1876年世界 19世紀
アレクサンダー・グラハム・ベル、電話の特許取得
日付と暦
- 原典表記
- 1876年3月7日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1876-03-07(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 3月7日のページ
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概要
1876年3月7日、合衆国特許局(当時の名称)はアレクサンダー・グラハム・ベルに「電信法の改良」(Improvement in Telegraphy)と題する特許(米国特許第174,465号)を付与した[SRC-01620][SRC-01621]。特許の出願は3週間ほど前の同年2月14日であり[SRC-01620][SRC-01621]、ベルが最初の明瞭な音声を伝えたとされるのは、それからさらに3日後の3月10日である[SRC-01621][SRC-01622][SRC-01627]。ベルの特許出願と同じ2月14日、電信装置の発明家イライシャ・グレイも酷似する発明の予告(キャビート)を出願しており、優先権をめぐる争いは訴訟にまで発展した[SRC-01621][SRC-01625]。この特許にまつわる評価には、イタリア系移民の発明家アントニオ・メウッチの先駆的な取り組みも絡み、2002年には米国下院がメウッチの生涯と業績を認める決議を可決している[SRC-01624]。
本文
ベルは1847年、スコットランドで生まれた[SRC-01626][SRC-01623]。聴覚障害者に発話を指導する方法「視話法」を開発した父メルヴィル・ベルとともにロンドンで働いた後、1870年代にマサチューセッツ州ボストンへ移り、聾学校の教師として働いた[SRC-01623]。ボストンで音声を電線で伝える可能性に関心を持ったベルは、電信と蓄音機の要素を組み合わせた「ハーモニック・テレグラフ」の開発を志し、ボストンの機械工場に勤めていたトーマス・A・ワトソンの助力を得て試作機を開発した[SRC-01623][SRC-01622]。
1876年2月14日、ベルは合衆国特許局へ特許を出願した[SRC-01620][SRC-01621]。特許明細書は、発明者の住所をマサチューセッツ州セイラムと記し、音声その他の音を、空気の振動に相似した形の電気的な波動として電信的に伝送する方法・装置を請求項の一つに含む[SRC-01620]。この出願からわずか数時間後、電信装置の発明家イライシャ・グレイが、酷似する発明について特許出願の意思を予告する「キャビート」を出願した[SRC-01625]。米国議会図書館の解説によれば、ベルの出願はその日の5番目、グレイの出願は39番目の受付だったという[SRC-01621]。出願から3週間ほど後の同年3月7日、合衆国特許局はベルに米国特許第174,465号を付与した[SRC-01620][SRC-01621][SRC-01623][SRC-01626]。
さらに3日後の3月10日、ベルはボストンの実験室で、隣室にいた助手ワトソンに向けて電話越しに言葉を発したとされる。この出来事は、ベル自身が実験ノートに書き記したことで知られる[SRC-01621][SRC-01622][SRC-01627]。ただし、実際に発せられた言葉の逐語には出典によって幅があり、この点は次節で扱う。
歴史的背景
ベルが電話の着想に至った背景には、聴覚と発話への関心があった。スミソニアン国立アメリカ歴史博物館は、ベルが「音声を伝送するという課題に、イライシャ・グレイやトーマス・エジソンら他の電話発明者とは異なる角度から取り組んだ」とし、グレイやエジソンの多くが「より優れた電信機を作ろうとする経験豊富な電信技師」だったのに対し、ベルは「聴覚と発話についての深い研究」に強く影響を受け、聴覚障害者を助ける装置を発明しようとしていたと記す[SRC-01626]。
ベル以前にも、電線で音声を伝えるという着想自体は複数の発明家が追求していた。ドイツの物理学教師ヨハン・フィリップ・ライスは1860年代初頭に音声を(不完全ながら)伝える装置を開発し、これを「テレフォン」と呼んだ最初の例とされるが、特許を取得せず開発も続けなかった[SRC-01621]。イタリア系移民のアントニオ・メウッチは、1849年[SRC-01621]から自ら「テレトロフォノ」と呼ぶ電子通信の発明に着手し、キューバのハバナで始めたこの取り組みをニューヨーク移住後も続けた[SRC-01624]。1871年12月28日にその設計のキャビートを出願したが、財政難のため1874年以降更新できなかった[SRC-01624]。2002年6月11日に米国下院が可決した決議(H.Res.269)は、メウッチの資料が保管されていたのと同じ研究所でベルが実験を行っていたことに触れ、メウッチの生涯と業績を認め、電話の発明におけるその働きを認めるとした[SRC-01624]。もっとも、この決議はメウッチを電話の発明者と認定する内容ではなく、「生涯と業績を認め、働きを認める」との意思表明にとどまる[SRC-01624]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1871年12月28日(グレゴリオ暦) | アントニオ・メウッチ、電子通信の発明についてキャビートを出願(1874年以降は更新できず) | [SRC-01624] |
| 1876年2月14日(グレゴリオ暦) | ベル、合衆国特許局へ電話の特許を出願。同日、イライシャ・グレイも酷似する発明のキャビートを出願(ベルは受付5番目、グレイは39番目) | [SRC-01620][SRC-01621] |
| 1876年3月7日(グレゴリオ暦) | 合衆国特許局、ベルへ米国特許第174,465号「電信法の改良」を付与(本記事の配置日) | [SRC-01620][SRC-01621][SRC-01623][SRC-01626] |
| 1876年3月10日(グレゴリオ暦) | ベル、ボストンの実験室で助手ワトソンへ向け発した言葉が電話回線を通じて伝わったとされる | [SRC-01621][SRC-01622] |
| 1876年(グレゴリオ暦) | ベル、フィラデルフィア万国博覧会(センテニアル・エキシビション)で実験用電話機を実演 | [SRC-01626] |
| 1887年1月13日(グレゴリオ暦) | 米国政府、ベルの特許を詐欺・虚偽表示を理由に無効化する手続を開始。最高裁判所はこれを審理可能と判断し、下級裁判所の審理に委ねた | [SRC-01624] |
| 1888年(グレゴリオ暦) | 合衆国最高裁判所、Dolbear対American Bell Telephone Co.事件でベルの電話特許を支持 | [SRC-01622] |
| 1889年10月(グレゴリオ暦) | メウッチ死去 | [SRC-01624] |
| 1893年1月(グレゴリオ暦) | ベルの特許失効。無効化を求めていた訴訟(1887年提訴)は、真の発明者が誰かという争点に至らないまま争う実益を失い打ち切られた。同特許を収載するGoogle Patentsのページの法的状況欄は、予測満了日(Anticipated expiration)を同年3月7日と記録しており、出典間で失効時期の記載に相違がある | [SRC-01624][SRC-01620] |
| 2002年6月11日(グレゴリオ暦) | 米国下院、メウッチの生涯と業績を認め電話の発明におけるその働きを認めるとする決議(H.Res.269)を可決 | [SRC-01624] |
異説・論争定説のない論点があります
本サイトが確認した出典の範囲では、1876年3月7日に特許が付与されたこと自体に異論はない。一方で、最初の通話でベルが発した言葉の逐語、ベルとグレイの優先権をめぐる評価、メウッチの位置づけについては、出典によって記述が異なる[SRC-01621][SRC-01622][SRC-01623][SRC-01625]。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 最初の通話でベルが発した言葉の逐語 | "Mr. Watson — come here — I want to see you."(ワトソン君——ここに来てくれ——君に会いたいのだ) | 米国議会図書館の館内広報誌(1999年)は、ベルの実験ノート原本の記述としてこの文言を引用する[SRC-01622] | 同じ米国議会図書館内でも、後年の別記事(下記)と句読点・感嘆符が異なる |
| 同上 | "Mr. Watson, come here, I want to see you!"(ワトソン君、来てくれ、君に会いたいのだ!) | 米国議会図書館の別記事(2022年公開・2024年更新)は、ベルの研究日誌の記述としてこの文言を引用しつつ、「正確な文言には異論がある」とも明記する[SRC-01621] | 同館自身が文言に異論があることを認めている |
| 同上 | "Mr. Watson, come here, I need you"(ワトソン君、来てくれ、君が必要なんだ) | HISTORYは、この文言をベルの言葉として紹介する[SRC-01623] | 一民間メディアの表現であり、上記2件のLOC記事とも異なる |
| 同上 | "Watson, come here, I want you!"(ワトソン君、来てくれ、君に来てほしいんだ!)という文言も引かれることがある | 米国議会図書館は、正確な文言に異論がある理由として、この文言がベルが最初の大陸横断電話の儀礼的な通話で述べたものであり、ベル社が長年引用してきたことを挙げる[SRC-01621] | 同館自身が、この文言は1876年3月10日の通話ではなく別の通話に由来する混同であることを説明している |
| ベルとグレイの優先権・液体トランスミッタの考案者 | 液体トランスミッタ方式について、グレイは「自分の着想が先だった」と主張しているが、ベルによる盗用の主張は実証されていない | 米国議会図書館は「これらの主張はいずれも実証されていない」と評し、グレイとベル双方の特許書類が液体トランスミッタの構成を含むと記す[SRC-01621] | 同館は盗用疑惑に慎重な立場を取る |
| 同上 | ベルが初めて人間の声を伝送した際に用いた液体トランスミッタは、それまでのベルの特許出願書類のいずれにも記載のない、グレイが以前に開発したマイクロフォン型のものであり、受話器は、グレイが数か月前に製作し公開の場で使用していた電磁式金属ダイアフラム型のものだった | ブリタニカは、地の文でこの帰属を記す[SRC-01625] | 米国議会図書館とブリタニカは、ベルの特許書類が液体トランスミッタを記載していたかという事実の点で正面から対立している。本特許(米国特許第174,465号)自体の明細書は、水銀その他の液体を用いて回路の抵抗を変化させる構成を記述しており[SRC-01620]、本サイトはいずれの記述が正しいかを判定しない |
| アントニオ・メウッチの位置づけ | メウッチが1874年以降キャビートの更新料10ドルを払えていれば、ベルへ特許は発行され得なかった | 2002年の米国下院決議(H.Res.269)が前文でこの見方を示す[SRC-01624] | 決議はメウッチを「電話の発明者」と認定する文言ではなく、その生涯・業績を認め働きを認めるとの意思表明にとどまる[SRC-01624] |
関連する出来事
- 1871年12月28日、アントニオ・メウッチが電子通信の発明についてキャビートを出願したが、1874年以降更新できなかった(本サイトが確認した出典の範囲では、この出願とベルの特許との関係は、2002年の米国下院決議が前文で言及する形にとどまる)[SRC-01624]。
- 1876年、ベルはフィラデルフィア万国博覧会で実験用電話機を実演した[SRC-01626]。
- 1887年、米国政府はベルの特許の無効化を求める手続を起こした[SRC-01624]。1888年には、合衆国最高裁判所がDolbear対American Bell Telephone Co.事件でベルの電話特許を支持した[SRC-01622]。
- 2002年、米国下院がメウッチの生涯と業績を認める決議を可決した[SRC-01624]。
関連人物
- アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell、あれくさんだー・ぐらはむ・べる): この特許の発明者・出願人。1847年、スコットランド生まれ[SRC-01626][SRC-01623]。
- イライシャ・グレイ(Elisha Gray、いらいしゃ・ぐれい): 電信装置の発明家(1835-1901)。ベルの特許出願と同日、酷似する発明のキャビートを出願し、優先権をめぐりベルと法廷で争った人物[SRC-01621][SRC-01625]。
- アントニオ・メウッチ(Antonio Meucci、あんとにお・めうっち): イタリア生まれの発明家。1871年にキャビートを出願したが更新できなかった人物。2002年、米国下院が生涯と業績を認める決議を可決した[SRC-01624]。
- トーマス・A・ワトソン(Thomas A. Watson、とーます・えー・わとそん): ベルの実験助手。1876年3月10日、ベルが電話越しに発した言葉を聞いたとされる相手[SRC-01621][SRC-01622]。
歴史的意義
米国議会図書館は、ベルと他の発明家たちとの間のこの対立を、「孤高の発明家という発想がいかに神話的か」を示す事例と位置づけ、ダーウィンとウォレスによる自然選択説、エジソンとスワンによる白熱電球、キルビーとノイスによる集積回路を、同種の同時発明の例として挙げる[SRC-01621]。特許明細書自体が示すとおり、この特許は音声を電気的な波動として伝送する方法・装置を対象とするものであり[SRC-01620]、ベルはこの特許を足がかりに、フィラデルフィア万国博覧会での実演[SRC-01626]や、1892年のニューヨーク=シカゴ間長距離回線開通[SRC-01622]など、電話の実用化・普及を進めた。もっとも、1887年には米国政府自身がこの特許の無効化を求める手続を起こしており、特許の正当性がすべての当事者から当初より無条件に認められていたわけではなかった[SRC-01624]。
現代の視点
「電話の発明者」としてベルの名が広く知られている一方、本サイトが確認した出典の範囲では、その評価が唯一のものではないことも明らかである。米国議会図書館は、ベルを「電話の発明者と認められた(credited with being the inventor)」人物と位置づけつつも、同じページでメウッチ・ライス・グレイら「共同発明者としてしばしば挙げられる」人物たちを併記し[SRC-01621]、2002年の米国下院決議はメウッチの功績を認める意思を示した[SRC-01624]。本サイトは、いずれの人物を「真の発明者」とするかについて独自の判定を行わず、各出典が記す事実と評価をそのまま紹介する(本稿の整理)。
出典一覧
- [SRC-01620] US174465A - Improvement in telegraphy(Alexander Graham Bell、米国特許明細書)/Google Patents(原本: 合衆国特許局 United States Patent Office。当時の名称。現USPTO=米国特許商標庁の前身)(ランクS)
- [SRC-01621] Who is credited with inventing the telephone?(Everyday Mysteries)/Library of Congress(米国議会図書館、Science Reference Section)(ランクS)
- [SRC-01622] 'Mr. Watson, Come Here'(Library of Congress Information Bulletin, April 1999)/Library of Congress(米国議会図書館、Information Bulletin編集部)(ランクS)
- [SRC-01623] Alexander Graham Bell patents the telephone(HISTORY, This Day in History: March 7)/HISTORY(A&E Television Networks)(ランクB)
- [SRC-01624] H.Res.269, 107th Congress(Engrossed in House)— Antonio Meucciの生涯と業績を称える下院決議/U.S. Government Publishing Office(米国政府出版局。連邦議会の法案・決議文書公式リポジトリ govinfo.gov)(ランクS)
- [SRC-01625] Elisha Gray(Britannica)/Encyclopædia Britannica, Inc.(ランクB)
- [SRC-01626] Alexander Graham Bell Experimental Telephone(Smithsonian Institution, National Museum of American History)/Smithsonian Institution, National Museum of American History(ランクA)
- [SRC-01627] Alexander Graham Bell(Britannica)/Encyclopædia Britannica, Inc.(ランクB)
本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。
訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-27 | — |
| 2 | 2026-09-27 | あり |
| 3 | 2026-09-27 | あり |
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