12月12日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1901年
マルコーニは、コーンウォールから大西洋を越えて届いたという無線信号を、ニューファンドランドで受信したと発表した——証拠は実験ノートと二人の耳だけだった
「大西洋横断受信」を裏づけるのは実験ノートの記載と2人の耳だけ——2000年代に入っても無線科学者の間で論争が続いた。
この週の出来事
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1936年世界 20世紀12月11日
エドワード8世、シンプソン夫人との結婚を貫くため退位——法として成立したのは1936年12月11日
1936年12月10日、エドワード8世は退位文書に署名した。だが退位はまだ法として成立していなかった。翌11日、退位法が国王裁可を得たことで法的効力を生じ、同じ日、エドワードはラジオ放送で国民に別れを告げたとされる。
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1981年世界 20世紀12月13日
ヤルゼルスキ将軍は、1981年12月13日早朝にポーランド全土へ戒厳令を布告し「連帯」を止めた——彼が語った理由は、のちに公開された文書によって疑問視されている
1981年12月13日、ポーランド統一労働者党第一書記・首相ヴォイチェフ・ヤルゼルスキは全土に戒厳令を布告した。「連帯」の活動は停止され指導者らが拘束され、救国軍事会議(WRON)が発足した。彼はより小さな悪だったと説明するが、後に公開された文書は彼自身がソ連へ軍事支援を求め拒まれていたことを示す。
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1703年江戸時代12月14日
赤穂浪士の討ち入り — 大石内蔵助が動いた夜、日付は二つに分かれた
元禄15年12月14日深夜、大石内蔵助良雄率いる赤穂浪士が江戸・本所松坂町の吉良邸に討ち入り、吉良上野介義央を討ち取った。本懐が成ったのは日の出前とされ——当時と現在で日付の数え方が違うため、14日か15日かの表記が分かれるという。討ち入りの評価をめぐる儒学者の論争と、『忠臣蔵』の脚色と史実の違いも出典付きで読む。
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1948年世界 20世紀12月10日
エレノア・ルーズベルトが議長を務めた委員会の草案が、1948年12月10日、パリで世界人権宣言として採択された——それは、法的拘束力を持たない宣言だった
1948年12月10日、国連総会第3会期の本会議で、世界人権宣言が決議217号(III)Aにより、賛成48・反対0・棄権8で採択された(会場は国連法務局によればパリのシャイヨ宮)。起草委員会を主導したのはアメリカ代表エレノア・ルーズベルトで、宣言は拘束力を持たない宣言として採択された。