1894年世界 19世紀

パリ・ソルボンヌでの国際アスレチック会議の閉会に伴い、国際委員会(後の国際オリンピック委員会, IOC)が発足した——初代会長はディミトリオス・ヴィケラス、初代事務総長はピエール・ド・クーベルタン

日付と暦

原典表記
1894年6月23日(グレゴリオ暦)
換算
1894-06-23(グレゴリオ暦)
掲載日
6月23日のページ

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概要

1894年6月、パリのソルボンヌで開かれた国際アスレチック会議(オリンピック競技大会復興のための国際会議)が閉会し、大会を組織する国際委員会(Comité International。後の国際オリンピック委員会, IOC)が発足した[SRC-02512]。会議当事者自身が発行した機関紙によれば、この委員会の初代会長にはギリシャ代表のディミトリオス・ヴィケラス、初代事務総長には男爵ピエール・ド・クーベルタンが就いた[SRC-02512][SRC-02513]。国際オリンピック委員会自身の歴史文書館公式記録は、この委員会の「第1回総会」の日付として1894年6月23日(パリ)を記す[SRC-01860]。同じ会議の最終会合では、ヴィケラスの提案を受け、第1回大会(1896年)の開催地をアテネとすることが拍手歓呼によって決定された[SRC-02512]。あわせて、第2回大会(1900年)をパリで開催する決議も全会一致で採択された[SRC-02512][SRC-01860]。

本文

会議は、フランス運動競技団体連合(Union des Sociétés françaises de Sports athlétiques)評議会の決定により、ド・パリソーとクーベルタンの要請を受けて1893年春に招集された[SRC-02512]。組織のため、クーベルタン(大陸ヨーロッパ担当)・C.ハーバート(イギリスおよび植民地担当)・W.M.スローン(アメリカ大陸担当)の3名が組織委員に任じられ、1893年11月27日にニューヨークのユニバーシティ・クラブで、続いて1894年2月7日にロンドンのスポーツ・クラブで準備会合が開かれた[SRC-02512]。

会議の開会式は1894年6月16日(土曜)に行われ、各会合はソルボンヌの講堂で開かれた[SRC-02512]。会議はアマチュア規定を審議する委員会と、オリンピック競技大会を審議する委員会の2つに分かれて議事を進めた[SRC-02512]。23日(土曜)、オリンピック競技大会委員会の報告は閉会の全体会議で全会一致で承認され、アマチュア規定委員会の報告は一部修正のうえ承認された[SRC-02512]。同日午後7時には、クールセル男爵(会議総裁)の司会のもと晩餐会が開かれた[SRC-02512]。

会議当事者自身の機関紙は、「パリの会議によって、オリンピック競技大会を組織するために任命された国際委員会」の構成を報じている[SRC-02512]。会長にはヴィケラス(ギリシャ研究振興協会副会長、パンヘレニック体育協会会員)、事務総長にはクーベルタン男爵、会計にはカローが就き、ほかロシア・ボヘミア・スウェーデン・ニュージーランド・アメリカ・アルゼンチン・イタリア・イギリス・ハンガリーなど各国から10名が会員に名を連ねた[SRC-02512]。国際オリンピック委員会自身の歴史文書館公式記録は、この委員会の「第1回総会」が1894年6月23日、パリで開かれたと記している[SRC-01860]。

第1回大会の開催地はオリンピック競技大会を審議する委員会の審議で留保されていたが、ヴィケラスの演説のあと、スローン・ゴンディネ・クーベルタン・ド・ヴィレールの支持を受け、会議はアテネでの開催を拍手歓呼によって決定したと機関紙は記す[SRC-02512]。採択された決議の一項は、第1回大会(1896年)をアテネ、第2回大会(1900年)をパリで開催し、以後4年ごとに世界の他の諸都市で開催することを定めた[SRC-02512]。国際オリンピック委員会自身の記録も、アテネが1894年6月23日のIOC第1回総会で開催都市に選ばれたと記す[SRC-01860]。

歴史的背景

会議の議事日程には、あらかじめ「オリンピック競技大会復興の可能性」「競技大会復興を準備する国際委員会の指名」といった項目が組み込まれていた[SRC-02512]。採択された決議の一項は、オリンピック競技大会の復興が運動競技上・道義的・国際的見地から有益であることに疑いはないとし、近代生活の必要に適合した基盤・条件のもとで競技大会を復興することを定めた[SRC-02512]。Olympediaは、この会議(1894年のソルボンヌ会議)でクーベルタンが代表団にオリンピック競技大会の再興を説得したと記す[SRC-01862]。また、ギリシャの政治家は当初この開催に積極的でなかったが、クーベルタンと(当時のIOC会長)ヴィケラスの働きかけによって支持を得たとも記す[SRC-01862]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1893年春(グレゴリオ暦) フランス運動競技団体連合評議会の決定により会議の招集が決まる [SRC-02512]
1893年11月27日(グレゴリオ暦) ニューヨークのユニバーシティ・クラブで準備会合 [SRC-02512]
1894年2月7日(グレゴリオ暦) ロンドンのスポーツ・クラブで準備会合 [SRC-02512]
1894年6月16日(グレゴリオ暦) パリ・ソルボンヌで会議が開会 [SRC-02512]
1894年6月23日(グレゴリオ暦) 会議最終会合。国際委員会の発足(IOC自身の記録では「第1回総会」)とアテネ・パリの開催地決定の決議を採択 [SRC-02512][SRC-01860]
異説・論争定説のない論点があります
論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
発足当時の初代会長は誰か 登録出典が示す初代会長はヴィケラス(1894〜1896年)であり、クーベルタンは事務総長だった。クーベルタンが会長に就いたのは1896年である [SRC-02512][SRC-02513] 本記事が確認した範囲では、この点について学術的な対立説は確認されなかった(登録出典が示す事実と、クーベルタンを設立当初からの会長とする理解との相違)
委員会発足を「6月23日」とする根拠の強さ 本記事が発足日として採用する1894年6月23日は、IOC自身の歴史文書館公式記録が「IOC第1回総会」の日付として明記する日に依拠する(単一系統)。会議当事者自身の機関紙は、委員会の構成を会議全体の成果として報じるが、その確定を会期中の特定の日(6月16日〜23日のいずれか)に結びつける一文は本記事の調査範囲では見出せなかった [SRC-01860][SRC-02512] 学術的な対立説ではなく、出典の精度・射程に関する留保。会議当事者の機関紙は、同じ6月23日が会議の閉会の晩餐会の日であったことを独立に記しており、両者は矛盾しない
アテネ選出の日付(23日か24日か) Olympediaの概説は「1894年のソルボンヌ会議の終わりに」アテネへ開催権が与えられたと記す一方、同じページの別節(Bid process)は選出日を「1894年6月24日」と記す。本記事が依拠する会議当事者自身の機関紙は、決議の採択を「6月23日(土曜)」の会議最終会合に置き、国際オリンピック委員会自身の歴史文書館公式記録も「23 June 1894」と記す [SRC-01862][SRC-02512][SRC-01860] 学術的な対立説ではなく、登録出典間(Olympediaの24日とBulletin・IOC記録の23日)の相違。本記事は、会議直後に発行された会議当事者自身の機関紙と、国際オリンピック委員会自身の歴史文書館公式記録という独立2系統が一致する6月23日を採る
委員会の成立時点に関するクーベルタン自身の後年の回想 クーベルタンは1931年刊の回想録で、会長職の取り決めは会議閉会から数日後、委員会そのものの成立(指名された人々からの受諾)は夏の半ばの出来事だったと記している。本記事が発足日として採用する6月23日とは異なる時点を示す記述である [SRC-02514] 学術的な対立説ではなく、当事者による37年後の回想という性質上の相違。本記事は、会議から約1か月後に発行された会議当事者自身の機関紙と、国際オリンピック委員会自身の歴史文書館公式記録という、時期的に近い独立2系統が示す6月23日を発足日として採る

確認された異説(上記以外): なし(調査範囲: 国際委員会の構成・初代会長・初代事務総長、会議の開催日・閉会日、アテネ開催地決定の経過について、会議当事者自身の機関紙〔1894年刊〕・国際オリンピック委員会自身の歴史文書館公式記録・Olympediaの運営する資料・クーベルタン自身の回想録〔1931年刊〕の計4系統を確認した。確認された相違は上記の各行に記載した)。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

この委員会は、1896年のアテネ大会をはじめ、以後4年ごとに開催されるオリンピック競技大会を組織する機関として存続し、現在の国際オリンピック委員会(IOC)として知られている[SRC-01860][SRC-02513]。

現代の視点

初代会長がヴィケラスであったという事実は、「クーベルタンが近代オリンピックを一人で作った」という理解とは異なる(本サイトの整理)。出典が示す限りでは、クーベルタンは提案者・組織委員・事務総長としての役割を担ったのであり、発足時の会長はギリシャのヴィケラスだった[SRC-02512][SRC-02513]。

出典一覧

  1. [SRC-02512] Bulletin du Comité International des Jeux Olympiques, Nº 1 (Juillet 1894)/国際委員会(Comité International。後の国際オリンピック委員会, IOC)(ランクS)
  2. [SRC-02513] Olympedia — Organizations: International Olympic Committee/Olympedia(編集: Bill Mallon, Hilary Evans, Arild Gjerde, Jeroen Heijmans ほかOlympic historian統計チーム)(ランクB)
  3. [SRC-01860] Olympic Games Fonds — Fonds files: 1. The Games of the Olympiad (1896-1984) — 「Athens 1896 – Games of the I Olympiad」節/国際オリンピック委員会(IOC)歴史文書館(IOC Historical Archives)(ランクS)
  4. [SRC-01862] Olympedia — 1896 Summer Olympics Overview/Olympedia(編集: Bill Mallon, Hilary Evans, Arild Gjerde, Jeroen Heijmans ほかOlympic historian統計チーム)(ランクB)
  5. [SRC-02514] Mémoires olympiques — Chapitre II, « La conquête de la Grèce »/Bureau International de Pédagogie Sportive(1931年、ローザンヌ刊。フランス語版Wikisourceが底本djvu「Coubertin - Mémoires olympiques, 1931.djvu」(p.19-26)から翻刻・公開)(ランクB)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-10-09あり
22026-10-09あり
32026-10-09あり
42026-10-09なし

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