1900年世界 19世紀

鉄道員たちの決議から生まれた連合——1900年2月27日、労働組合と社会主義諸団体がロンドンで「労働代表委員会」を結成したとされる

日付と暦

原典表記
1900年2月27日(グレゴリオ暦)
換算
1900-02-27(グレゴリオ暦)
掲載日
2月27日のページ

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概要

1900年2月、ロンドン・ファリンドン・ストリートのコングリゲーショナル記念館だったとされる会場に集まった129名の代議員を前に、キア・ハーディは一つの動議を提案した。下院に、独自のウィップ(院内幹事)と政策を持つ「労働議員団」を組織するという動議である[SRC-01553]。この動議は、社会民主連盟(SDF)が求めた「階級闘争の承認」を伴う原案への修正案として提出され、可決された[SRC-01555]。この会議を経て、労働組合と、独立労働党(ILP)・社会民主連盟・フェビアン協会といった社会主義諸団体とが結びついた連合体——労働代表委員会(Labour Representation Committee, LRC)が生まれた[SRC-01554][SRC-01555][SRC-01557]。単独の指導者を持たなかったこの組織の初代書記には、独立労働党の推薦を受けたラムゼイ・マクドナルドが選ばれた[SRC-01553][SRC-01555]。もっとも、この時点で「労働党」(Labour Party)という名称はまだ用いられていない。正式な改称は、これより6年後、1906年のことである[SRC-01553][SRC-01554]。

本文

この会議が開かれる契機は、前年1899年の労働組合会議(TUC)にさかのぼる。TUCは、鉄道従業員合同組合(ASRS)と全国港湾労働者組合が提案した決議を、546,000票対434,000票で可決した[SRC-01555]。この決議は、TUC指導部に対し、協同組合・社会主義・労働組合その他の労働者団体を招いた特別会議の招集を求めるものだった[SRC-01555]。英語版Wikipediaは、この決議の発端を、ドンカスターのASRS支部所属組合員トマス・R・スティールズの提案に求める[SRC-01553]。

この決議を受けて開かれた会議は、1900年2月26日と27日の2日間にわたったとされる[SRC-01553]。会場は、ロンドン・ファリンドン・ストリートのコングリゲーショナル記念館だったとされる[SRC-01553][SRC-01556]。この跡地に1985年、グレーター・ロンドン・カウンシルが設置した記念プレートは、「ここで1900年2月27日、労働党が設立された」(The Labour Party was founded here 27 February 1900)と刻んでいる[SRC-01556]。出席した労働組合は、TUC加盟組合のおよそ半数、組合員数にしておよそ3分の1に相当したとされる[SRC-01553]。独立労働党から2名、社会民主連盟から2名、フェビアン協会から1名、そして労働組合から7名の、計12名からなる委員会が設けられた[SRC-01553]。

この組織の性格について、労働運動史を専門とする研究者ジム・モーティマーは、「労働組合員と社会主義諸団体の構成員とを結びつける連邦的な組織であり、社会主義を目的として掲げたものではなかった(もっとも、社会主義諸団体を含むことは反社会主義でないことを意味した)」と記す[SRC-01555]。BBCウェールズの歴史解説も、労働組合員と社会主義諸団体の構成員による「共同の企て」だったと記す[SRC-01557]。People's History Museumも、独立労働党・複数の労働組合・フェビアン協会・社会民主連盟が結集したものだったと解説する[SRC-01554]。

単独の指導者を持たなかったこの組織で、独立労働党の推薦候補ラムゼイ・マクドナルドが初代書記に選ばれた[SRC-01553][SRC-01555]。マクドナルドは、その後、労働党の指導者となり、1924年、英国最初の労働党政権で首相となったとされる[SRC-01555]。

歴史的背景

独立した労働者代表を求める動きは、この会議より前から積み重ねられていた。1892年のTUCでキア・ハーディが主導した議論を経て、翌1893年1月、ブラッドフォードでの会議が独立労働党(ILP)の結成を決定した[SRC-01555]。もっとも、1890年代を通じ、ILP単独の候補者が議席を得るのは容易ではなく、労働組合の側にも自由党との協力(いわゆるLib-Lab路線)を支持する声が根強く残っていた[SRC-01555]。1899年のTUC決議は、こうした状況のなかで、労働組合と社会主義諸団体とを結びつけ、下院に独自の勢力を持たせようとする試みだった[SRC-01555]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1892年(グレゴリオ暦) キア・ハーディがTUCで労働者の独立した政治的代表を求める議論を主導 [SRC-01555]
1893年1月(グレゴリオ暦) ブラッドフォードでの会議が独立労働党(ILP)の結成を決定 [SRC-01555]
1899年(グレゴリオ暦) TUCが、労働代表委員会設立に向けた特別会議の招集を求める決議を546,000票対434,000票で可決 [SRC-01555]
1900年2月26日・27日(グレゴリオ暦) 結成会議がロンドンで開催され、労働代表委員会(LRC)が結成された(結成日は27日とされる) [SRC-01553][SRC-01555][SRC-01556]
1906年2月(グレゴリオ暦) 総選挙後、初めて開かれた所属下院議員の会合で「労働党」(Labour Party)へ正式に改称 [SRC-01553][SRC-01554]
1924年(グレゴリオ暦) 初代書記マクドナルドが労働党として最初の政権を率いる首相になったとされる [SRC-01555]
異説・論争定説のない論点があります

1900年の結成会議そのものの性格(労働組合と社会主義諸団体の連合体であること)・開催時期(1900年2月)・決議文言については、確認した資料間に対立する記述はなかった。ただし、以下の1点について、出典間に日単位での相違がある。

労働代表委員会が正式に「労働党」(Labour Party)へ改称された会合の日付について、英語版Wikipedia「Labour Representation Committee (1900)」記事は「1906年2月15日、総選挙後に初めて開かれた所属議員の会合」と記す一方[SRC-01553]、People's History Museum公式サイトは「1906年2月12日の初会合」と記しており[SRC-01554]、日単位で一致しない。本記事は、この出来事自体が1900年の結成とは別の出来事(改称)であり、かつ本記事の中核的な射程の外にあることを踏まえ、本文・タイムラインでは月単位(1906年2月)までの記述にとどめ、日単位の断定は避けた。

本記事の中心的な日付構造そのもの(結成会議のどの日を「結成日」として配置するか)についても、出典間に開示すべき限界がある。結成会議が1900年2月26日・27日の2日間にわたって開かれたことは英語版Wikipediaが記すが[SRC-01553]、同記事自体は、26日・27日のいずれかを「結成日」として名指してはいない(同記事にインフォボックスは存在しない)。「27日」を結成日として明記する記述は、1985年にグレーター・ロンドン・カウンシルが結成会議跡地に設置した記念プレートの碑文([SRC-01556]・ランクC)単独にとどまり、ランクB以上の直接の日単位出典は本記事の調査範囲では確保できなかった(労働運動史の専門家ジム・モーティマーの小論は「1900年2月末」という月単位の記述にとどまる[SRC-01555])。このため、本記事は文書事実である27日を表示日付に採り、結成日としての確からしさは「とされる」の水準で示している。

結成会議への出席規模についても、出典間で評価が食い違う。英語版Wikipediaは、出席した労働組合がTUC加盟組合のおよそ半数・組合員数にしておよそ3分の1に相当したと記す一方[SRC-01553]、ジム・モーティマーの小論は「TUC加盟組合員の半数に満たない組合員が代表された」(出席組合員数約54.5万人に対し、当時のTUC加盟組合員数は約120万人)と記しており[SRC-01555]、出席規模の評価が一致しない。

論点 説 根拠・出典 学界での位置づけ
1906年、正式に「労働党」へ改称した会合の日 1906年2月15日 英語版Wikipedia「Labour Representation Committee (1900)」記事[SRC-01553] 共同編集百科事典(ランクC)の記述
同上 1906年2月12日 People's History Museum公式サイト[SRC-01554] 労働運動史の一次史料を収蔵する博物館の公式解説(ランクA)

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

労働代表委員会の結成は、それ自体としては、労働組合と社会主義諸団体による緩やかな連合体の発足に過ぎなかった。しかし6年後の1906年、正式に「労働党」へと改称し、今日まで続く英国の主要政党の一つとして発展していく出発点となった[SRC-01553][SRC-01554]。初代書記マクドナルドは、後に1924年、労働党として最初の政権を率いる首相となったとされる[SRC-01555]。

現代の視点

今日「労働党」として知られる政党も、その出発点をたどれば、まだ政党とは呼べない、労働組合と社会主義諸団体の緩やかな連合体だった。ある政治勢力が最初から明確な政党として生まれるとは限らず、目的を共有する複数の団体が手を結び、時間をかけて一つの政党へと形を整えていく——この事例は、現代の政治運動の形成過程を考えるうえでも、一つの手がかりになるように思われる(本サイトの見立てであり、出典が直接述べる評価ではない)。

出典一覧

  1. [SRC-01553] Labour Representation Committee (1900) — Wikipedia/Wikipedia(英語版)(ランクC)
  2. [SRC-01554] Collection highlights: 1906 Labour Party minutes/People's History Museum(マンチェスター)(ランクA)
  3. [SRC-01555] The Formation of the Labour Party — Lessons for Today(Socialist History Occasional Papers No.10)/Socialist History Society(著者: Jim Mortimer, 2000年)(ランクB)
  4. [SRC-01556] Labour Party founded — London Remembers(記念プレート解説)/London Remembers(Alan Patient・plaquesoflondon.co.uk運営の有志プロジェクト)(ランクC)
  5. [SRC-01557] Twf y Blaid Lafur(『労働党の成長』・BBC Cymru/Wales『Hanes(歴史)』アーカイブ)/BBC Cymru/Wales(ランクB)
  6. [SRC-01558] Labour's Legacy — Labour Party(公式サイト「About us」ページ)/The Labour Party(労働党)(ランクB)
  7. [SRC-01559] The History of Trade Unionism(1920年版)/Longmans, Green and Co.(著者: Sidney Webb・Beatrice Webb。archive.org収蔵・コーネル大学図書館旧蔵本のデジタル化)(ランクB)

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訂正履歴

版日付事実主張への変更
12026-09-18—
22026-09-18あり

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