1990年世界 20世紀
1990年4月24日、NASAがハッブル宇宙望遠鏡をディスカバリー号で打ち上げた——主鏡の欠陥発覚から1993年の補正光学系取り付けまで
日付と暦
- 原典表記
- 1990年4月24日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1990-04-24(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 4月24日のページ
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概要
1990年4月24日午前8時33分51秒(米東部夏時間)、NASAはスペースシャトル・ディスカバリー号にハッブル宇宙望遠鏡を搭載し、フロリダ州ケネディ宇宙センターの発射台39Bから打ち上げた(STS-31ミッション)[SRC-02005][SRC-02010]。望遠鏡は打ち上げの翌日、1990年4月25日に軌道上へ展開された[SRC-02005]。打ち上げからおよそ2か月後の1990年6月21日、ハッブル宇宙望遠鏡計画のプロジェクトマネージャーは、主鏡か副鏡のいずれか、または両方に重大な光学的欠陥があることを公表した[SRC-02010]。調査の結果、原因は主鏡の研磨・検査に用いられた反射型ヌルコレクターという検査装置のレンズが、規定位置から1.3mmずれて組み立てられていたことにあると特定された[SRC-02009][SRC-02010]。この結果生じた球面収差により、望遠鏡は打ち上げ当初、本来の性能で観測することができなかった。1993年12月2日から13日にかけて実施されたSTS-61サービシングミッションで、球面収差を補正する広域惑星カメラ2(WFPC2)と光学系補正装置COSTARが宇宙飛行士により取り付けられ、望遠鏡は本来の性能を発揮できるようになった[SRC-02006][SRC-02007]。
本文
ハッブル宇宙望遠鏡は当初1983年12月の打ち上げを予定していたが、費用や技術的要件の見積もりの甘さから生じた度重なる遅れにより、予定は1986年後半へ延期された[SRC-02007]。望遠鏡は1985年までに組み立てが完了し打ち上げ準備が整っていたが、1986年のスペースシャトル・チャレンジャー号事故によりシャトル運航が2年間停止し、この間、太陽電池パネルの改良、観測装置搭載部(アフトシュラウド)の改修、計算機・通信系の更新、追加のストレス試験が行われた[SRC-02007][SRC-02008]。
1990年4月10日に予定されていた打ち上げは、補助動力装置(APU)1号機の弁の不具合によりカウントダウンT-4分でスクラブ(中止)となり、部品交換とペイロード用バッテリーの再充電を経て、4月24日午前8時33分51秒(東部夏時間)にディスカバリー号は打ち上げられた[SRC-02005]。搭乗員は、船長ローレン・J・シュライバー、パイロットのチャールズ・F・ボールデン・ジュニア、搭乗運用技術者のスティーブン・A・ホーリー、ブルース・マッカンドレス2世、キャサリン・D・サリバンの5人だった[SRC-02005]。ハッブル宇宙望遠鏡は高度380マイル(法定マイル)の軌道に投入され、打ち上げの翌日にあたる4月25日に軌道上へ展開された[SRC-02005]。
打ち上げ後、NASAマーシャル宇宙飛行センター(MSFC)のチームがゴダード宇宙飛行センターの運用管制センターに置かれ、2か月間の軌道上検証を指揮した[SRC-02009]。通信アンテナのケーブルの引っかかりや、地球の影の出入りに伴う太陽電池パネル支持ブームの振動(望遠鏡全体を揺らす「ジッター」)といった不具合が生じたが、地上の技術者チームが制御プログラムの変更などで対処した[SRC-02009]。1990年5月21日までに最初の光学画像が届き始め、りゅうこつ座の二重星の像は地上望遠鏡よりも鮮明とみられた[SRC-02009]。
しかしその後の検査で、望遠鏡は星の像を一点に集束させることができず、星の周囲に大きくぼやけたハロー(光暈)が広がることが判明した[SRC-02007][SRC-02009]。打ち上げからおよそ2か月後の1990年6月21日、プロジェクトマネージャーはこの欠陥を公表した[SRC-02010]。広域惑星カメラと微光天体カメラの両方の高分解能撮像カメラが同一の特徴的な歪みを示しており、この歪みは「球面収差」と呼ばれる、光が一点に集束せず複数の焦点に分散する現象であると特定された[SRC-02007][SRC-02010]。主鏡は直径2.4mのガラス円盤であり、調査の結果、中心から離れた部分が過度に平坦に研磨されていたこと、その誤差が波長632.8nmで0.4波長分のRMS波面誤差に相当し、規定許容誤差の10倍の大きさだったことが判明した[SRC-02010]。NASAの解説記事は、この誤差を「髪の毛の太さのわずかな一部」と表現している[SRC-02007]。
NASAの宇宙科学応用局担当副長官レナード・フィスクは、この欠陥を受けて、ジェット推進研究所(JPL)所長ルー・アレンを委員長とする「ハッブル宇宙望遠鏡光学系故障調査委員会」を設置した[SRC-02010]。委員会の第1回会合は1990年7月5日・6日にワシントンDCで開催された[SRC-02010]。委員会は、光学望遠鏡アセンブリの製造を担当したパーキン・エルマー社(後のヒューズ・ダンベリー・オプティカル・システムズ社)が用いた、反射型ヌルコレクター(RNC)と呼ばれる検査装置を調査し、そのレンズが規定位置から1.3mmずれて配置されていたことを発見した[SRC-02009][SRC-02010]。委員会は、この変位量が観測された像のぼやけの量と性質を詳細に説明するものだったと述べている[SRC-02010]。技師らは別の2種類の光学検査装置による測定でも主鏡の異常を示す結果を得ていたが、パーキン・エルマー社の光学運用部門はこれを、反射型ヌルコレクターより精度が劣る装置によるものとして退けていたことも判明した[SRC-02009][SRC-02010]。委員会は、この技術的な失敗の背景に、単一の試験方法への依存や独立検査の不足といった経営管理上の問題があったと指摘している[SRC-02009][SRC-02010]。
主鏡は交換可能な部品として設計されていなかったが、望遠鏡が軌道上でアップグレード可能に設計されていたことが、この問題の解決策につながった[SRC-02007]。ハッブル打ち上げ前から、他の目的で第2世代カメラ「広域惑星カメラ2(WFPC2)」の開発が進められており、主鏡の欠陥判明後、光学専門家はこのカメラに補正光学系を組み込めることに気づいた[SRC-02007]。また他の観測装置向けには、補正用の小さな鏡を光路に展開する装置「光学系補正装置COSTAR」が新たに開発された[SRC-02007]。
1993年12月2日午前4時27分(東部標準時)、スペースシャトル・エンデバー号がSTS-61ミッション(ハッブル宇宙望遠鏡第1回サービシングミッション)として打ち上げられた[SRC-02006]。搭乗員は、船長リチャード・O・コーヴィー、パイロットのケネス・D・バワーソックス、ペイロード司令官F・ストーリー・マスグレイブ、搭乗運用技術者のキャサリン・C・ソーントン、クロード・ニコリエ(欧州宇宙機関所属)、ジェフリー・A・ホフマン、トム・エイカーズだった[SRC-02006]。マスグレイブ・エイカーズ・ソーントン・ホフマンの4人が、計5回の船外活動(EVA)を実施した[SRC-02006]。飛行6日目のEVA#3では、ホフマンとマスグレイブが広域惑星カメラをWFPC2に交換し、想定4時間のところ約40分で作業を完了させた[SRC-02006]。飛行7日目のEVA#4では、ソーントンとエイカーズが観測装置の一つ高速測光計をCOSTARに交換した[SRC-02006]。1993年12月13日、エンデバー号はケネディ宇宙センターに着陸した[SRC-02006]。1993年12月18日、宇宙望遠鏡科学研究所(STScI)の天文学者らはモニターの前に集まり、それまでハッブルの画像を悩ませていたぼやけのない最初のWFPC2画像を見て歓声を上げたと伝えられる[SRC-02007]。
歴史的背景
ハッブル宇宙望遠鏡は1983年、天文学者エドウィン・P・ハッブルにちなんで正式に命名された[SRC-02008]。大気の揺らぎによる像のぼやけを避けるため地球周回軌道上に望遠鏡を置くという構想は、1946年に天文学者ライマン・スピッツァーが提案したことに遡る[SRC-02007][SRC-02012]。打ち上げまでの開発過程では、費用と日程の圧力により、主鏡の研磨・検査を単一の検査装置(反射型ヌルコレクター)に依存する体制が続き、他の検査装置が示した異常な測定結果は「その検査装置自体が不正確である」として退けられていた[SRC-02009][SRC-02010]。調査委員会は、こうした経緯にコスト・日程面の圧力が影響していたと指摘している[SRC-02010]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1983年(グレゴリオ暦・年のみ) | 宇宙望遠鏡が天文学者エドウィン・P・ハッブルにちなんで正式に命名される | [SRC-02008] |
| 1986年(グレゴリオ暦・年のみ) | スペースシャトル・チャレンジャー号事故により打ち上げが延期される | [SRC-02007][SRC-02008] |
| 1990-04-24(グレゴリオ暦) | スペースシャトル・ディスカバリー号(STS-31)によりハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられる | [SRC-02005][SRC-02010] |
| 1990-04-25(グレゴリオ暦) | ハッブル宇宙望遠鏡が軌道上へ展開される | [SRC-02005] |
| 1990-05-21(グレゴリオ暦) | 最初の光学画像を受信する | [SRC-02009] |
| 1990-06-21(グレゴリオ暦) | プロジェクトマネージャーが主鏡(または副鏡)の重大な欠陥を公表する | [SRC-02010] |
| 1990年7月5日・6日(グレゴリオ暦) | 光学系故障調査委員会(アレン委員会)の第1回会合がワシントンDCで開催される | [SRC-02010] |
| 1990年11月(グレゴリオ暦・月まで) | 調査委員会が報告書「The Hubble Space Telescope Optical Systems Failure Report」を発表する | [SRC-02010] |
| 1993-12-02(グレゴリオ暦) | スペースシャトル・エンデバー号(STS-61)が第1回サービシングミッションとして打ち上げられる | [SRC-02006] |
| 1993-12-13(グレゴリオ暦) | エンデバー号がケネディ宇宙センターに着陸する | [SRC-02006] |
| 1993-12-18(グレゴリオ暦) | STScIの天文学者らが、補正後の最初のWFPC2画像を確認する | [SRC-02007] |
異説・論争定説のない論点があります
本記事が調査した範囲では、打ち上げ日(1990年4月24日)・軌道展開日(4月25日)・サービシングミッションの日付(1993年12月2日〜13日)について、出典間で対立する記述は確認されなかった。以下、記述の粒度・性質が出典間で異なる1点と、故障の技術的原因について出典間で説明が分かれる1点を記録する。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 主鏡欠陥が明らかになった具体的な時期 | 調査委員会自身の報告書(一次資料)は、プロジェクトマネージャーによる公表を「1990年6月21日」と明記する | [SRC-02010] | 対立する2説ではなく、記述の対象・粒度が異なる可能性がある2つの記録。前者は調査委員会が特定した「公表」という管理上の行為の日付、後者はNASA公式史が描写する「焦点検査の失敗に関係者が驚いた」という現場での出来事の日付であり、両者が同一の出来事を指しているのか、数日にわたる一連の経緯の異なる局面を指しているのかは、本記事が確認した出典の範囲では判定できない |
| 同上 | NASAマーシャル宇宙飛行センターの公式史(ダナー&ウォーリング著)は、望遠鏡が焦点検査に失敗し関係者が驚いたのを「1990年6月23〜24日の週末」と記す | [SRC-02009] | 同上 |
| 故障の技術的原因 | 調査委員会自身の報告書(一次資料)は、原因を反射型ヌルコレクター(RNC)のレンズが規定位置から1.3mmずれて配置されていたことに特定する。本記事の本文はこの特定に従う | [SRC-02010] | 原因の特定を目的として1990年に設置された調査委員会自身の原著報告書(一次資料)を、簡潔な年表形式の二次的整理より優先する |
| 同上 | NASA History Program Officeの年表は、原因を主鏡の研磨中に生じたプログラミング上の不具合("A programming glitch that occurred while grinding the mirror")と要約する | [SRC-02008] | 同上。両者は両立しない要約だが、本記事は調査委員会自身の原著報告書の特定を優先し、本文の原因記述は変更しない |
上記以外に確認された異説: なし(調査範囲: 打ち上げ日時・搭乗員・軌道展開日・主鏡欠陥の技術的原因と発見の経緯・調査委員会の構成と結論・STS-61サービシングミッションの日程とEVA内容について、NASA公式サイトのSTS-31・STS-61ミッションアーカイブページ、NASA science.nasa.govのハッブル関連ページ3点、NASA History Program Officeの年表、NASAマーシャル宇宙飛行センター公式史、調査委員会自身の報告書原文の計8出典を確認した)。
関連する出来事
- 1986年、スペースシャトル・チャレンジャー号が事故を起こし、シャトル運航が2年間停止した。この事故により、ハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げも延期された(前述「本文」参照)[SRC-02007][SRC-02008]。
- 1990年10月1日、ハッブル宇宙望遠鏡による最初の科学論文が投稿された。ある銀河核のブラックホールとみられる天体の周辺環境を扱ったものだった[SRC-02012]。
関連人物
- ルー・アレン(るー・あれん) — ジェット推進研究所(JPL)所長。ハッブル宇宙望遠鏡光学系故障調査委員会の委員長を務めた[SRC-02009][SRC-02010]。
- ローレン・J・シュライバー(ろーれん・じぇー・しゅらいばー) — STS-31ミッションの船長。ハッブル宇宙望遠鏡打ち上げに搭乗した[SRC-02005]。
- F・ストーリー・マスグレイブ(えふ・すとーりー・ますぐれいぶ) — STS-61ミッションのペイロード司令官。WFPC2・COSTARの取り付けを含む船外活動を実施した[SRC-02006]。
歴史的意義
NASAは公式サイトで、ハッブル宇宙望遠鏡の使命について「私たちの宇宙の理解を永遠に変えた」、また「史上最も科学的に生産的で愛された望遠鏡の一つ」という位置にあると記している[SRC-02011][SRC-02012]。これはNASA自身による評価であり、本サイト自身の評価ではない。打ち上げからおよそ2か月後に発覚した主鏡の欠陥は、当時の議会・報道から強い批判を招いた出来事だったが[SRC-02009]、1993年12月のSTS-61サービシングミッションによる補正光学系の取り付けは、宇宙飛行士による軌道上での修理・アップグレードという、望遠鏡の設計思想そのものが備えていた解決策によって実現した[SRC-02007]。
現代の視点
以下は本稿の整理である。NASAの解説記事は、寿命の限界に近づいた老朽部品を含む機器であるとしつつ、今後さらなるサービシングミッションの予定はなく、技術者チームが継続的にハッブルの運用維持に取り組んでいると説明する。同記事は、本来3基のジャイロスコープを使う設計だったところを、1基のみでの運用手法を技術者が開発したと記している[SRC-02007]。打ち上げ当初、望遠鏡の欠陥は費用と成果への疑念を招いた出来事だったが、その後の観測成果や補正の経緯について、NASAは前述のとおり肯定的な評価を示している[SRC-02007][SRC-02011][SRC-02012]。本サイトはこの評価の当否を判定しない。
出典一覧
- [SRC-02005] STS-31/NASA(ランクS)
- [SRC-02006] STS-61/NASA(ランクS)
- [SRC-02007] The History of Hubble/NASA(science.nasa.gov)(ランクA)
- [SRC-02008] A Chronology of the Hubble Space Telescope/NASA History Program Office(ランクA)
- [SRC-02009] Power to Explore: History of Marshall Space Flight Center 1960-1990(第12章 The Hubble Space Telescope)/NASA(マーシャル宇宙飛行センター歴史室)(ランクA)
- [SRC-02010] The Hubble Space Telescope Optical Systems Failure Report(NASA TM-103443)/NASA(NASA Technical Reports Server)(ランクS)
- [SRC-02011] Hubble's 35th Anniversary/NASA(science.nasa.gov)(ランクA)
- [SRC-02012] Hubble Timeline/NASA(science.nasa.gov)(ランクA)
本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。
訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-29 | あり |
| 2 | 2026-09-29 | あり |
| 3 | 2026-09-29 | あり |
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