1949年世界 20世紀

北大西洋条約調印——1949年4月4日、ワシントンで12カ国が結んだ集団防衛

日付と暦

原典表記
1949年4月4日(グレゴリオ暦)
換算
1949-04-04(グレゴリオ暦)
掲載日
4月4日のページ

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概要

1949年4月4日、ワシントンD.C.のデパートメンタル講堂で、アメリカ合衆国国務長官ディーン・アチソンは、ベルギー・カナダ・デンマーク・フランス・アイスランド・イタリア・ルクセンブルク・オランダ・ノルウェー・ポルトガル・イギリスの代表とともに、北大西洋条約に署名した[SRC-01844][SRC-01845]。条約第5条は、欧州または北米における一国以上への武力攻撃を全締約国への攻撃とみなし、各国が攻撃を受けた締約国を援助して安全を回復・維持することに合意する、と定める[SRC-01844]。この日に調印された条約が実際に効力を持ったのは調印から約4か月半後、必要な批准書の寄託が出そろった1949年8月24日である[SRC-01844]。

本文

1949年4月4日、ワシントンD.C.のデパートメンタル講堂(Departmental Auditorium)で条約の調印式が開かれた[SRC-01845]。条約はアメリカ合衆国・ベルギー・カナダ・デンマーク・フランス・アイスランド・イタリア・ルクセンブルク・オランダ・ノルウェー・ポルトガル・イギリスの原加盟12カ国の全権代表によって署名され、アメリカ合衆国代表を務めたのは国務長官ディーン・アチソンだった[SRC-01844]。アチソンは同日付で、ワシントンで署名された条約原本の写しが真正であることを認証した[SRC-01844]。

条約の中心は第5条である。第5条は、欧州または北米における一国以上への武力攻撃を全締約国への攻撃とみなし、各国が国連憲章第51条が認める個別的・集団的自衛権に基づき、攻撃を受けた締約国を、単独および他の締約国と共同して、武力の使用を含め必要と認める行動を直ちにとることによって援助し、北大西洋地域の安全を回復・維持することに合意する、と定める[SRC-01844]。武力攻撃自体および、それを受けてとられたすべての措置は直ちに国連安全保障理事会へ報告される[SRC-01844]。条約はまた、発効から10年経過後はいつでも締約国の要請により見直しの協議ができ(第12条)、20年経過後は脱退の1年前予告により締約国が脱退できる(第13条)とも定める[SRC-01844]。

条約は署名をもって直ちに効力を持ったわけではない。第11条は、ベルギー・カナダ・フランス・ルクセンブルク・オランダ・イギリス・アメリカの批准を含む署名国の過半数が批准書を寄託して初めて、批准した国の間で条約が発効すると定めていた[SRC-01844]。批准書の寄託は1949年5月3日のカナダに始まり、6月7日イギリス、6月16日ベルギー、6月27日ルクセンブルク、7月8日ノルウェー、7月25日アメリカ、8月1日アイスランド、8月12日オランダと続いた[SRC-01844]。最後まで残っていたデンマーク・フランス・イタリア・ポルトガルの4カ国が8月24日にそろって批准書を寄託し、この日、条約は発効した[SRC-01844]。同日、トルーマン大統領は条約の発効を布告し、アチソン国務長官がこれに連署した[SRC-01844]。

歴史的背景

米国務省歴史局の解説によれば、第二次世界大戦後、ソ連がマーシャル・プラン(欧州復興計画)への参加を拒み、東欧の衛星国にも参加を認めなかったことが東西の分断を強め、ギリシャ内戦とトルコを巡る緊張、チェコスロバキアでの共産主義政権樹立、1948年半ばのベルリン封鎖という一連の出来事が、西欧諸国と米国に安全保障上の危機感を抱かせた[SRC-01846]。NATO公式サイトの解説によれば、1948年1月にはイギリス外相アーネスト・ベヴィンが「同盟及び相互援助の条約」["treaty of alliance and mutual assistance"]の必要性を説いていた[SRC-01845]。

こうした情勢を受け、1948年3月、イギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクの5カ国がブリュッセル条約に調印し、集団防衛を定める西欧同盟を結成した[SRC-01845]。同年5月、米上院はヴァンデンバーグ決議を採択し、平時に米国が集団防衛体制へ参加する道を憲法上開いた[SRC-01845]。

NATO公式サイトの解説によれば、1948年9月9日にはいわゆる「六カ国協議」を経てワシントン文書が作成され、同年12月10日から大使委員会による正式交渉が始まり、1949年3月8日からはデンマーク・アイスランド・イタリア・ノルウェー・ポルトガルも交渉に加わった[SRC-01845]。条約の対象範囲を巡っては、ブリュッセル条約締約国が加盟国をブリュッセル条約参加国と米国に限定したい意向を示した一方、米国側の交渉担当者はカナダ・アイスランド・デンマーク・ノルウェー・アイルランド・ポルトガルを含めるべきだと主張した、と米国務省歴史局は説明する[SRC-01846]。もっとも、NATO公式サイトの解説によれば、アイルランドへの加盟打診はその後の検討で見送られ、最終的な原加盟国には含まれなかった[SRC-01845]。条約の存続期間についても交渉国の間で意見が割れ、20年を望む国と10年を超える期間は不要だとする国が対立したが、最終的にはポルトガルの主張により、10年経過後に見直し協議ができる(第12条)、20年経過後に脱退できる(第13条)という二段構えになった、とNATO公式サイトは説明する[SRC-01845]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1948年1月(グレゴリオ暦) イギリス外相アーネスト・ベヴィンが「同盟及び相互援助の条約」["treaty of alliance and mutual assistance"]の必要性を説く(本記事の主題の射程外) [SRC-01845]
1948年3月(グレゴリオ暦) イギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクがブリュッセル条約に調印(本記事の主題の射程外) [SRC-01846]
1948年9月9日(グレゴリオ暦) 六カ国協議を経てワシントン文書が作成される(本記事の主題の射程外) [SRC-01845]
1948年12月10日(グレゴリオ暦) ワシントンで大使委員会による正式交渉が始まる(本記事の主題の射程外) [SRC-01845]
1949年3月8日(グレゴリオ暦) デンマーク・アイスランド・イタリア・ノルウェー・ポルトガルが交渉に加わる(本記事の主題の射程外) [SRC-01845]
1949年4月4日(グレゴリオ暦) 北大西洋条約がワシントンで調印される(本記事の主題) [SRC-01844][SRC-01845]
1949年5月3日〜8月24日(グレゴリオ暦) 12カ国が順次批准書を寄託する [SRC-01844]
1949年8月24日(グレゴリオ暦) 条約が発効し、トルーマン大統領がこれを布告する(本記事の主題) [SRC-01844]
1949年10月(グレゴリオ暦) 米議会が相互防衛援助計画(約14億ドル)を可決(本記事の主題の射程外) [SRC-01846]
1952年(グレゴリオ暦) ギリシャ・トルコが加盟(本記事の主題の射程外) [SRC-01846]
1955年(グレゴリオ暦) 西ドイツが加盟し、ソ連がワルシャワ条約機構を結成(本記事の主題の射程外) [SRC-01846]
異説・論争定説のない論点があります

本サイトが確認した範囲では、条約の調印日(1949年4月4日)・発効日(1949年8月24日)・原署名国の数と国名について、出典間の実質的な対立は見当たらなかった。一方、以下の点で出典間に記述の相違がある。

論点1: 条約第5条・第11条の英語逐語には、複数の公式転載間で微細な字句の相違がある。 1949年の官報掲載版(Statutes at Large)は第5条を「... shall be considered an attack against them all; and consequently ...」とセミコロンで区切るのに対し[SRC-01844]、1957年の米国務省文書集からの転載(Avalon Project)は「... against them all, and consequently ...」とコンマを用い[SRC-01847]、NATOが現在公式サイトで公開する版は読点を欠き「... against them all and consequently ...」と続ける[SRC-01848]。第11条についても、官報版とNATO現行版はいずれも「the ratifications of the majority」と複数形を用いるのに対し[SRC-01844][SRC-01848]、Avalon版は前段のみ「the ratification of the majority」と単数形になっている(後段の列挙部分「the ratifications of Belgium, Canada, ...」はいずれの版も複数形)[SRC-01847]。本サイトが確認した範囲では、これらの相違が条文の法的な意味を変えるとする記述は見当たらず、転記・組版上の異同と考えられる(この整理自体は本サイトによるものである)。本記事の条文逐語引用には、条約成立当時に米国政府が発行した官報掲載版(Statutes at Large)を優先して用いた。

論点2: 調印式の会場(デパートメンタル講堂)を明記するのはNATO公式サイトのみである。 1949年の官報(Statutes at Large)は「ワシントン」とのみ記し、具体的な建物名を記していない[SRC-01844]。米国務省歴史局の解説は、調印地そのものを記していない(本サイトが平文を機械走査して確認した)[SRC-01846]。本記事は、単独の出典が明記する情報として、会場名の記述をこの出典に限定して帰属させた。

論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
第5条の句読点 セミコロン区切り「... all; and consequently ...」 [SRC-01844] 1949年、条約成立当時の官報一次掲載
第5条の句読点 コンマ区切り「... all, and consequently ...」 [SRC-01847] 1957年の米国務省文書集からの転載(Avalon Project)
第5条の句読点 読点なし「... all and consequently ...」 [SRC-01848] NATOが現在公式サイトで公開する版
調印式の会場 デパートメンタル講堂(Departmental Auditorium)と明記 [SRC-01845] NATO公式サイトの単独明記
調印式の会場 「ワシントン」とのみ記し建物名を明記しない [SRC-01844] 1949年の官報
調印式の会場 調印地そのものを記していない [SRC-01846] 米国務省歴史局の解説

関連する出来事

北大西洋条約の調印に先立ち、1948年3月にイギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクがブリュッセル条約に調印し、集団防衛を定める西欧同盟を結成していた[SRC-01845]。米国務省歴史局の解説によれば、条約調印後の1949年10月には米議会が相互防衛援助計画を可決して西欧諸国の防衛構築のための予算を計上し、その後の朝鮮戦争の勃発を機に加盟国は統合司令部の整備を急いだ[SRC-01846]。同解説は、1952年にギリシャ・トルコが、1955年に西ドイツが加盟し、西ドイツ加盟を受けてソ連がワルシャワ条約機構を結成した、とも記す[SRC-01846](詳細は「現代の視点」参照)。

関連人物

国務長官ディーン・アチソン(でぃーん・あちそん)は、アメリカ合衆国代表として条約に署名し、条約原本の写しが真正であることを1949年4月4日付で認証したほか、同年8月24日のトルーマン大統領による発効布告にも国務長官として連署した[SRC-01844]。

ハリー・S・トルーマン大統領は、調印式そのものへの列席は出典から確認できなかったが、1949年8月24日、条約の発効を布告した[SRC-01844]。

他の11カ国の全権代表(ベルギー・カナダ・デンマーク・フランス・アイスランド・イタリア・ルクセンブルク・オランダ・ノルウェー・ポルトガル・イギリス、各2名ずつ計22名)の氏名は官報の付記に記録されている(例: イギリス代表は外相アーネスト・ベヴィンと駐米大使オリヴァー・フランクス)[SRC-01844]。本記事は条約という出来事の骨子(調印・第5条・発効)を主題とするため、個々の代表についてはEntityとしての人物登録は行っていない。

歴史的意義

米国務省歴史局の解説は、この条約が米国にとって西半球の外で結んだ最初の平時軍事同盟だったと位置づける[SRC-01846]。同解説はまた、条約調印後に相互防衛援助計画が可決され、朝鮮戦争を経て加盟国が統合司令部の整備を急いだこと、1952年にギリシャ・トルコが、1955年に西ドイツが加盟したこと、西ドイツ加盟がソ連によるワルシャワ条約機構結成を招いたことを記す[SRC-01846]。

条約の本文自体は、1949年の調印から現在に至るまで書き換えられたことがない、とNATO公式サイトは説明する[SRC-01845]。同サイトによれば、新規加盟国の加入は加入議定書の積み重ねによるものであり、条約本文の書き換えではない[SRC-01845]。

現代の視点

米国務省歴史局の解説は、条約が冷戦の産物として結ばれながらも冷戦終結後も存続し、旧ソ連の構成国だった国々の一部を含む形で加盟国を拡大し、今日も世界最大の平時軍事同盟であり続けているとする[SRC-01846]。冷戦後の同盟拡大やその評価を巡っては今日まで議論が続いているが、これは現代の政治的な論点であり、本記事はその是非の判断には立ち入らない。本記事が扱うのは、1949年4月4日の調印と同年8月24日の発効という、1949年当時の出来事そのものである。

出典一覧

  1. [SRC-01844] United States Statutes at Large, Volume 63, p. 2241: North Atlantic Treaty between the United States of America and other governments. Signed at Washington April 4, 1949 [T.I.A.S. 1964]/アメリカ合衆国政府刊行局(U.S. Government Publishing Office)— govinfo.gov(連邦官報局/国立公文書記録管理局の連邦官報プログラム)(ランクS)
  2. [SRC-01845] Founding treaty/北大西洋条約機構(NATO)公式サイト(ランクA)
  3. [SRC-01846] North Atlantic Treaty Organization (NATO), 1949/アメリカ合衆国国務省 歴史局(Office of the Historian, U.S. Department of State)(ランクA)
  4. [SRC-01847] NATO Treaty; April 4, 1949/The Avalon Project, Lillian Goldman Law Library, Yale Law School(ランクA)
  5. [SRC-01848] The North Atlantic Treaty/北大西洋条約機構(NATO)公式サイト(ランクA)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-28—
22026-09-28あり
32026-09-28あり

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