1990年世界 20世紀
リトアニア、ソ連からの独立を宣言
日付と暦
- 原典表記
- 1990年3月11日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1990-03-11(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 3月11日のページ
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概要
1990年3月11日、リトアニア最高会議は、記名投票(賛成124・棄権6)により『独立国家の再建に関する法律』(Act No. I-12)を採択し、1940年に外国勢力によって消滅させられた国家主権の再確立を宣言した[SRC-01652][SRC-01653]。同法は1918年の独立宣言との法的連続性を掲げた[SRC-01652][SRC-01653]。最高会議議長ヴィタウタス・ランズベルギスは記名投票の結果を発表した[SRC-01652]。RFE/RL(ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティー)はこれを「ソ連構成共和国で最初に独立を宣言した」出来事と記す[SRC-01657]。ソ連自身がこの独立を承認したのは1年半後の1991年9月6日だった[SRC-01659]。
本文
1980年代後半のグラスノスチ・ペレストロイカを背景に、改革運動サユディスが大衆運動として台頭し、1990年早期の最高会議選挙を経て独立宣言に至る議会が成立した[SRC-01655][SRC-01652]。
3月11日、最高会議はまず国名・国章の変更を議決し、午後6時8分に議場の国章を三色旗へ掛け替えた[SRC-01652]。起草委員会の審議を経て、午後10時39分にランズベルギス議長が記名投票の結果(賛成124・棄権6)を発表した[SRC-01652]。リトアニア最高会議は、この5分後の午後10時44分に独立が再確立されたと記している[SRC-01652]。
法律は「1940年に外国勢力によって消滅させられた主権の行使を再建し、リトアニアは再び独立国家となる」と宣言し、1918年独立宣言・1920年制憲議会決議の法的効力の継続、領土の一体性、国際法原則への準拠を定めた[SRC-01653]。ランズベルギスとリュドヴィカス・サブティスが署名した[SRC-01653]。
ソ連はこれを承認せず経済封鎖で応じ[SRC-01652]、1991年1月にはヴィリニュスで軍事行動があり市民14人が死亡した[SRC-01657]。同年8月のクーデター失敗を経て、政治的独立と国際承認が確保された[SRC-01655]。
歴史的背景
1940年、ソ連はリトアニアを占領・併合した[SRC-01656][SRC-01654]。米国はこの併合を一貫して承認しなかった[SRC-01656]。リトアニア共和国憲法裁判所は後年、1940年の併合を「無効な行為」とし、リトアニアを侵略以前と同一の法主体と位置づける判例を確定させている[SRC-01654]。これはリトアニア自身の公式な法的立場であり、1990年当時のソ連政府がこれを認めていたわけではない(詳細は次節「異説・論争」)[SRC-01654]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1918年2月16日(グレゴリオ暦) | リトアニア評議会が独立を宣言(1990年法が法的連続性を主張する起点) | [SRC-01653][SRC-01654] |
| 1940年6月15日〜8月(グレゴリオ暦) | ソ連がリトアニアを占領・併合 | [SRC-01654][SRC-01656] |
| 1990年早期(グレゴリオ暦) | 改革運動サユディスを背景に最高会議選挙が行われる | [SRC-01652][SRC-01655] |
| 1990年3月11日(グレゴリオ暦) | 最高会議が『独立国家の再建に関する法律』を採択(本記事の配置日) | [SRC-01652][SRC-01653] |
| 1990年(グレゴリオ暦) | ソ連がリトアニアへの経済封鎖を実施 | [SRC-01652] |
| 1991年1月(グレゴリオ暦) | クレムリンがリトアニア各地の戦略的要点(ヴィリニュスのテレビ塔を含む)を制圧しようとし、市民14人が死亡 | [SRC-01657] |
| 1991年2月11日(グレゴリオ暦) | アイスランドが世界で最初にリトアニアの独立を承認 | [SRC-01658] |
| 1991年8月(グレゴリオ暦) | モスクワでのクーデター未遂が失敗 | [SRC-01655] |
| 1991年9月2日(グレゴリオ暦) | 米国(ブッシュ大統領)がリトアニアの独立回復を承認 | [SRC-01656][SRC-01659] |
| 1991年9月6日(グレゴリオ暦) | ソ連国家評議会がバルト三国の独立を承認。同日、米国・リトアニア間で外交関係正常化の覚書に署名 | [SRC-01659][SRC-01656] |
異説・論争定説のない論点があります
本サイトが確認した出典の範囲では、1990年3月11日に何が採決され、いつ発表されたかという経過そのものに実質的な異論はない。一方で、以下の3点で出典間に記述の違いがある。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 独立宣言の法的性格 | 1990年の宣言は新国家の創設ではなく、1940年に消滅した主権の「再建」であり、リトアニアは国際法上一度もソ連の合法的な一部になっていない | リトアニア共和国憲法裁判所は確定判例として、1940年の併合を「無効な行為」とし、リトアニアを侵略以前の国家と「同一の法主体」と位置づける[SRC-01654]。法律本文自体も「再建」「再び独立国家となる」という文言を用いる[SRC-01653] | リトアニア国家自身が採る公式な法的立場。国際法上の国家継続性の理論に基づく |
| 同上 | ソ連は1990年当時この宣言を独立国家の創設としては認めず、一方的な決定として拒否し、経済封鎖などの圧力をかけた | Britannicaは「ソ連の反応は当初、実効性の乏しい経済的ボイコットにとどまった」と記し、独立の確保には1991年8月のクーデター失敗を待つ必要があったと記す[SRC-01655]。リトアニア議会自身も「ソ連の侵略」「クレムリンによる決定撤回要求」と記す一方、当時のソ連政府がリトアニアの法的連続性理論そのものを認めたとする記述は本サイトが確認した出典の範囲にはない[SRC-01652] | 1990〜1991年当時のソ連政府の実際の対応(経済封鎖・軍事的圧力)と、リトアニア側の法理論との間には隔たりがあった |
| 記名投票の性格 | 「全会一致」の宣言だった | Britannicaは "unanimously declared" と記す[SRC-01655] | 定評ある百科事典の要約表現 |
| 同上 | 記名投票の内訳は賛成124・棄権6であり、議会記録は反対票の数を記していない | リトアニア議会自身が時刻入りで記録する内訳[SRC-01652] | 当事機関による一次的な記録。賛成124・棄権6という内訳と「全会一致」という要約表現との間には精粗の差がある |
| 国際的な承認の対象 | 米国は1940年のソ連併合そのものを一貫して承認せず、リトアニア政府を戦間期共和国の法的継続とみなしていた | 米国務省歴史局の記録[SRC-01656] | 併合の不承認という米国の立場は1990年の独立宣言以前から一貫していた |
| 同上 | アイスランドは1991年2月11日、リトアニアの独立そのものを世界で最初に承認したと記される | LRTの報道[SRC-01658] | 「独立の承認」と「併合の非承認」は法的に異なる行為であり、承認の対象が異なる |
関連する出来事
- 1918年2月16日、リトアニア評議会が独立を宣言した。1990年の法律はこの宣言との法的連続性を主張する[SRC-01653][SRC-01654]。
- 1991年1月、クレムリンがリトアニア各地の戦略的要点(ヴィリニュスのテレビ塔を含む)を制圧しようとし、市民14人が死亡した[SRC-01657]。
- 1991年8月、モスクワでの強硬派によるクーデター未遂が失敗し、リトアニアを含むバルト三国の国際的な独立承認が進んだ[SRC-01655]。
- 1991年9月6日、ソ連国家評議会がバルト三国の独立を承認した。同日、米国とリトアニアは外交関係正常化の覚書に署名した(両者は別個の出来事である)[SRC-01659][SRC-01656]。
関連人物
- ヴィタウタス・ランズベルギス(Vytautas Landsbergis、びたうたす・らんずべるぎす): 独立志向の政治指導者で、1990年3月11日、最高会議議長として記名投票の結果を発表した[SRC-01652][SRC-01657]。1991年9月のソ連承認時もリトアニアの指導的立場にあった[SRC-01659]。
- リュドヴィカス・サブティス(Liudvikas Sabutis、りゅどう゛ぃかす・さぶてぃす): 『独立国家の再建に関する法律』にランズベルギスとともに署名した人物[SRC-01653]。
歴史的意義
RFE/RLは、リトアニアのこの宣言を「ソ連構成共和国で最初に独立を宣言した」出来事と位置づける[SRC-01657]。1991年9月6日付の同時代報道は、この時点でソ連を構成した15共和国のうち10共和国がすでに独立を宣言していたと伝えている[SRC-01659]。ソ連自身によるバルト三国の独立承認は、1991年8月のクーデター失敗を経た同年9月6日に実現し、これはソ連解体に至る過程の一場面となった[SRC-01659][SRC-01655]。
現代の視点
3月11日は現在、リトアニアで「独立回復の日」として記念されている(リトアニア議会公式サイトの記事名自体が「11 March: Day of Restoration of Independence of Lithuania」である)[SRC-01652]。2021年には、独立承認30周年に際し、リトアニア議会がアイスランドへ謝意を伝える書簡を送るなど、国際的な承認を得た経緯は今日まで記憶され続けている(本サイトの整理)[SRC-01658]。
出典一覧
- [SRC-01652] 11 March: Day of Restoration of Independence of Lithuania/Seimas of the Republic of Lithuania(リトアニア共和国議会)(ランクA)
- [SRC-01653] Lithuania: Act No. I-12 of 1990 on the Re-Establishment of the State of Lithuania/Refworld(UNHCR運営の法令・判例データベース。文書出所は『National Legislative Bodies / National Authorities』=リトアニア最高会議)(ランクA)
- [SRC-01654] Lithuania's Independence Acts in the jurisprudence of the Constitutional Court/Constitutional Court of the Republic of Lithuania(リトアニア共和国憲法裁判所)(ランクA)
- [SRC-01655] Lithuania - Independence restored/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
- [SRC-01656] A Guide to the United States' History of Recognition, Diplomatic, and Consular Relations, by Country, since 1776: Lithuania/Office of the Historian, U.S. Department of State(米国務省歴史局)(ランクA)
- [SRC-01657] Lithuanian Independence: Recording The First Crack In The U.S.S.R./Radio Free Europe/Radio Liberty(RFE/RL)(ランクB)
- [SRC-01658] Thirty years ago, Iceland became the first nation to recognise Lithuania/LRT(Lietuvos nacionalinis radijas ir televizija/リトアニア国営放送)(ランクB)
- [SRC-01659] SOVIET COUNCIL LETS THE BALTICS GO/Deseret News(ランクB)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-27 | — |
| 2 | 2026-09-27 | あり |
| 3 | 2026-09-27 | あり |
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