1910年世界 20世紀

マーク・トウェインが1910年4月21日に死去——ハレー彗星とともに来て、ともに去ると語っていた作家の最期

日付と暦

原典表記
1910年4月21日(グレゴリオ暦)
換算
1910-04-21(グレゴリオ暦)
掲載日
4月21日のページ

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概要

1910年4月21日、作家マーク・トウェイン(本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ)は、米国コネチカット州レディングの自邸ストームフィールドで74歳で死去した[SRC-01981][SRC-01982][SRC-01983]。当時の伝記作者アルバート・ビゲロー・パインによれば、トウェインは晩年、狭心症とみられる発作を繰り返し患っていた[SRC-01983][SRC-01985]。パインの伝記には、1909年ごろトウェインが「私は1835年、ハレー彗星とともにやってきた。それは来年また戻ってくる。私はそれとともに去るつもりだ」という趣旨を語ったと記されている[SRC-01985]。トウェインが生まれた1835年はハレー彗星が地球に接近した年であり[SRC-01983][SRC-01986]、彼が死去した1910年4月21日は、その彗星が前日の4月20日に太陽へ最も近づいた(近日点を通過した)翌日にあたる[SRC-01985][SRC-01983]。遺体はニューヨーク州エルマイラへ運ばれ、4月24日、先に死去した妻・息子・娘たちの傍らにあるウッドローン墓地に埋葬された[SRC-01982][SRC-01984][SRC-01985]。

本文

トウェインは1908年6月、コネチカット州レディングに新築した邸宅に転居した[SRC-01982][SRC-01983]。当初「イノセンツ・アット・ホーム」と名付けたかったが、娘クララの勧めで、自らの短編にちなみ「ストームフィールド」と呼ばれるようになった[SRC-01982]。晩年のトウェインは、胸と左腕に激しい痛みが走る発作――狭心症、すなわち冠動脈の詰まりと心臓発作の前触れとされる症状――を繰り返し経験するようになっていたという[SRC-01983]。パインの伝記は、1909年6月にボルティモアで最初に胸の痛みの発作が起きた際、それを「後に彼の命を奪うことになる狭心症の、最初の明確な発現だった」と記しており、1909年秋の発作についても「狭心症というものは奇妙な病だ」と記している[SRC-01985]。パインの伝記によれば、1909年ごろ、トウェイン自身も「私はある種の心臓病にかかっている」と述べ、主治医クインタードからは血圧が高すぎることのみを告げられ、それがすぐに命を奪うものか、20年ほど苦しみながら長引くものかは知らされなかった、と語っていたという[SRC-01985]。

1909年10月、娘クララが結婚して12月初旬に欧州へ発ち、その後まもなく、もう一人の娘ジーンが12月24日に死去した[SRC-01982]。トウェインは悲嘆のあまり葬儀にも出席できなかったとされる[SRC-01982]。悲しい記憶からの逃避として、1910年1月にバミューダへ旅行したが、4月初旬には激しい胸痛に見舞われるようになった[SRC-01982][SRC-01983]。伝記作者パインが合流し、二人でストームフィールドへ戻った[SRC-01982]。

死去の4日前にあたる4月17日夜、医師ハルジーとの会話(パインが「トウェインが行った最後のまとまった会話だったと思う」と記す一幕)の中で、トウェインは咳の発作の後、「咳に手出しをすると、たちまち咳の方が優位に立ってしまう。それが私の74年の経験からの意見だ」という趣旨の言葉を口にしたと、パインは記録している[SRC-01985]。

死去当日の1910年4月21日(木曜)朝、トウェインの意識は概ね明瞭だったとパインは記す[SRC-01985]。PBSに寄稿した医学史家ハワード・マーケル医師によれば、この日トウェインは寝室に差し込む陽光を見て喜び、この2日間で初めて起き上がり家族と会話したという[SRC-01983]。トマス・カーライルのフランス革命史を求めたが、眼鏡がないことに気づき、声はかすれて聞き取れず、代わりに紙に書こうとした。それが生涯最後に書いたものになったとされる[SRC-01983]。マーケルが引用する翌朝のニューヨーク・タイムズ紙の記事によれば、その後トウェインは静かに本を置いてため息をつき、やがて眠くなったように枕に身を沈め、次第に意識が薄れ、午後3時には完全に意識を失ったという[SRC-01983]。正午過ぎには娘クララの手を取り「さようなら」と告げ、医師クインタードには、聞き取りにくい声で「もし会えたら」と続けたようにも聞こえたと、パインは記している[SRC-01985]。パインの伝記は、穏やかな春の午後を通じて生命の火が次第に弱まり、太陽がちょうど地平線にかかる「午後6時半ごろ」に息を引き取ったと記す[SRC-01985]。一方、マーケルが引用する当時のニューヨーク・タイムズ紙は、家族が枕元に集まる中「午後6時22分」に息を引き取ったと、より具体的な時刻を伝えている[SRC-01983]。

歴史的背景

ハレー彗星は、約76年周期で太陽に接近する彗星である[SRC-01986]。トウェインが生まれた1835年と、彼が死去した1910年は、いずれもこの彗星が回帰した年にあたる[SRC-01983][SRC-01986]。米国航空宇宙局(NASA)によれば、近日点通過(太陽に最も近づく時点)から次の近日点通過までの間隔は、最短で74.42年(1835年〜1910年)だったとされる[SRC-01986]。パインの伝記に付された脚注は、1835年の近日点通過を11月16日、1910年のそれを4月20日と記している[SRC-01985]。トウェインが生まれたのは1835年11月30日であり[SRC-01981][SRC-01983]、これは彗星の近日点通過から2週間ほど後にあたる。PBSに寄稿したマーケル医師は、トウェインが生まれた夜、生誕地ミズーリ州フロリダの上空にハレー彗星の輝かしい姿が見えていたと述べている[SRC-01983]。

パインの伝記によれば、1909年ごろ、トウェインは天文学的な話題――アルファ・ケンタウリまでの距離や光年の計算――に強い関心を寄せていた時期があり、その延長で、自らの誕生と彗星の関係についてこう語ったという。

"I came in with Halley's comet in 1835. It is coming again next year, and I expect to go out with it. It will be the greatest disappointment of my life if I don't go out with Halley's comet. The Almighty has said, no doubt: 'Now here are these two unaccountable freaks; they came in together, they must go out together.'"(本サイト訳: 私は1835年、ハレー彗星とともにやってきた。それは来年また戻ってくる。私はそれとともに去るつもりだ。もしそうならなければ、私の人生における最大の落胆になるだろう。全能の神はきっとこう仰せになっているに違いない――「ここに二つの説明のつかない気まぐれ者がいる。一緒にやってきたのだから、一緒に去らねばならない」と)[SRC-01985]

この発言は、パインの伝記の章の配列(直後に1909年7月14日付の日記引用が続く)から、1909年6月から7月ごろになされたと推定される。もっとも、パイン自身はこの発言の正確な日付を明記していない[SRC-01985]。この発言に続けて、トウェインは主治医から告げられた心臓病についても語っている(前述「本文」参照)[SRC-01985]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1835-11-16(グレゴリオ暦) ハレー彗星、1835年の回帰で近日点を通過 [SRC-01985]
1835-11-30(グレゴリオ暦) マーク・トウェイン、米国ミズーリ州フロリダに生まれる [SRC-01981][SRC-01983]
1908年6月(グレゴリオ暦・月まで) コネチカット州レディングの新邸宅(後の「ストームフィールド」)に転居 [SRC-01982][SRC-01983]
1909年6月〜7月ごろ(グレゴリオ暦・本サイトの推定) 伝記作者パインに「ハレー彗星とともに去りたい」という趣旨を語る [SRC-01985]
1909-12-24(グレゴリオ暦) 娘ジーン、死去 [SRC-01982]
1910年1月(グレゴリオ暦・月まで) バミューダへ旅行 [SRC-01982][SRC-01983]
1910年4月初旬(グレゴリオ暦) 激しい胸痛に見舞われ、パインと共にストームフィールドへ帰還 [SRC-01982][SRC-01983]
1910-04-20(グレゴリオ暦) ハレー彗星、1910年の回帰で近日点を通過 [SRC-01985][SRC-01983]
1910-04-21(グレゴリオ暦) ストームフィールドで死去(享年74) [SRC-01981][SRC-01982][SRC-01983][SRC-01985]
1910-04-24(グレゴリオ暦) ニューヨーク州エルマイラのウッドローン墓地に、妻・娘たちの傍らに埋葬される [SRC-01984][SRC-01985]
異説・論争定説のない論点があります

本記事が調査した範囲では、死去の日付(1910年4月21日)・死去場所(ストームフィールド)・享年(74歳)・埋葬地(ウッドローン墓地)・埋葬日(4月24日)について、出典間で対立する記述は確認されなかった。以下、記述の粒度・性質が出典間で異なる2点と、記述が真正面から対立する1点を記録する。

論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
死去時刻の精度 パインの伝記(当事者による同時代の記録)は「午後6時半ごろ、太陽がちょうど地平線にかかる頃」という近似的な時刻を記す [SRC-01985] 対立する2説ではなく、記述の精度が異なる2つの系統。パインの記述は目撃者による大まかな時刻描写、ニューヨーク・タイムズ紙の記述は翌日の報道記事による分単位の記録という性質の違いに由来するとみられる
同上 マーケル医師(PBS掲載)は、翌朝のニューヨーク・タイムズ紙一面記事を引用し「午後6時22分」というより具体的な時刻を記す [SRC-01983] 同上
死因の医学的記述の粒度 トウェイン本人は主治医から「ある種の心臓病」とのみ告げられ、具体的な病名までは知らされなかったと、パインは記す [SRC-01985] 対立する2説ではなく、語り手による粒度の違い。トウェイン自身が把握していた情報(主治医の説明)と、伝記作者パイン自身が地の文で用いた診断名(狭心症)、現代の医学史家による遡及的な解釈(心臓発作)は、それぞれ異なる立場からの記述である
同上 伝記作者パイン自身は、地の文で1909年の発作を「後に彼の命を奪うことになる狭心症の、最初の明確な発現」と記している [SRC-01985] 同上
同上 現代の医学史家(PBS掲載マーケル医師)は、晩年の症状を狭心症(angina pectoris)と特定し、死因を心臓発作と記す [SRC-01983] 同上
生涯最後に書いたものについての記述 PBS掲載の医学史家マーケル医師は、死去当日に眼鏡が見つからず紙に書こうとした要求を「生涯最後に書いたもの」と記す [SRC-01983] 出典間で真正面から対立する記述。両者は「死去当日に物理的に最後に書いた文字」と「生涯で最後に構想・執筆した作品」として両立しうるが、本記事はいずれの整理が正しいかを判定しない
同上 HISTORYは、短編『あの世の作法——パインへの助言』(1995年に全文初公刊)を「最後に書いた文章だったとみられる」と記す [SRC-01982] 同上

上記以外に確認された異説: なし(調査範囲: 死去の日付・場所・享年・埋葬地・埋葬日、ハレー彗星の1835年・1910年の近日点通過日、トウェインの生年月日について、ブリタニカ百科事典・HISTORY・PBS NewsHour・エルマイラ大学トウェイン研究センター・パインの伝記・NASA公式サイトの計6出典を確認した。このうち「生涯最後に書いたもの」については上表のとおりHISTORY・PBSの記述が対立しており、その他の論点については対立する説は見当たらなかった)。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

パインは、世界中が一人の死をこれほど悲しんで一つになったことはかつてなかったのではないか、という趣旨を伝記に記しており、各国から哀悼の電報が届いたと述べている[SRC-01985]。同時に、彼自身が語ったとされるハレー彗星についての発言――自らの誕生と彗星の回帰を結びつけ、彗星とともに世を去りたいと望んだという逸話――は、パインの伝記に記録された本人の発言と、天文学的に確認できる彗星の近日点通過日という、それぞれ出典に基づく2つの事実からなる[SRC-01985][SRC-01986]。本記事は、この逸話を「予言が的中した」という物語としてではなく、その2つの事実として別々に紹介した。

現代の視点

以下は本稿の整理である。ハレー彗星は約76年周期で地球に接近することが知られており、次に接近するのは2061年ごろとされる[SRC-01986]。トウェインの誕生と死去がこの彗星の2度の接近とそれぞれ近接した時期に重なったこと自体は、出典に基づいて確認できる事実である一方、この符合そのものに何らかの因果関係や超自然的な意味があるとする見解は、本記事が確認した出典の範囲では示されていない。本サイトはこの符合について、偶然の一致以上の意味づけを行わない。

出典一覧

  1. [SRC-01981] Mark Twain | Books, Cause of Death, Quotes, House, & Famous Works | Britannica/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
  2. [SRC-01982] Mark Twain - Quotes, Name & Book/HISTORY(A&E Television Networks)(ランクB)
  3. [SRC-01983] Mark Twain's weird but perfect ending/PBS NewsHour(ランクB)
  4. [SRC-01984] Timeline/Center for Mark Twain Studies, Elmira College(ランクA)
  5. [SRC-01985] Mark Twain: A Biography. Volume III, Part 2: 1907-1910/Albert Bigelow Paine(原著初版: Harper & Brothers, 1912/電子化: Project Gutenberg)(ランクB)
  6. [SRC-01986] 1P/Halley/NASA(アメリカ航空宇宙局)(ランクS)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-29あり
22026-09-29あり

訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。