クリーブランド大統領は、霧と雨の中で自由の女神像をフランスからの贈り物として受け取った
日付と暦
- 原典表記
- 1886年10月28日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1886-10-28(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 10月28日のページ
この記事の主張は出典に紐づけて検証しています。検証記録を見る
概要
1886年10月28日、アメリカ合衆国のクリーブランド大統領は、ニューヨーク港内のベドロー島(現リバティー島)で、フランスから贈られた自由の女神像の除幕式に臨み、アメリカを代表して像を正式に受け取った[SRC-00491]。米国立公園局の年表によれば、この式典に参列したのは男性2,000〜2,500人で、女性は同伴者なしでは入場券を得られなかったため、ニューヨーク州女性参政権協会が船をチャーターして海上から見物した[SRC-00491]。同じ日、ニューヨーク市では史上初のティッカーテープ・パレードが開かれ、霧と雨の中、100万人を超える人々が参加したとされる[SRC-00491]。
本文
自由の女神像の構想は、1865年にフランスの政治思想家エドゥアール・ド・ラブレーが、独立100周年に際し自由を象徴する像をフランスからアメリカへ贈ることを提案したことに始まる[SRC-00491]。彫刻家バルトルディは1870年に像の彫刻家となり[SRC-00491]、1876年から制作に着手した[SRC-00491](コトバンク収載の日本大百科全書も制作担当を記すが年への言及はない[SRC-00492])。像は1885年6月17日、解体された状態でニューヨーク港へ運ばれ、台座の完成を待つ間、保管された[SRC-00491]。
1886年、台座が完成すると、大半が移民だった作業員らによって像の組み立てが進められ、10月23日には自由の女神像が完成した[SRC-00491]。10月20日には除幕式典に備えて像の顔に厚い帆布が掛けられた[SRC-00491]。
10月28日、ニューヨーク市は史上初のティッカーテープ・パレードを開き、100万人を超える人々が参加したとされる[SRC-00491]。米国立公園局の年表は、終日霧と雨で視界が4分の1マイル〔約402メートル〕に満たなかったが約300隻の船による水上パレードが像の前を通過したこと、式典の最中にバルトルディが像の顔の三色のフランス国旗を予定より早く外し、クリーブランド大統領が式典でバルトルディを「今日のアメリカで最も偉大な人物」["the greatest man in America today"]と讃えたこと、参列したのは男性2,000〜2,500人で女性は同伴者なしでは入場券を得られず、ニューヨーク州女性参政権協会は船で見物したことを記す[SRC-00491]。クリーブランド大統領はアメリカを代表して像を正式に受け取った[SRC-00491]。悪天候で延期された花火と照明の披露は、11月1日に行われた[SRC-00491]。
歴史的背景
ラブレーがこの提案を行った背景には、南北戦争における北軍の勝利によって自由と民主主義の理念が確認されたことがあり、この理念をアメリカへの顕彰という形で示すことがフランス国内で民主主義の大義を強める土台になる、とラブレーは論じていたと米国立公園局の年表は記す[SRC-00491]。資金面では、フランス側の委員会が募金によって像の建造費を賄い[SRC-00491]、アメリカ側はアメリカ自由の女神像委員会の募金(1877〜1884年に12万5,000ドル)と、1885年のピュリツァー(ニューヨーク・ワールド紙)の新聞募金(10万ドル超)の2系統で台座建設費を賄った[SRC-00491]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1865年(グレゴリオ暦) | ラブレー、自由を象徴する像をフランスからアメリカへ贈ることを提案 | [SRC-00491] |
| 1875年(グレゴリオ暦) | フランス・アメリカ連合が結成され、資金分担(仏=像、米=台座)を合意 | [SRC-00491] |
| 1877年2月22日(グレゴリオ暦) | アメリカ議会、像をフランス国民からの贈り物として受け入れ | [SRC-00491] |
| 1885年6月17日(グレゴリオ暦) | 解体された像がニューヨーク港へ到着 | [SRC-00491] |
| 1886年10月23日(グレゴリオ暦) | 自由の女神像が完成 | [SRC-00491] |
| 1886年10月28日(グレゴリオ暦) | 除幕式典。クリーブランド大統領が像を正式に受領した。同日、ニューヨーク市で史上初のティッカーテープ・パレードが開催されたとされる | [SRC-00491] |
| 1886年11月1日(グレゴリオ暦) | 悪天候で延期されていた花火・照明の披露を実施 | [SRC-00491] |
| 1903年(グレゴリオ暦) | エマ・ラザラスの詩「The New Colossus」の一節を刻んだ銘板を台座に設置 | [SRC-00491] |
暦の注記: 上表の日付はいずれもグレゴリオ暦(1886年当時のアメリカ合衆国・フランスはいずれもグレゴリオ暦を用いており、改暦境界には該当しない)。
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)
コトバンク収載の日本大百科全書(紅山雪夫執筆)は、バルトルディが「母親をモデルにした」と伝聞形(「といわれている」)で記している。しかし本記事で確認した他の出典(米国立公園局公式年表、同じくコトバンク収載の改訂新版世界大百科事典・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)にはこの点への言及がなく、単一出典の伝聞情報にとどまる。裏づけが得られていないため、本記事では像のモデルについて断定しない。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 像の顔のモデル | バルトルディの母親をモデルにしたとされる | [SRC-00492](日本大百科全書、伝聞形) | 他の確認出典([SRC-00491][SRC-00493])に同種の記述はなく、単一出典の伝聞情報にとどまる |
上記以外に確認された異説: なし(調査範囲: 米国立公園局公式年表〔SRC-00491〕、コトバンク収載事典2ページ〔SRC-00492・SRC-00493〕。両ページの実収載は重複を除き計9資料〔デジタル大辞泉はSRC-00492・SRC-00493の両方に現れるが前者では参照見出しのみ〕で、本記事が根拠に採用したのはそのうち7資料〔SRC-00492: 日本大百科全書・世界遺産詳解/SRC-00493: デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典・改訂新版世界大百科事典・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典〕。除幕式の日付・場所・参列者数・式典中の出来事について、SRC-00491の記述と、採用した事典7資料の年〔1886年〕レベルの記述との間に食い違いは確認されなかった。なお、SRC-00493に収載されるが本記事では不採用の講談社「世界の観光地名がわかる事典」は贈与年を「1876年」と記しており、採用した7資料の「1886年」と割れている。この割れは独立100周年〔1876年〕と像の落成・除幕〔1886年〕の混同によるものとみられるため、本記事では異説として扱わない〔詳細はSRC-00493のSourceノートを参照〕)。
関連する出来事
- 1903年、除幕から17年後、エマ・ラザラスの詩「The New Colossus」の一節を刻んだ銘板が像の台座に設置された[SRC-00491]。除幕式そのものにはこの詩は関わっていない。
- 1956年、ベドロー島は議会の共同決議により「リバティー島」に改称された[SRC-00491]。
- 1965年、エリス島が国立公園局に編入され、自由の女神像国定記念物の管理下に置かれた[SRC-00491]。
- 1984年、自由の女神像はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された[SRC-00492][SRC-00493]。
関連人物
- クリーブランド大統領(グロバー・クリーブランド): 除幕式典に臨席し、アメリカ合衆国を代表して像を正式に受け取った[SRC-00491]。
- バルトルディ(フレデリック・オーギュスト・バルトルディ): 像を設計・制作したフランスの彫刻家。式典で像の顔の覆いを予定より早く外したとされる[SRC-00491][SRC-00492]。
- エマ・ラザラス: 詩「The New Colossus」の作者。この詩の一節を刻んだ銘板は、除幕式の17年後(1903年)に台座へ設置された[SRC-00491]。
歴史的意義
自由の女神像は、独立100周年を記念し米仏両国の友好の証としてフランスからアメリカへ贈られたものである[SRC-00493]。アメリカ議会はこれをフランス国民からの贈り物として受け入れ[SRC-00491]、クリーブランド大統領は除幕式典でこれを友好の贈り物として正式に受け取った[SRC-00491]。コトバンク収載の改訂新版世界大百科事典も、アメリカの独立100年祭を祝うとともに米仏両国の友好のために像が贈られたと記す[SRC-00493]。コトバンク収載の百科事典マイペディアは、この像が「19世紀末以来絶えることなく世界各地からやってくる移民にとっての新天地の象徴となっている」と記す一方、他の確認出典(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典・改訂新版世界大百科事典・ブリタニカ国際大百科事典)は移民の象徴という位置づけには触れていない[SRC-00493]。移民の象徴としての意味づけは、1903年のラザラスの詩の銘板設置や、1965年のエリス島編入など、除幕式(1886年)よりも後の出来事の積み重ねを経て強まったものである(本サイトの整理。出典が直接この因果を述べているわけではない)[SRC-00491]。
現代の視点
1886年の除幕式が「自由」を体現する女神像を迎える儀式でありながら、米国立公園局の年表が伝える、式典に参列したのが男性2,000〜2,500人で、女性は同伴者なしでは入場券を得られなかったという記録は、現代の視点から見ると際立った対比をなす[SRC-00491]。ニューヨーク州女性参政権協会が船をチャーターして海上から式典を見物したという記録は、当時すでにこの矛盾が同時代の人々にも意識されていたことを示す一つの手がかりである(本サイトの解釈。出典は協会の行動を記すのみで、協会自身の意図や声明までは述べていない)[SRC-00491]。
出典一覧
- [SRC-00491] Liberty Island Chronology - Statue Of Liberty National Monument (U.S. National Park Service)/National Park Service (Statue of Liberty National Monument)(ランクA)
- [SRC-00492] 自由の女神像(じゆうのめがみぞう)とは? 意味や使い方(コトバンク)/コトバンク(朝日新聞社・VOYAGE MARKETING)(ランクB)(複数の資料を収載)
- [SRC-00493] 自由の女神(じゆうのめがみ)とは? 意味や使い方(コトバンク)/コトバンク(朝日新聞社・VOYAGE MARKETING)(ランクB)(複数の資料を収載)
本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。
訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-03 | — |
| 2 | 2026-09-03 | あり |
| 3 | 2026-09-04 | あり |
訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。