1849年世界 19世紀

エリザベス・ブラックウェルは、約29校の医学校に出願し、国内の主要な医学校から拒まれたのち、『冗談』の賛成投票でジュネーヴァ医科大学への入学を許された——1849年1月23日、米国の医学校から医学博士号を得た最初の女性となる

日付と暦

原典表記
1849年1月23日(グレゴリオ暦)
換算
1849-01-23(グレゴリオ暦)
掲載日
1月23日のページ

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概要

1849年1月23日、ニューヨーク州ジュネーヴァのジュネーヴァ医科大学で、エリザベス・ブラックウェルは医学博士号(M.D.)を取得した[SRC-01272][SRC-01274]。彼女は約29校の医学校に出願し[SRC-01274]、国内の主な医学校から性別を理由に拒まれたのち[SRC-01275]、1847年、同校が彼女を受け入れた[SRC-01272][SRC-01274]。教員は入学の可否を全男子学生の投票にかけ、学生たちは「冗談として」賛成したと伝えられる[SRC-01272]。米国国立医学図書館は、彼女が米国の医学校から医学博士号を取得した最初の女性になったと記す[SRC-01272]。

本文

ブラックウェルは、死の床にあった友人の勧めで医学を志したという[SRC-01272]。知人の医師たちに相談すると「良い考えだが不可能だ」と告げられたが、二人の医師の友人のもとで1年間学んだのち、ニューヨーク・フィラデルフィアの全医学校と北東部12校に出願した[SRC-01272]。この出願はおよそ29校に及んだという[SRC-01274]。友人には男装しての海外留学を勧められたが、この道は選ばなかった[SRC-01274]。

最終的に1847年、彼女を受け入れたのはニューヨーク州の小さな医学校、ジュネーヴァ医科大学だけだった[SRC-01272][SRC-01274]。教員は、全員男子の学生が女性の入学に同意するはずがないと見込んで可否を投票にゆだね、学生たちは「冗談として」賛成票を投じた[SRC-01272]。2年間、町の人々の実際または想像上の敵意や全員男子クラスへの出席という気まずさに耐えたと、後年の学術誌記事は記す[SRC-01274]。

1849年1月23日、火曜日の晴れた日、ジュネーヴァの教会で卒業式が開かれた[SRC-01274]。居合わせた住民の手紙は、彼女が帽子も肩掛けもつけずに入場した様子を記す[SRC-01274]。ヘイル学長は起立して学位記を手渡し一礼し、彼女が退席するものと思ったが、彼女は間を置いて「感謝します。神のご加護のもと、この学位に名誉を刻むことこそ、私の人生の努力目標です」["I thank you Sir. It shall be the effort of my life, by God's blessing, to shed honor on this Diploma"]と述べ、拍手喝采を浴びたという[SRC-01274]。演説を行ったリー博士は、その結びで彼女は医師の資格を十分に備え学位は正当だと述べたと記す[SRC-01274]。

歴史的背景

ブラックウェルは、国内の主要な医学校すべてから性別を理由に拒まれたという[SRC-01275]。19世紀には学位のないまま医業を営む医師も少なくなかったが[SRC-01275]、ブラックウェルは正規の学位を持つ医師としての地位を望んだ[SRC-01275]。彼女の卒業は全米的な注目を集め、『パンチ』誌のユーモア詩の題材にもなった[SRC-01274]。

タイムライン

日付(グレゴリオ暦) 出来事 出典
1847年 約29校に出願して拒まれたのち、ジュネーヴァ医科大学に受け入れられる。学生の賛成投票で入学が認められた(教員が全男子学生に投票させたと伝えられる) [SRC-01274](約29校への出願)/[SRC-01275](拒否)/[SRC-01272][SRC-01274](受け入れ)/[SRC-01272][SRC-01275](学生投票で認められたこと)/[SRC-01272](教員が全男子学生に投票させたこと)
1849年1月23日 ジュネーヴァ医科大学を卒業し医学博士号を取得。米国の医学校から医学博士号を取得した最初の女性となる [SRC-01272][SRC-01274][SRC-01275]
1849年(同年) ブラックウェル自身の卒業論文「Ship Fever」が『Buffalo Medical Journal and Monthly Review』誌2月号に掲載される [SRC-01273]
1849年〜1851年 ロンドン・パリの診療所で臨床研修。パリでの助産研修中に感染症で片目の視力を失う [SRC-01272]
1857年 妹エミリー・ブラックウェル、マリー・ザクシェフスカとともにニューヨーク女性・小児科診療所を設立 [SRC-01272]
卒業から3年以内 米国の医学校を卒業した女性が20人に達する [SRC-01274]
異説・論争定説のない論点があります

学生が賛成に回った理由について、出典間に記述の幅がある。米国国立医学図書館は、教員が全男子学生に投票させたところ、学生たち自身が「冗談として」["As a joke"]賛成票を投じ、彼女の入学を認めたと記す[SRC-01272]。これに対し全米女性殿堂は、学生たちが彼女の出願そのものをライバル校が仕掛けた悪ふざけだと思い込み、面白がって賛成したのだと記しており[SRC-01275]、賛成した学生たちが何を「冗談」と捉えていたのか(自分たちの投票行為そのものか、出願自体か)について、両者の説明は一致しない。いずれも脚注を伴わない事典的な記述であり、本サイトの調査範囲ではどちらがより正確かを判定する材料は見つからなかった。両論を併記するにとどめる。

卒業日の精度についても、出典間に幅がある。1849年1月29日付(卒業式の6日後)で書かれた目撃者マーガレット・マンロー・デランシーの手紙は、卒業式を「1849年1月23日」と日まで明記し、これを翻刻・紹介する1962年の学術誌『New York History』の記事も同じ日付を記す[SRC-01274]。一方、米国国立医学図書館と全米女性殿堂はいずれも「1849年」とのみ記し、月・日までは特定していない[SRC-01272][SRC-01275]。1849年1月23日という日付は、本サイトが確認できた範囲ではSRC-01274(目撃者書簡とその紹介記事)にのみ見られ、他の独立した系統による裏付けは確認できていない。本サイトはこの幅を保持したまま、日付までは「established」とせず「probable」として提案する。

優先権表現の射程についても、出典間に幅がある。米国国立医学図書館は「米国の医学校から医学博士号を取得した最初の女性」["the first woman to receive an M.D. degree from an American medical school"]と国名を明示して記す[SRC-01272]。これに対しNew York History誌の編纂記事導入部は「認可された医学校から医学博士号を受けた最初の女性」["the first woman to receive the degree of Doctor of Medicine from a recognized medical school"]、全米女性殿堂は「医学博士号を授与された最初の女性」["the first woman awarded the M.D. degree"]と、いずれも国名を限定しない、より広い射程で記している[SRC-01274][SRC-01275]。さらに同じNew York History誌に翻刻された目撃者デランシーの書簡は「世界がかつて経験したことのない最初の事例」と記し、射程を世界にまで広げている[SRC-01274]。本サイトは最も狭い米国国立医学図書館の射程に統一して「米国初」の範囲で主張し、それを超える評価は行わない。

論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
学生投票で賛成した理由 学生たち自身が投票を「冗談」として賛成した [SRC-01272] 米国国立医学図書館の公式解説記事の記述
学生投票で賛成した理由 学生たちは出願自体をライバル校の悪ふざけと思い込み面白がって賛成した [SRC-01275] 非営利顕彰団体の紹介記事の記述
卒業日の精度 1849年1月23日(日まで特定) [SRC-01274] 同時代の目撃者書簡とその紹介学術誌記事の記述
卒業日の精度 1849年(月日は特定せず) [SRC-01272][SRC-01275] 政府機関・非営利団体いずれも年のみ記す
優先権表現の射程 米国の医学校から医学博士号を取得した最初の女性(国名限定) [SRC-01272] 米国国立医学図書館の公式解説記事の記述
優先権表現の射程 認可された医学校から医学博士号を受けた最初の女性(国名限定なし) [SRC-01274] 学術誌掲載の編纂記事導入部の記述
優先権表現の射程 医学博士号を授与された最初の女性(限定なし) [SRC-01275] 非営利顕彰団体の紹介記事の記述
優先権表現の射程 世界がかつて経験したことのない最初の事例(世界) [SRC-01274] 同時代の目撃者個人の書簡の記述(帰属形で紹介するにとどめる)

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

ブラックウェルはその後、欧州での臨床研修を経て1851年にニューヨークへ戻ったが、大規模な施薬所の女性部門の職に応募して断られ、1853年に自ら小さな診療所を開いた[SRC-01272]。1857年には妹エミリー・ブラックウェル、マリー・ザクシェフスカとともにニューヨーク女性・小児科診療所を設立し、1867年にはこの施設に付属する女性のための医学校を開いた[SRC-01272]。全米女性殿堂は、彼女の教育水準が全員男子の医学校を上回るものであり、衛生・公衆衛生の重視を教育方針の柱としたと記す[SRC-01275]。

デランシーの手紙は結びで、この卒業式を「世界がかつて経験したことのない最初の事例」["the first instance the world has ever had, where the degree of M. D. was conferred on a Woman"]と評している[SRC-01274]。これは卒業式に居合わせた一目撃者個人が1849年当時に抱いた理解である。出典が実際に記す優先権の射程は一様ではなく、米国国立医学図書館は国名を明示する一方[SRC-01272]、他の出典はより広い、国名を限定しない射程で記している[SRC-01274][SRC-01275](射程の違いは「異説・論争」節で開示する)。本サイトは最も狭い米国国立医学図書館の射程に統一して「米国初」の範囲に限定して主張し、これを超えて「世界初」という評価を主張しない。

現代の視点

本記事の射程は、1849年1月23日のジュネーヴァ医科大学卒業という出来事と、それに至る入学の経緯に限定する。ブラックウェルのその後の詳しい生涯(欧州での活動、女性医学校の運営の詳細、晩年)や、現代の医学界における女性医師の割合・処遇をめぐる論点への接続は、本記事の主題外として扱わない(本サイトの整理)。

出典一覧

  1. [SRC-01272] Biography: Dr. Elizabeth Blackwell — Changing the Face of Medicine/National Library of Medicine(米国国立衛生研究所 NIH 傘下の国立医学図書館)(ランクA)
  2. [SRC-01273] Ship Fever: An Inaugural Thesis, Submitted for the Degree of M. D., at Geneva Medical College, Jan. 1849./The Buffalo Medical Journal and Monthly Review of Medical and Surgical Science(米国国立医学図書館 PubMed Central デジタルアーカイブ収載)(ランクS)
  3. [SRC-01274] Dr. Elizabeth Blackwell's Graduation — An Eye-Witness Account by Margaret Munro De Lancey/New York History(ニューヨーク州立歴史協会 The New York State Historical Association 発行の学術誌、1962年4月号 Vol.43, pp.182-185)/ Hobart and William Smith Colleges(学術アーカイブとしてPDF公開)(ランクA)
  4. [SRC-01275] Blackwell, Elizabeth|Women of the Hall/National Women's Hall of Fame(ランクB)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-16あり
22026-09-16あり
32026-09-16あり

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