータ・フルシチョフの圧力によるものとされ、独身同士の宇宙飛行士の組み合わせに宣伝上の利点を見出したためだと記している[SRC-02458](本サイトはこの記述の当否を判定しない)。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1963-06-14(グレゴリオ暦) | ボストーク5号、ブィコフスキー搭乗で打ち上げ | [SRC-02458][SRC-02459] |
| 1963-06-16(グレゴリオ暦) | ボストーク6号、テレシコワ搭乗でバイコヌール宇宙基地から打ち上げ(打ち上げ時刻は出典により協定世界時09時29分〜36分の相違がある。異説参照) | [SRC-02456][SRC-02457][SRC-02460][SRC-02461][SRC-02463] |
| 1963-06-19(グレゴリオ暦) | ボストーク6号、48周回を経てカラガンダ北東に帰還 | [SRC-02456] |
| 1963-06-19(グレゴリオ暦) | ボストーク5号も帰還(ボストーク6号の着陸から数時間後) | [SRC-02458] |
異説・論争定説のない論点があります
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| ボストーク6号の打ち上げ時刻 | 協定世界時09時36分00秒(NASA公式カタログの「Launch Date/Time」欄。同頁の「Epoch start」欄と同値で、発射の瞬間の裏付けにはならない) | [SRC-02457] | NASA/NSSDCAの記述 |
| 同上 | 協定世界時09時29分52秒(RussianSpaceWebは一覧表でモスクワ・デクレ時12時29分52秒と記録し、GCATは協定世界時として直接記録) | [SRC-02460][SRC-02462] | McDowellのGCAT・RussianSpaceWeb一覧表の独立2系統が一致 |
| 同上 | モスクワ時間12時30分(協定世界時09時30分相当) | [SRC-02461][SRC-02463] | RussianSpaceWeb本文・BBC「On This Day」の記述 |
| ボストーク5号・6号の最接近距離 | 「3マイル以内」 | [SRC-02458] | HISTORY(A&E Television Networks)の記述 |
| 同上 | 「4.5キロメートル(2.8マイル)」 | [SRC-02459] | Encyclopaedia Britannicaの記述 |
| 同上 | 「ソ連公式発表によれば5キロメートル」 | [SRC-02461] | RussianSpaceWebが引用するソ連公式発表の記述 |
| ボストーク5号との無線交信の状況 | 「飛行の大半で双方向の無線通信を維持した」 | [SRC-02456] | NASA/NSSDCAの記述 |
| 同上 | 「最接近時に短い交信を行った」 | [SRC-02458] | HISTORYの記述 |
| 同上 | 「共同飛行2日目半ばに交信が完全に途絶した」 | [SRC-02461] | RussianSpaceWebの記述 |
| テレシコワの手動操縦の有無 | 「自動制御システムに導かれ、手動操縦を行わなかった」 | [SRC-02458] | HISTORYの記述 |
| 同上 | 「第2周回で予定された模擬制動噴射に向け、手動姿勢制御を2度試みたが、いずれも失敗した」 | [SRC-02461] | RussianSpaceWebの記述 |
| テレシコワが受章したレーニン勲章の回数 | 「2度にわたり受章」 | [SRC-02459] | Encyclopaedia Britannicaの記述(HISTORYは受章の事実のみを記し、回数には触れていない。対立する記述ではない) |
関連する出来事
- ボストーク6号は、2日前の1963年6月14日に打ち上げられたボストーク5号(ワレリー・ブィコフスキー搭乗)と、1963年6月16日から19日まで同時に飛行した(無線交信の維持・途絶については出典間で記述が異なる。異説参照)[SRC-02456][SRC-02458][SRC-02461]。ボストーク6号はソ連最初の有人飛行シリーズ(ボストーク計画)における最後の宇宙船だった[SRC-02456]。
- テレシコワの飛行の後、ソ連の女性宇宙飛行士による飛行は1980年代まで行われなかった(HISTORY・RussianSpaceWebの2系統が一致)[SRC-02458][SRC-02462]。RussianSpaceWebは、次の飛行が実現したのは1982年、スヴェトラーナ・サヴィツカヤのソユーズT-7搭乗だったと記している(この具体的な年・人物・搭乗機はRussianSpaceWeb単独の記述)[SRC-02462]。アメリカ初の女性宇宙飛行士がサリー・ライドであることはHISTORY・ブリタニカの2系統が一致する(HISTORYは、1983年にスペースシャトル・チャレンジャーのミッションスペシャリストとして搭乗したと記す)[SRC-02458][SRC-02459]。
関連人物
- ワレンチナ・テレシコワ(われんちな・てれしこわ): ボストーク6号の搭乗者。1937年3月6日、ロシアのマスレンニコヴォ生まれ[SRC-02459]。アマチュアのパラシュート降下者としての経験を基盤に、1962年に宇宙飛行士候補として選抜された[SRC-02458][SRC-02459]。1963年6月16日、史上初めて宇宙へ到達した女性となった[SRC-02456][SRC-02458][SRC-02459]。
- ワレリー・ブィコフスキー(われりー・ぶぃこふすきー): ボストーク5号の搭乗者。テレシコワのボストーク6号(6月16日打ち上げ)より2日早い1963年6月14日に打ち上げられ、両機は6月16日から19日まで同時に地球を周回した[SRC-02458][SRC-02459]。
歴史的意義
NASA/NSSDCAは「史上初の女性(the first woman in space)」、HISTORYは「史上初めて宇宙へ渡航した女性(the first woman to travel into space)」、Encyclopaedia Britannicaも同様に「史上初めて宇宙へ渡航した女性」と、独立した複数の資料がそれぞれの言い回しでテレシコワの飛行を史上初の女性宇宙飛行と明記している[SRC-02456][SRC-02458][SRC-02459]。HISTORYは、テレシコワの飛行後、ソ連の女性宇宙飛行士による飛行は1980年代まで行われなかったと記している[SRC-02458]。アメリカで初めて宇宙へ到達した女性がサリー・ライドであることは、HISTORY・ブリタニカの両資料が一致して記している。HISTORYは、1983年にスペースシャトル・チャレンジャーのミッションスペシャリストとして搭乗した物理学者であったと記す[SRC-02458][SRC-02459]。
現代の視点
テレシコワの飛行から次の女性宇宙飛行士の飛行までに長い期間が空いたことは、当時の宇宙開発競争における「初」の達成が、必ずしもその後の継続的な参加機会の拡大に直結しなかったことを示す一例として参照できる(本サイトの整理であり、出典が直接そう評価しているわけではない)。
出典一覧
- [SRC-02456] NASA - NSSDCA - Spacecraft - Details: Vostok 6/NASA Space Science Data Coordinated Archive(NSSDCA)(ランクS)
- [SRC-02457] NASA - NSSDCA - Spacecraft - Trajectory Details: Vostok 6/NASA Space Science Data Coordinated Archive(NSSDCA)(ランクS)
- [SRC-02458] Soviet cosmonaut Valentina Tereshkova becomes the first woman in space | June 16, 1963/HISTORY(A&E Television Networks)(ランクB)
- [SRC-02459] Valentina Tereshkova | Biography & Facts/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
- [SRC-02460] GCAT: General Catalog of Artificial Space Objects — Launch Log (launch.tsv)/Jonathan C. McDowell(GCAT, Jonathan's Space Report)(ランクA)
- [SRC-02461] Mission of Vostok-6 (RussianSpaceWeb.com)/RussianSpaceWeb.com(Anatoly Zak)(ランクB)
- [SRC-02462] Aftermath of Vostok-6 mission (RussianSpaceWeb.com)/RussianSpaceWeb.com(Anatoly Zak)(ランクB)
- [SRC-02463] 1963: Soviets launch first woman into space — BBC On This Day/BBC(ランクB)
本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。
訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-10-09 | — |
| 2 | 2026-10-09 | あり |
| 3 | 2026-10-09 | あり |
| 4 | 2026-10-09 | あり |
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