1851年世界 19世紀

1851年5月1日、ロンドン・ハイドパークでクリスタル・パレスを会場に第1回万国博覧会が開幕した——各国から約1万4000の出展者が参加し、会期中に600万人を超える人々が訪れた

日付と暦

原典表記
1851年5月1日(グレゴリオ暦)
換算
1851-05-01(グレゴリオ暦)
掲載日
5月1日のページ

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概要

1851年5月1日、ロンドン中心部のハイドパークに建設された鉄骨とガラスの大建築「クリスタル・パレス」を会場に、第1回万国博覧会(The Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations)が開幕した[SRC-02062][SRC-02063]。開幕は前年から予告されており、運営主体である王立委員会自身の公式カタログは「1851年5月1日と定められ、その約束は守られた」と記している[SRC-02063]。会は、王立芸術協会会長を務め、王立委員会の会長でもあったプリンス・アルバートのもとで運営された[SRC-02063]。34の外国と英帝国領30以上から13,937の出展者が参加し(V&A博物館は最終的な総数は確定しなかったとも記す)、会期中にのべ600万人を超える人々が訪れた[SRC-02062][SRC-02064]。フランスでは1798年以来、自国の産業に限った国内博覧会が繰り返し開かれていたが、本博覧会はこれと異なり各国の作品を一堂に集める国際的な規模で企画され、王立委員会自身も閉幕後の総括で、その国際的な性格が博覧会の金銭的な成功の大きな要因だったと記している[SRC-02063][SRC-02064]。なお閉幕日については出典間に記述の相違があり、委員会自身の報告書は10月15日、後年のV&A博物館の解説は10月11日と記す(詳細は異説・論争欄)[SRC-02064][SRC-02062]。

本文

1849年5月29日、建築家マシュー・ディグビー・ワイアットと、のちに会場の「製造品」部門を企画するヘンリー・コールがパリへ赴き、フランスの産業博覧会を調査した[SRC-02062]。両者はフランスの農商務大臣ルイ・ビュフェとも面会し、同大臣は自らの通商博覧会を国際化できないことへの不満を漏らしたと、V&A博物館は記す[SRC-02062]。同年7月31日、王立芸術協会会長プリンス・アルバートはオズボーンから内務大臣サー・ジョージ・グレイへ書簡を送り、同協会が構想する「万国産業の5年ごとの博覧会」の実現可能性を検討する王立委員会の設置を提案した[SRC-02063]。この書簡は、協会が過去数年開催していた一国限定の博覧会(王立委員会自身の言葉で「works of national industry」)を踏まえ、それを国際規模へ拡張する構想だったことを示している[SRC-02063]。内務大臣は翌8月1日付の書簡でこの提案に応じた[SRC-02063]。なお、最終的に開催された1851年の博覧会は一回限りの催しであり、当初提案された「5年ごと」の定期開催という構想は、本サイトが確認した範囲では実現しなかった[SRC-02063]。1850年1月3日付の官報『ロンドン・ガゼット』には、女王が発した王立委員会設置の告示が掲載され、博覧会の運営体制が公式に整った[SRC-02063]。

会場建物の建設にあたる建物委員会は、1850年1月にCubitt氏を委員長として発足した[SRC-02063]。会場建物はハイドパークに建てられ、のちに「クリスタル・パレス」と呼ばれるようになった[SRC-02062]。1851年1月下旬には公共使用のため正式に完成・認証され、起工から約7か月後のことだったとV&A博物館は記す[SRC-02062]。これから逆算すると、着工は1850年半ば頃になる(本サイトの逆算)。設計はジョゼフ・パクストンによるとされる[SRC-02062]。

1851年5月1日午前9時、季節入場券所持者2万5000人に扉が開かれ、正午に正式な式典が始まったとV&A博物館は記す[SRC-02062]。この開会式にはヴィクトリア女王が出席したとされる[SRC-02062]。プリンス・アルバートは、博覧会に先立ちロンドン市長主催の晩餐会で「生きる時代を注意深く見つめ、研究することは、教育を受けたすべての者の務めであると私は考える」と述べたと、王立委員会自身の公式カタログは記録している[SRC-02063]。

歴史的背景

フランスでは、1798年に「国家的な制度として認められた産業製品の博覧会」が初めて開かれ、以降1801年・1802年・1806年にも同様のフランス国内産業の博覧会が開催されていた[SRC-02063]。イギリス国内でも、1847年に王立芸術協会が英国製の製造品・装飾美術の博覧会を開き、2万人を超える来場者を集めていた[SRC-02062]。1851年の博覧会は、こうした先行する国内博覧会を踏まえつつ、各国の出展者を一堂に集める国際的な規模へ意図的に拡張したものと位置づけられる[SRC-02062][SRC-02063]。博覧会閉幕後に王立委員会自身がまとめた報告書も、博覧会が金銭的に成功した要因の多くは、その国際的な性格によるものだったと総括している[SRC-02064]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1849年5月29日(グレゴリオ暦) マシュー・ディグビー・ワイアットとヘンリー・コールがパリへ赴き、フランスの産業博覧会を調査 [SRC-02062]
1849年7月31日(グレゴリオ暦) プリンス・アルバートがオズボーンから内務大臣へ書簡を送り、王立委員会設置を提案 [SRC-02063]
1849年8月1日(グレゴリオ暦) 内務大臣が回答の書簡を送る [SRC-02063]
1850年1月3日(グレゴリオ暦) 官報『ロンドン・ガゼット』に、女王が発した王立委員会設置の告示が掲載される [SRC-02063]
1850年1月(グレゴリオ暦) 会場建物の建物委員会が発足(Cubitt氏が委員長) [SRC-02063]
1850年半ば(グレゴリオ暦・本サイトの逆算) ハイドパークで会場建物(クリスタル・パレス)の建設が始まる(出典は完成日と工期のみを記し、着工日自体は記さない) [SRC-02062]
1851年1月下旬(グレゴリオ暦) 会場建物が公共使用のため正式に完成・認証される [SRC-02062]
1851年5月1日(グレゴリオ暦) 午前9時に季節入場券所持者2万5000人へ開放。正午、ヴィクトリア女王出席のもと正式に開幕 [SRC-02062][SRC-02063]
1851年10月11日または10月15日(グレゴリオ暦) 博覧会が閉幕(閉幕日は出典間に相違。異説・論争欄参照) [SRC-02062][SRC-02064]
異説・論争定説のない論点があります

閉幕日をめぐる出典間の相違: 博覧会を運営した王立委員会自身が1852年に提出した第2報告書は、同報告書に転載された「増補勅許状(Supplemental Charter)」中で引用される、1851年11月6日付の委員会予備報告の記述として、博覧会が「1851年のうちに、10月15日に最終的に閉幕した(finally closed on the Fifteenth day of October of this year。原文の『this year』は1851年を指す)」としていると記す[SRC-02064]。一方、博覧会の制度的後継機関であるV&A博物館の現代の解説記事は、博覧会が「1851年10月11日」に閉幕したと記す[SRC-02062]。本サイトが確認した範囲では、どちらの記述が誤りであるかを判定する追加の独立出典は見つからなかった。前者は博覧会運営主体自身による同時代(閉幕翌年)の公式報告であり、後者は150年以上を経た現代の博物館による解説である。本サイトはいずれの記述が優越するかを判定せず、両論を併記する。

論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
博覧会の閉幕日 1851年10月15日 王立委員会自身の第2報告書(1852年) [SRC-02064]。運営主体による同時代の公式報告
(同上) 1851年10月11日 V&A博物館の現代の解説記事 [SRC-02062]。博覧会の制度的後継機関による現代の整理だが一次資料ではない

出展者数の対象範囲の違い(異説ではなく範囲の相違): 王立委員会自身の公式カタログ(1851年刊)は、連合王国の地方委員会を通じて出展を申し込んだ者の数を「upwards of 8,200」(8,200超)と記す[SRC-02063]。これは連合王国の地方委員会経由の申込者数であり、本記事が用いる出展者13,937(V&A博物館[SRC-02062]。同館はこれを最終集計とは言えないとも記す)とは対象の範囲が異なる数値であって、両者は矛盾するものではない。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

博覧会の清算にあたり、運営主体の王立委員会は、閉幕翌年(1852年)の時点で剰余金を「おおよそ17万ポンド」と見込んでいた[SRC-02064]。博覧会を運営した王立委員会の現行の継続組織(自己申告的な現代の解説)は、剰余金を18.6万ポンドと記している[SRC-02066]。この剰余金はサウス・ケンジントンの教育機関用地の取得にあてられた[SRC-02062][SRC-02066]。これとは別に、博覧会で選定された244点の出展物は、通商省が財務省からの特別交付金を用いて購入し、1857年に開館したV&A博物館の基礎収蔵品になった[SRC-02062]。

現代の視点

博覧会を運営した王立委員会は、その後も法人格を存続させており、現在は科学・エンジニアリング・建築環境・デザインの分野での大学院レベルの研究を対象に、年間約35件のフェローシップ・奨学金を授与する恒久的な組織として活動を続けている[SRC-02066]。

出典一覧

  1. [SRC-02062] The Great Exhibition of 1851/Victoria and Albert Museum (V&A)(ランクA)
  2. [SRC-02063] Official Descriptive and Illustrated Catalogue of the Great Exhibition of the Works of Industry of All Nations, 1851 — Introductory Volume/Royal Commission for the Exhibition of 1851(刊: Spicer Brothers / W. Clowes and Sons)(ランクS)
  3. [SRC-02064] Second Report of the Commissioners for the Exhibition of 1851, to the Right Hon. Spencer Horatio Walpole/Royal Commission for the Exhibition of 1851(ランクS)
  4. [SRC-02066] About Us(Royal Commission for the Exhibition of 1851)/Royal Commission for the Exhibition of 1851(ランクA)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-10-02—
22026-10-02あり
32026-10-02あり
42026-10-03なし

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