1889年世界 19世紀
エッフェル塔完成——1889年3月31日、竣工と旗の掲揚
日付と暦
- 原典表記
- 1889年3月31日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1889-03-31(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 3月31日のページ
この記事の主張は出典に紐づけて検証しています。検証記録を見る
概要
1889年3月31日、パリのシャン・ド・マルスで建設が進められていたエッフェル塔が竣工した[SRC-01812][SRC-01814]。同日、設計者のギュスターヴ・エッフェルは、未完成だったエレベーターの代わりに階段で塔上へ登り、政府・パリ市の関係者や協力者らが見守るなか自ら三色旗を掲げた[SRC-01814][SRC-01815]。塔はこの年に開催されるパリ万国博覧会(フランス革命100周年記念)の正門として建設されたもので、当初の設計高は300メートルに達し、竣工時点で世界一高い人工建造物となった[SRC-01812][SRC-01816]。ただし竣工日の時点では内装は未完成で、塔が一般公開されたのは1か月半後の5月15日、万博自体の開幕はそれに先立つ5月6日だった[SRC-01814][SRC-01815][SRC-01816][SRC-01818]。着工直後の1887年2月には、著名な作家や画家ら約40名が塔の建設に反対する抗議文を新聞に掲載していた[SRC-01812][SRC-01813]。
本文
エッフェル塔は、1887年1月26日の起工から1889年3月31日の竣工まで、2年2か月5日をかけて建設された[SRC-01812][SRC-01814]。当時としては異例の速さであり、労働者の死者は1名にとどまったとされる[SRC-01815]。エッフェル塔公式サイトの建設工程表は、3月31日を塔の頂上部と組み立てが完了した日として記す[SRC-01812]。ギュスターヴ・エッフェルはその日のうちに落成の式典を行った[SRC-01814]。塔の建設に使われる予定だった油圧式エレベーターはまだ稼働しておらず、エッフェルは数名の同行者とともに階段で塔上へ登り、大きな三色旗を掲揚した[SRC-01814][SRC-01815]。式典には、協力者や政府・パリ市の関係者、パリ万博の総裁も列席したとされる[SRC-01814]。地上に戻ったエッフェルは、塔の建設に携わった作業員たちに謝辞を述べた[SRC-01814]。
竣工式典後にエッフェルが謝辞を述べた対象の人数については、出典によって記述が異なる。HISTORY(A&E Television Networks)は、式典にフランス首相ピエール・チラールら要人とともに200名の建設作業員が列席したと記したうえで、エッフェルが降壇後にこの列席者と約200名の作業員に向けて述べたとする[SRC-01815]。一方、エッフェル塔公式サイトは、列席者を役職で示すにとどめ、エッフェルが謝辞を述べた対象を「塔を建設した300名の作業員」と記している[SRC-01814]。同サイトの建設概要では、建設現場の作業員数を「150〜300名」という幅でも示している[SRC-01812]。両出典はいずれも、エッフェルが降壇した後に謝辞を述べたという同一の場面について、異なる人数を記している。
竣工日の時点で、塔の内装はまだ完成していなかった[SRC-01814]。塔の一般公開は1889年5月15日だった[SRC-01814][SRC-01816]。エッフェル塔公式サイトによれば、竣工式典の日に設置された旗竿と三色旗により塔の高さはわずかに伸び、この一般公開時点で1,024フィート(312メートル)に達していたという[SRC-01814]。油圧式エレベーターが稼働したのはさらに1か月ほど後の6月だった[SRC-01814]。パリ万国博覧会自体の開幕は5月6日で、エッフェル塔は万博会場の正門として来場者を迎えた[SRC-01815][SRC-01818]。
歴史的背景
1889年の万博は、1789年のフランス革命から100周年を記念するもので、フランス政府はシャン・ド・マルスに建てる記念建造物の設計競技を実施した[SRC-01815][SRC-01816]。100件を超える案が寄せられ、選考委員会は橋梁建設技術者として知られたギュスターヴ・エッフェルの案を採用した[SRC-01815][SRC-01816]。エッフェルの会社の技術者モーリス・ケクランとエミール・ヌーギエが1884年に構想を練り、建築家ステファン・ソーヴェストルが外観の意匠を担当した[SRC-01812]。エッフェルは1884年9月18日、高さ300メートルを超える金属支柱の構造について特許を取得した[SRC-01812]。当初計画された300メートルという高さは、1,000フィートという象徴的な数字に相当するものだった[SRC-01812]。
計画は当初、専門家からは構造上の安全性への懐疑、パリ市民や芸術家からは景観を損なうという批判にさらされた[SRC-01815]。1887年2月14日、建設が始まって間もない時期に、日刊紙『ル・タン』の一面に、パリ万博の工事責任者アルファン宛の抗議文「エッフェル氏の塔への抗議」が掲載された[SRC-01812][SRC-01813]。エッフェル塔の運営会社公式サイト(建築史家ベルトラン・ルモワーヌ署名)によれば、署名者はおよそ40名にのぼり、作曲家シャルル・グノー、作家ギ・ド・モーパッサンとアレクサンドル・デュマ・フィス、詩人フランソワ・コペーとルコント・ド・リール、画家ウィリアム・ブグローとエルネスト・メソニエ、そしてオペラ座の設計者でもある建築家シャルル・ガルニエらが名を連ねたとされる[SRC-01813]。抗議文は塔を「無用で怪物じみた」("inutile et monstrueuse")建造物と呼び、公衆がすでに「バベルの塔」とあだ名していると記し、20年にわたりパリの街全体に「ボルトで留められた忌まわしい鉄板の柱の、忌まわしい影」("l'ombre odieuse de l'odieuse colonne de tôle boulonnée")が伸びることになると訴えた[SRC-01812][SRC-01813]。モーパッサンは別の機会に、塔を「高く痩せた鉄の梯子のピラミッド、不格好で巨大な骸骨」("cette haute et maigre pyramide d'échelles de fer, squelette disgracieux et géant")と評したと伝えられる[SRC-01813]。エッフェルは同紙上でこれに応じ、「我々は技術者だからといって、美が我々の建設において意に介さないと考えられているのだろうか。堅固で耐久性のあるものを作ろうと努めると同時に、優美なものにしようとも努めていないと言えるだろうか」("Parce que nous sommes des ingénieurs, croit-on donc que la beauté ne nous préoccupe pas dans nos constructions et qu'en même temps que nous faisons solide et durable, nous ne nous efforçons pas de faire élégant ? Est-ce que les véritables fonctions de la force ne sont pas toujours conformes aux conditions secrètes de l'harmonie?")と反論したとされる[SRC-01812][SRC-01813]。エッフェル塔の運営会社公式サイトによれば、こうした論争は塔の完成とともに、その姿を実際に目にした人々や万博での人気の前に自然と沈静化したという[SRC-01812]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1884年9月18日(グレゴリオ暦) | ギュスターヴ・エッフェルが高さ300メートルを超える金属支柱構造の特許を取得する(本記事の主題の射程外) | [SRC-01812] |
| 1887年1月26日(グレゴリオ暦) | エッフェル塔の起工(最初の掘削作業が始まる) | [SRC-01812][SRC-01814] |
| 1887年2月14日(グレゴリオ暦) | 日刊紙『ル・タン』に芸術家らによる抗議文「エッフェル氏の塔への抗議」が掲載される(本記事の主題の射程外・背景事項) | [SRC-01812][SRC-01813] |
| 1889年3月31日(グレゴリオ暦) | エッフェル塔が竣工し、ギュスターヴ・エッフェルが塔上で三色旗を掲げる落成式典が行われる(本記事の配置日) | [SRC-01814][SRC-01815] |
| 1889年5月6日(グレゴリオ暦) | パリ万国博覧会自体が開幕する(本記事の主題の射程外) | [SRC-01815][SRC-01818] |
| 1889年5月15日(グレゴリオ暦) | エッフェル塔が一般公開される | [SRC-01814][SRC-01816] |
| 1889年6月(グレゴリオ暦) | 塔の油圧式エレベーターが稼働を始める(本記事の主題の射程外) | [SRC-01814] |
| 1909年(グレゴリオ暦) | パリ万博に伴う当初20年間の敷地占用契約が満了し、解体の危機にあったが無線通信用アンテナとしての価値により存続する(本記事の主題の射程外) | [SRC-01815] |
| 1929年ないし1930年(グレゴリオ暦) | ニューヨークのクライスラー・ビルが躯体完成(1929年、ブリタニカ)ないし完成(1930年、HISTORY)し、エッフェル塔が保持していた世界一高い建造物の記録が更新される(本記事の主題の射程外) | [SRC-01815][SRC-01816] |
異説・論争定説のない論点があります
本サイトが確認した範囲では、エッフェル塔の竣工日(1889年3月31日)・一般公開日(同年5月15日)・当初の設計高(300メートル)について、出典間の実質的な対立は見当たらなかった。一方、以下の点で出典間に記述の粒度・数値の相違がある。
論点1: 竣工式典後、エッフェルが謝辞を述べた作業員数。HISTORY(A&E Television Networks)は、式典にフランス首相ピエール・チラールら要人とともに200名の建設作業員が列席したと明記したうえで、「エッフェルとその一行は降壇し、〔エッフェルは〕列席者と約200名の作業員に向けて述べた」と記す[SRC-01815]。一方、エッフェル塔公式サイトは、式典の列席者を「エッフェルの協力者・政府およびパリ市当局者・パリ万博総裁」と役職で示すにとどめ、地上に戻ったエッフェルが「塔を建設した300名の作業員」に謝辞を述べたと記す[SRC-01814]。同サイトの建設概要は、建設現場の作業員数を「150〜300名」という幅でも示している[SRC-01812]。両出典はいずれも、エッフェルが降壇した後に謝辞を述べたという同一の場面を記しているが、その対象人数は約200名(HISTORY)と300名(エッフェル塔公式サイト)で相違しており、本サイトが確認した範囲では、この相違を説明する記述は見当たらなかった。
論点2: 世界一高い建造物としての記録が失われた時期。ブリタニカは、エッフェル塔が世界一高い建造物だった期間について「ニューヨークのクライスラー・ビルの躯体完成(topping off)」を区切りとし1929年と記す[SRC-01816]。HISTORYは「クライスラー・ビルの完成」を区切りとし1930年と記す[SRC-01815]。本サイトが確認した範囲では、両者は建設の完了段階(躯体の完成か、最終的な完成か)の違いによる表現の相違と考えられるが、これを明示的に説明する出典記述は見当たらなかった(この解釈自体は本サイトの整理である)。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 式典後の謝辞対象人数 | HISTORYは列席した200名の建設作業員に言及し、降壇後の謝辞の対象もこの約200名とする | [SRC-01815] | HISTORYが式典の列席者・降壇後の謝辞対象の双方として明記する数値 |
| 式典後の謝辞対象人数 | エッフェルが謝辞を述べた対象は300名の建設作業員 | [SRC-01814] | エッフェル塔公式サイトが記す数値。同サイトの建設概要では建設現場の作業員数を「150〜300名」とも記す |
| 記録更新の年 | 1929年(クライスラー・ビル躯体完成) | [SRC-01816] | ブリタニカの記述 |
| 記録更新の年 | 1930年(クライスラー・ビル完成) | [SRC-01815] | HISTORYの記述 |
関連する出来事
エッフェル塔は、1889年のパリ万国博覧会(フランス革命100周年記念)の正門として建設された[SRC-01815][SRC-01816]。竣工・落成式典(3月31日)はエレベーター未完成のまま行われ、塔の一般公開(5月15日)はそれから1か月半後、万博自体の開幕(5月6日)はさらにその前だった[SRC-01814][SRC-01815][SRC-01818]。着工直後の1887年2月には、著名な作家・画家らによる建設反対の抗議文が新聞に掲載されている(詳細は「歴史的背景」参照)[SRC-01812][SRC-01813]。塔はその後、1909年に当初の敷地占用契約が満了した際に解体の危機にあったが、無線通信用アンテナとしての実用性から存続した(詳細は「現代の視点」参照)[SRC-01815]。
関連人物
ギュスターヴ・エッフェル(Gustave Eiffel)——フランスの構造技術者・企業家[SRC-01812]。橋梁建設で知られ、自らの会社でエッフェル塔の設計・建設を主導した[SRC-01812][SRC-01815]。技術者モーリス・ケクランとエミール・ヌーギエが塔の構造構想を、建築家ステファン・ソーヴェストルが外観の意匠を担当した[SRC-01812]。1889年3月31日の竣工式典では、階段で塔上へ登って自ら三色旗を掲げた[SRC-01814][SRC-01815]。
歴史的意義
エッフェル塔は竣工時点で当初の設計高300メートルに達し、世界一高い人工建造物となった[SRC-01812][SRC-01816]。ワシントン記念塔を所管する史跡運営団体(マウントバーノン夫人協会)の公式デジタル百科事典によれば、それまで世界一高い建造物だった555フィート(約169メートル)のワシントン記念塔(1884年完成)は、1889年のエッフェル塔建設によりその記録を失った[SRC-01817]。エッフェル塔が保持したこの記録は、その後ニューヨークのクライスラー・ビルの完成(あるいは躯体完成)まで、およそ40年間続いたとされる[SRC-01815][SRC-01816]。
着工直後には強い反対を受けた塔だったが、エッフェル塔公式サイトによれば、完成後の姿と万博での人気の前に論争は沈静化したという[SRC-01812]。当初は万博後の解体も想定される一時的な建造物だったが、その後、気象観測・軍用無線電信・空気力学の実験施設への転用が図られ、20世紀の技術的な用途を得て存続した(詳細は「現代の視点」参照)[SRC-01816]。
現代の視点
HISTORYの記述によれば、エッフェル塔はパリ万博に伴う当初20年間の敷地占用契約が1909年に満了した際、解体の危機にあったが、無線通信用アンテナとしての価値がこれを救ったとされる[SRC-01815]。ブリタニカも、万博終了後にエッフェルが塔の新たな用途を模索し、1890年に気象観測所、1903年に軍用無線電信局、1909年に空気力学の実験施設として塔を活用したこと、また1900年・1925年・1937年の各万博に向けてさらに改修が行われたことを記している[SRC-01816]。テレビ放送用のアンテナが加わったことで塔の高さは約20メートル伸び、2022年3月にはデジタルラジオ(DAB+)用アンテナの増設により、現在の高さは1,083フィート(330メートル)に達している[SRC-01814][SRC-01816]。1889年の竣工時点では一時的な建造物として計画されていた塔が、通信インフラとしての実用性を通じて存続し、今日ではパリを象徴する観光地の一つとなっている(この評価の整理自体は本サイトによるものである)[SRC-01816]。
出典一覧
- [SRC-01812] Origins and Construction of the Eiffel Tower/toureiffel.paris(Société d'Exploitation de la Tour Eiffel/SETE)(ランクB)
- [SRC-01813] Ces artistes qui ne voulaient pas de la Tour Eiffel/toureiffel.paris(Société d'Exploitation de la Tour Eiffel/SETE)— 執筆: ベルトラン・ルモワーヌ(Bertrand Lemoine)(ランクA)
- [SRC-01814] 133 years and 1,083 feet!/toureiffel.paris(Société d'Exploitation de la Tour Eiffel/SETE)(ランクB)
- [SRC-01815] Eiffel Tower opens in Paris/HISTORY(A&E Television Networks)(ランクB)
- [SRC-01816] Eiffel Tower | History, Height, & Facts/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
- [SRC-01817] Washington Monument (George Washington's Mount Vernon Digital Encyclopedia)/George Washington's Mount Vernon(ジョージ・ワシントン・マウントバーノン夫人協会)(ランクA)
- [SRC-01818] Expo 1889 Paris(Bureau International des Expositions/博覧会国際事務局)/Bureau International des Expositions(BIE/博覧会国際事務局)(ランクA)
本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。
訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-28 | — |
| 2 | 2026-09-28 | 不明 |
訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。