1006年世界 11世紀

SN1006超新星——中国・日本・アラブ世界が、独立に記録した千年前の「客星」

日付と暦

原典表記
1006年4月30日(ユリウス暦)
換算
1006-04-30(ユリウス暦)
掲載日
4月30日のページ

暦の注記: この出来事は、本サイトが依拠する学術出典が1582年以前の出来事をユリウス暦に統一して記す時間枠組みの下で、1006年4月30日に起きたとみられる(ユリウス暦換算: 1006年4月30日、恒等変換)[SRC-02054]。この日付は、アラブ世界の記録(エジプト・イラク・北西アフリカ/スペイン・イエメンの年代記)に基づく「最も可能性の高い発見日」である。これとは別に、中国と日本の記録はそれぞれ独立に、これより1日遅い1006年5月1日(ユリウス暦)に発見されたと示す[SRC-02054]。本サイトでは04-30のページに掲載している。いずれの日付も、当時それぞれの文明が用いていたそれぞれの暦(アラブ世界はイスラム暦)で記録したものを、現代の天文学史研究がユリウス暦に統一して比定した値であり、本サイトが独自に換算したものではない[SRC-02054]。

この記事の主張は出典に紐づけて検証しています。検証記録を見る

概要

1006年4月末から5月初めにかけて、中国・日本・アラブ世界ではそれぞれ、見慣れない星が夜空に出現しているのに気づいた[SRC-02054]。現代の天文学でSN1006と呼ばれるこの超新星は、アラブ世界で1006年4月30日ごろ、中国と日本ではその翌日の5月1日に、独立に観測・記録された[SRC-02054]。中国の記録はこの天体を「金の円盤のよう」で「その光で物がはっきり見えるほど明るい」と描写し、日本側の記録は明るさの比較対象を火星とした[SRC-02054]。欧州でもスイス・ザンクトガレン修道院などの年代記に記録が残る[SRC-02054]。千年近く後の1965年、電波天文学の観測によって、この超新星が残した痕跡が同定された[SRC-02054]。現代の天文学では、その残骸は現在のおおかみ座の方向に位置づけられるとされる[SRC-02057]。

本文

中国の記録は、この新しい星についてもっとも詳しい情報を残している。正史をはじめとする複数の史料に観測が記録されており、太陽との合による中断を挟みながら、少なくとも3年間、1009年ごろまで断続的に観測され続けたことが分かっている(経過の詳細はタイムライン参照)[SRC-02054]。

日本でも、この天体は「客星」として、複数の独立した記録に残された[SRC-02054]。発見日は中国と同じ1006年5月1日だったとみられる[SRC-02054]。日本側の記録では、9月21日ごろまでこの天体が見えていたことが示唆されている[SRC-02054]。

アラブ世界でも、エジプト・イラク・北西アフリカ(またはスペイン)・イエメンなど複数地域の年代記に、この天体についての簡潔な記録が残る[SRC-02054]。最も可能性の高い発見日は、中国・日本より1日早い1006年4月30日である[SRC-02054]。

欧州でも、スイスのザンクトガレン修道院とイタリアのベネヴェント修道院の年代記にこの新しい星についての記述が残る[SRC-02054]。同時期の他の年代記には「彗星」が現れたという記述も複数あるが、同時期の中国側の記録に彗星の記録がないことから、これらも実際にはこの超新星を指すとみられている[SRC-02054]。ザンクトガレンの記録は天体の見え方に断続があったと記しており、天体が南の地平線すれすれにしか見えなかったことを示す手がかりとして、現代の研究で位置の推定に使われている[SRC-02054]。

歴史的背景

現代の天文学的研究では、SN1006はいくつかの手がかりからIa型超新星だったと考えられている[SRC-02055]。前近代の観測者たちにその正体は分からなかったが、見慣れた星座の中に忽然と現れ、やがて消えていく天体として記録された(本稿の整理)。中国では、複数の正史・年代記・伝記にこの天体の観測記録が残されている[SRC-02054]。日本の貴族社会でも、天体の異変は関心を集め、日記や史書に書き留められた[SRC-02054]。アラブ世界・欧州でも、それぞれの年代記記録の慣行の中でこの天体が書き残された[SRC-02054]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1006年4月17日ごろ(ユリウス暦・誤差±2日。2015年の研究による学説) イエメンの史料が、この天体のさらに早い発見を示唆する(異説・論争欄を参照) [SRC-02056]
1006年4月30日(ユリウス暦・配置日) アラブ世界の記録で、最も可能性の高い発見日とされる [SRC-02054]
1006年5月1日(ユリウス暦) 中国・日本でそれぞれ独立に発見される [SRC-02054]
1006年8月27日〜9月24日の間(ユリウス暦、中国側の記録) 中国側の記録で、天体が太陽に近づき見えなくなる [SRC-02054]
1006年9月1日ごろ(ユリウス暦、アラブ側の記録) アラブ側の記録で、天体が見えなくなったと示唆される [SRC-02054]
1006年9月21日ごろ(ユリウス暦、日本側の記録) 日本側の記録でも、この時期まで見えていたことが示唆される [SRC-02054]
1006年11月26日(ユリウス暦、中国側の記録) 中国で天体が再び観測される [SRC-02054]
1007年秋(ユリウス暦、中国側の記録) 中国側の記録で、天体が再び見えなくなる [SRC-02054]
1007年末〜1008年はじめ(ユリウス暦、中国側の記録) 天体が明け方の空に再出現する [SRC-02054]
1009年(ユリウス暦、中国側の記録) 天体がなお観測されていたとみられる [SRC-02054]
1230年(日本・寛喜2年。射程外・周辺情報) 藤原定家が『明月記』に、過去の客星出現の一つとしてこの天体を回顧的に記録したとされる [SRC-02058]
1965年(グレゴリオ暦) 電波天文学の観測により、この超新星の残骸と考えられる電波源が同定される(文献間で呼称表記に相違があり、異説・論争欄を参照) [SRC-02054]
2003年(グレゴリオ暦) 現代の天文学的手法により、最大視等級が-7.5±0.4と算出される [SRC-02055]
2015年(グレゴリオ暦) イエメンの2史料に基づく研究が発表され、さらに早い発見日の可能性が指摘される [SRC-02056]
異説・論争定説のない論点があります
論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
最初の発見日はいつか 中国・日本で1006年5月1日に、互いに独立に発見された [SRC-02054] 2003年刊の学術レビューが示す、中国・日本2系統の記録が一致する発見日
同上 アラブ世界では、中国・日本より1日早い1006年4月30日に発見されたとみられる(最も可能性が高いとされる日付) [SRC-02054] 同じ学術レビューが提示する、アラブ側記録に基づく発見日
同上 イエメンの2つの史料(14〜16世紀の著述家による報告とみられる)に基づけば、さらに早い1006年4月17日ごろ(誤差±2日)に発見されていた可能性がある [SRC-02056] 2015年の研究による学説。このうち1史料(Ibn al-Dayba の報告)の英訳は、2002年刊のStephenson & Greenの研究で既に紹介されていたとされる[SRC-02056]。2015年の研究の新規性は、原アラビア語本文の初公表と、もう一方の史料(al-Yamani の報告)による、より早い発見の指摘にあるとされる[SRC-02056]
天体が見えなくなった時期 中国側の記録では1006年8月27日〜9月24日の間に太陽に近づいて見えなくなったとされる [SRC-02054] 中国側記録に基づく推定
同上 日本側の記録では9月21日ごろまで見えていたことが示唆される [SRC-02054] 日本側記録に基づく推定。中国側の推定幅と重なる範囲にある
同上 アラブ側の記録では、日本より数週間早い9月1日ごろに見えなくなったと示唆される [SRC-02054] アラブ側記録に基づく推定。日本側で報告が途絶える数週間前にあたる
残骸の電波源としての記号表記 同一天体を指すとみられる電波源の呼称表記が、出典間・同一出典内で一致しない(SRC-02054本文は「PKS 1459−51」「G327·4+14·6」、同論文Table 1は「SNR327.6+14.6」、SRC-02055は「G327.6+14.6」、SRC-02057は「PKS 1459−41」) [SRC-02054], [SRC-02055], [SRC-02057] 対立する学説ではなく記号表記の相違。本サイトはこの相違を不判定のまま開示する

関連する出来事

この天体は、現代の天文学的研究ではいくつかの手がかりからIa型超新星だったと考えられている[SRC-02055]。千年近く後の1965年、電波天文学の観測技術の発展により、この爆発が残した痕跡(超新星残骸)が実際に同定された[SRC-02054]。これは本記事の主題(1006年当時の複数文明にわたる観測記録)の後日談にあたる。

関連人物

歴史的意義

SN1006は、現代の天文学的手法による算出で最大視等級-7.5±0.4とされ、歴史的観測に基づく推定値の幅のちょうど中間に位置する[SRC-02055]。中国・日本・アラブ世界・欧州という複数の文明がそれぞれ独立にこの天体を記録したことは、現代の天文学者がこの超新星の出現日・経過・位置を復元するための手がかりとなっている[SRC-02054]。1965年の残骸同定は、こうした千年近く前の文献記録と現代の電波天文学的観測を結びつけた成果である[SRC-02054]。

現代の視点

現代の天文学では、超新星残骸は電波・X線など複数の波長で観測される対象である(本稿の整理)。SN1006の残骸についても、1965年の同定以降、観測研究が続けられている[SRC-02054]。一方、1006年当時の観測者たちにとって、この天体の正体は知る由もない現象であり、それぞれの記録の慣行の中でこれを書き留めた。同じ天体を、複数の文明が独立に記録していたという事実そのものを、現代の歴史天文学研究が文明横断の資料として結びつけた(本稿の整理)。

出典一覧

  1. [SRC-02054] The Historical Supernovae(David A. Green・F. Richard Stephenson著。『Supernovae and Gamma-Ray Bursters』Lecture Notes in Physics 598所収、Springer-Verlag、2003年刊の学術レビュー論文。arXiv版 astro-ph/0301603)/arXiv(Cornell University)/ Springer-Verlag(Lecture Notes in Physics 598, ed. K.W. Weiler)(ランクA)
  2. [SRC-02055] The SN 1006 Remnant: Optical Proper Motions, Deep Imaging, Distance, and Brightness at Maximum(P.F. Winkler・Gaurav Gupta・Knox S. Long著、The Astrophysical Journal 585巻1号、2003年刊。arXiv版 astro-ph/0208415)/The Astrophysical Journal(American Astronomical Society)/ arXiv(Cornell University)(ランクA)
  3. [SRC-02056] Supernova SN 1006 in two historic Yemeni reports(Wafiq Rada・Ralph Neuhäuser著、Astronomische Nachrichten 336巻3号、2015年刊。arXiv版 1508.06126)/Astronomische Nachrichten(Wiley)/ arXiv(Cornell University)(ランクA)
  4. [SRC-02057] SN 1006 — Wikipedia(英語版)/Wikimedia Foundation(ランクC)
  5. [SRC-02058] SN 1006 — Wikipedia(日本語版)/Wikimedia Foundation(ランクC)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-10-02—
22026-10-02あり
32026-10-02あり
42026-10-02なし
52026-10-09なし

訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。