1930年世界 20世紀

ガンディー、塩の行進を開始

日付と暦

原典表記
1930年3月12日(グレゴリオ暦)
換算
1930-03-12(グレゴリオ暦)
掲載日
3月12日のページ

この記事の主張は出典に紐づけて検証しています。検証記録を見る

概要

1930年3月12日、インド独立運動の指導者マハトマ・ガンディーは、英領インド西部グジャラート地方のサバルマティー・アシュラムから、海岸の町ダンディーを目指して行進を開始した[SRC-01660][SRC-01662][SRC-01663][SRC-01664]。この行進は、英当局が課す塩税と製塩の専売に対する非暴力の抵抗として計画されたものである[SRC-01660][SRC-01662][SRC-01665]。ガンディーと同行者は24日間の行進を経て[SRC-01661]、1930年4月5日にダンディーへ到達した[SRC-01660][SRC-01662][SRC-01663][SRC-01665]。翌6日朝、ガンディーは海岸で塩を拾い上げ、製塩を禁じた英当局の法を技術的に破った[SRC-01660][SRC-01662][SRC-01663][SRC-01665]。この一連の行動は「塩の行進」「ダンディー行進」などと呼ばれ、その後数か月にわたる大規模な市民的不服従運動の発端になったとBritannicaは記す[SRC-01660][SRC-01661]。

本文

出発に先立つ1930年3月2日、ガンディーは英領インド副王アーウィン卿に宛てて書簡を送った[SRC-01662][SRC-01663]。HISTORYは、この書簡でガンディーが10日以内に塩税法を破る市民的不服従を開始する旨を予告したと記す[SRC-01662]。塩は貧富を問わずインドの全人口が必要とする日用品でありながら、英当局が製造・販売を独占し重税を課していたため、ガンディーはこれを不服従運動の出発点に選んだ[SRC-01660][SRC-01662]。

1930年3月12日、ガンディーはサバルマティー・アシュラムを出発した[SRC-01660][SRC-01662][SRC-01663][SRC-01664]。同行した人数は、mkgandhi.orgとサバルマティー・アシュラム公式サイトがいずれも78名と記す一方、国立塩サッティヤーグラハ記念館の公式サイトは80名と記しており、出典間で幅がある[SRC-01663][SRC-01664][SRC-01665]。行進の距離についても、出典によって数値が異なる。Britannica・HISTORYは約240マイル(約385km)と記す[SRC-01660][SRC-01662]。mkgandhi.org・サバルマティー・アシュラム公式・同記念館は241マイルと記す[SRC-01663][SRC-01664][SRC-01665]。同記念館の公式サイトは別の記述で390キロメートルとも記しており、241マイル換算(約388km、本サイトによる換算)との間に数キロメートルの差がある[SRC-01665]。

行進の間、ガンディーは沿道の村で日々演説し、参加者は日を追うごとに増えていったとBritannica・HISTORYは記す[SRC-01660][SRC-01662]。ガンディーと同行者は、24日間の行進の末に[SRC-01661]、1930年4月5日にダンディーへ到達した[SRC-01660][SRC-01662][SRC-01663][SRC-01665]。到達した時点でガンディーに従う人々は数万人規模に膨らんでいたとHISTORYは記す[SRC-01662]。翌6日朝、ガンディーは祈りと沐浴を行ったのち海岸で塩を拾い上げ、製塩を禁じる英当局の法を技術的に破った[SRC-01663]。Britannica・HISTORY・mkgandhi.org・国立塩サッティヤーグラハ記念館はいずれも、この所為を海岸の塩を拾い上げた行為として記す[SRC-01660][SRC-01662][SRC-01663][SRC-01665]。HISTORYは、警察が海岸の塩の結晶を事前に泥へ砕いていたため、ガンディーは泥の中から塩の塊を拾い上げたと記す[SRC-01662]。国立塩サッティヤーグラハ記念館の公式サイトは、これとは別の記述で、海水を煮詰めて製塩したことで英当局の塩の専売が破られたとも要約しており、同一出典内で製塩の表現に揺れがある[SRC-01665]。出発の3月12日と、海岸到達・製塩の4月5〜6日は、いずれも塩の行進を構成する別個の日付であり、本記事はこのうち行進の開始日(3月12日)を配置日とする。

歴史的背景

英領インドの塩税・製塩専売の淵源について、出典の記述には幅がある。HISTORYは「英国の1882年塩法(Salt Act)がインド人による塩の採取・販売を禁じた」と記す一方[SRC-01662]、行進の到達地ダンディーに建つ国立塩サッティヤーグラハ記念館の公式サイトは「英国による統治が始まった直後の1857年に課された塩法」と記しており、本サイトが確認した範囲ではいずれの年代がより正確かを判定する記述は見当たらない[SRC-01665]。いずれの出典も、この専売と重税が貧しい人々に重くのしかかっていたとする点では一致する[SRC-01660][SRC-01662][SRC-01665]。

ガンディーは約20年間の南アフリカ滞在を経て1915年にインドへ帰国し、インド独立運動に加わった[SRC-01662]。塩税は貧富を問わず影響が及ぶ日用品への課税であったため、ガンディーはこれを「非暴力・不服従(サティヤーグラハ)」運動の統一的な主題(テーマ)に選んだとHISTORYは記す[SRC-01662]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1930年3月2日(グレゴリオ暦) ガンディーが英領インド副王アーウィン卿に書簡を送り、市民的不服従の開始を予告 [SRC-01662][SRC-01663]
1930年3月12日(グレゴリオ暦) ガンディーがサバルマティー・アシュラムを出発(本記事の配置日) [SRC-01660][SRC-01662][SRC-01663][SRC-01664]
1930年4月5日(グレゴリオ暦) 行進がダンディーへ到達 [SRC-01660][SRC-01662][SRC-01663][SRC-01665]
1930年4月6日(グレゴリオ暦) ダンディーの海岸で製塩が行われ、英当局の塩法・塩の専売が破られる(国立塩サッティヤーグラハ記念館は同一出典内で「海水を煮詰めた」とも要約) [SRC-01660][SRC-01662][SRC-01663][SRC-01665]
1930年5月(日付は出典により相違。本記事の主題の射程外) ガンディーが英当局に逮捕される [SRC-01660][SRC-01662][SRC-01663]
1930年5月21日(本記事の主題の射程外) 塩の行進とは別の行動として、ダラサナ製塩所への行進が行われ、英当局に鎮圧される [SRC-01660][SRC-01662]
異説・論争定説のない論点があります

本サイトが確認した出典の範囲では、行進が3月12日に出発し4月5〜6日にダンディーへ到達・製塩を行ったという経過そのものに大きな異論はない。一方で、(1)行進の距離、(2)出発時の同行者数、(3)塩税・製塩専売の淵源年、(4)ガンディーの逮捕日、の4点で出典間に数値・記述の相違がある。なお、4月6日の製塩の行為そのものについては、Britannica・HISTORY・mkgandhi.org・国立塩サッティヤーグラハ記念館の4出典がいずれも「海岸の塩を拾い上げた」という趣旨で一致して記す一方、同記念館は同一出典内の別の記述で「海水を煮詰めて製塩した」とも要約しており、これは出典間の対立ではなく同一出典内の記述の揺れである(本文参照)。

論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
行進の距離 約240マイル(約385km) Britannica「some 240 miles (385 km)」、HISTORY「some 240 miles」[SRC-01660][SRC-01662] 百科事典・大手メディアの2系統が一致
同上 241マイル。国立塩サッティヤーグラハ記念館は同一出典内で390キロメートルとも記す(241マイル換算では約388km) mkgandhi.org「241 miles」、サバルマティー・アシュラム公式「241 miles」、国立塩サッティヤーグラハ記念館「241 miles」「390-kilometer」[SRC-01663][SRC-01664][SRC-01665] ガンディー顕彰団体・現地保存機関・国立記念館の3系統が一致。本サイトが確認した範囲では2系統の差、および同記念館内部の数キロメートルの差の原因を特定する記述はない
出発時の同行者数 78名 mkgandhi.org「the 78 satyagrahis」、サバルマティー・アシュラム公式「with 78 companions」[SRC-01663][SRC-01664] 2系統が独立に一致。Britannica・HISTORYは「several dozen」「a few dozen」とのみ記し具体数を示さない
同上 80名 国立塩サッティヤーグラハ記念館「Taking 80 marchers」「statues of Mahatma Gandhi and 80 Satyagrahis」[SRC-01665] 単独系統。本サイトが確認した範囲では、78名との差異の理由を説明する記述はない
塩税・製塩専売の淵源年 1882年の塩法(Salt Act) HISTORY「Britain's Salt Act of 1882」[SRC-01662] 大手メディア
同上 1857年、英国統治開始直後の塩法 国立塩サッティヤーグラハ記念館「imposed by the British in 1857, right at the beginning of their rule」[SRC-01665] 政府系記念館。本サイトが確認した範囲ではいずれが正確かを判定する記述はない
ガンディーの逮捕日 1930年5月上旬〜5日(Britannicaは月日を「early May」〔5月初旬〕とのみ記し、HISTORYは5月5日と日付を明記する) Britannica「Gandhi himself in early May」、HISTORY「Gandhi himself was arrested on May 5」[SRC-01660][SRC-01662] 百科事典・大手メディアの2系統が一致
同上 1930年5月4日午前0時45分 mkgandhi.org「at 12.45 a.m. on May 4, he was arrested at Karadi」[SRC-01663] 単独系統。本記事の主題(3月12日の出発)の射程外のため、本文・タイムライン欄では日付を特定していない

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

塩の行進は、その後数か月にわたる市民的不服従運動の発端となった。Britannicaは、年内に約6万人が塩法違反等で投獄されたと記す[SRC-01660]。HISTORYも約6万人が逮捕されたと記す[SRC-01662]。ブリタニカ「Today in History」欄(Ethan Teekah署名)は、この行進を1931年まで続く非暴力・不服従(サティヤーグラハ)運動の開幕にあたる出来事であり、英国支配の不正義を世界に知らしめる転機だったと評する[SRC-01661]。同欄はまた、大量の逮捕者を出すこと自体がガンディーの狙いであり、日用品である塩をめぐる逮捕という構図が英国統治の理不尽さを可視化する好例になったという見方も紹介している[SRC-01661]。

現代の視点

行進の到達地ダンディーには、2019年1月30日にインド首相ナレンドラ・モディが国民に献納した国立塩サッティヤーグラハ記念館が置かれる。同日、モディはガンディーと80人の行進参加者を象った像を除幕した[SRC-01665]。同記念館の公式サイトは、今なお数百人がアフマダーバードからダンディーまで241マイルの道のりを歩く記念行進を続けていると記す[SRC-01665]。

出典一覧

  1. [SRC-01660] Salt March (1930) | Definition, Causes, Location, & Significance/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
  2. [SRC-01661] Today in History—March 12: When Gandhi Took On the Salt Tax/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
  3. [SRC-01662] Salt March: Definition, Date & Gandhi/HISTORY (A&E Television Networks)(ランクB)
  4. [SRC-01663] Salt Satyagraha and Dandi March/Bombay Sarvodaya Mandal / Gandhi Book Centre(ランクC)
  5. [SRC-01664] History | About Gandhi Ashram/Sabarmati Ashram Preservation and Memorial Trust(ランクB)
  6. [SRC-01665] About Us | Historical Background: The Salt March/National Salt Satyagraha Memorial(ランクB)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-27—
22026-09-27あり
32026-09-27なし

訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。