1967年世界 20世紀
アポロ1号の地上試験中に火災が発生し、グリソム・ホワイト・チャフィーの3飛行士が死亡した——発火源は、今も特定されていない
日付と暦
- 原典表記
- 1967年1月27日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1967-01-27(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 1月27日のページ
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概要
1967年1月27日午後6時31分ごろ(米東部標準時)、フロリダ州ケープケネディのケネディ宇宙センター発射複合体34で、アポロ1号(アポロ204)の司令船内において、打ち上げに向けた地上模擬試験中に火災が発生した[SRC-01305][SRC-01306]。乗組員のバージル・「ガス」・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィーの3飛行士が死亡した[SRC-01306][SRC-01305]。NASAのアポロ204審査委員会は発火源を特定するに至らず、最も可能性の高い着火要因を電気アークとした[SRC-01304]。米上院委員会もこれを採用し、異論を示さなかった[SRC-01305]。
本文
この試験はプラグスアウト統合試験(Plugs-Out Integrated Test)と呼ばれ、システムと手順を検証するものだった[SRC-01304][SRC-01308]。1967年2月21日に予定されていたアポロ計画初の有人飛行に向けた試験だった[SRC-01306][SRC-01308]。1967年1月27日、乗組員は司令船へ搭乗し、キャビンは大気圧よりやや高い16.7psiaの純酸素で加圧された[SRC-01304][SRC-01305]。
午後6時31分ごろ、乗組員から火災の発生が報告された[SRC-01304][SRC-01305]。報告から約14.7秒後、急速な圧力上昇により司令船が破裂した[SRC-01305]。検知から約25秒半で船内の酸素を消費し尽くした[SRC-01305]。内開き式のハッチは、火災による圧力上昇のため破裂まで開けることができず[SRC-01304][SRC-01305][SRC-01307]、発射台の要員も濃煙と熱に阻まれ、ハッチが開いたときにはすでに手遅れだった[SRC-01307]。検死の結果、3名の死因は火傷ではなく有毒ガスの吸入による窒息だったと結論づけられた[SRC-01305][SRC-01307]。
審査委員会は司令船内の配線を調べ、一部にアークの痕跡を確認したが、単一の発火源を確定的に特定できなかった[SRC-01304]。環境制御装置付近での電気アークを最も可能性の高い着火要因としつつ、水酸化リチウム容器アクセスドア下部の電源ケーブル損傷は火災で完全に焼失し実証できないとした[SRC-01304]。委員会は、この故障について「おそらく永久に特定されないだろう」["most likely will never be positively identified"]と述べている[SRC-01304]。米上院委員会もこれを採用し、異論を示さなかった[SRC-01305]。
歴史的背景
アポロ計画は、1961年に設定された、1960年代のうちに月への有人着陸と地球への安全な帰還を果たすという目標を追う中にあった[SRC-01305]。マーキュリー・ジェミニ両計画で純酸素雰囲気の試験・飛行を重ねて成功させてきた実績が、この試験を危険と認識できなかった一因とみられると上院委員会は指摘している[SRC-01305]。ロケットに燃料が搭載されていなかったこの試験は危険性が認識されておらず、安全部門のレビューを受けていなかったため、負傷者の救助・治療の備えがなされていなかった[SRC-01307]。司令パイロットのグリソムは1959年に宇宙飛行士として選抜され、マーキュリー計画・ジェミニ3号の司令パイロットを務めた[SRC-01308]。上級パイロットのホワイトはジェミニ4号で米国人初の宇宙遊泳を行っていた[SRC-01308]。パイロットのチャフィーは1963年に選抜され、アポロ1号が自身初の宇宙飛行となるはずだった[SRC-01308]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1967年1月27日 午前7時55分ごろ(東部標準時・グレゴリオ暦) | プラグスアウト統合試験が開始される | [SRC-01304] |
| 1967年1月27日 午後(東部標準時・グレゴリオ暦) | 乗組員3名が司令船に搭乗し、キャビンが純酸素で加圧される | [SRC-01304][SRC-01305] |
| 1967年1月27日 午後6時31分ごろ(東部標準時・グレゴリオ暦) | 乗組員から火災の発生が報告され、まもなく司令船が破裂・3名が死亡 | [SRC-01304][SRC-01305][SRC-01307] |
| 1967年4月9日(グレゴリオ暦) | アポロ204審査委員会の最終報告書(約3,000ページ)が公表され、NASAから米上院委員会へ提出される | [SRC-01305][SRC-01307] |
| 1967年春(グレゴリオ暦) | NASAが、このミッションを「アポロ1」と呼ぶと発表 | [SRC-01306] |
| 1968年1月30日(グレゴリオ暦) | 米上院航空宇宙科学委員会が報告書(追加見解付き)を提出し、上院がその印刷を命じる | [SRC-01305] |
異説・論争定説のない論点があります
発火源そのものについて、本サイトが調査した公式記録(アポロ204審査委員会報告書・米上院報告書)の範囲では、対立する複数の技術的な仮説は確認されなかった。アポロ204審査委員会は、環境制御装置付近の電気アークを最も可能性の高い着火要因としつつ、確定的な特定には至らないとした[SRC-01304]。米上院委員会も、この認定を自らの報告書に採り、異なる認定を示さなかった[SRC-01305]。本サイトはこの2つの公式調査記録の範囲に限定して整理しており、これらの記録に現れない非公式な推測・伝聞に基づく発火源の説は調査対象としていない(本サイトの整理)。
事故そのものではなく、NASAの説明責任のあり方をめぐっては、同じ上院報告書の中で評価の幅がある。委員会報告書の本文は、審査委員会の調査が客観的だったと評価し、NASAの対応を全体として是認している[SRC-01305]。これに対し、ブルック上院議員とパーシー上院議員は追加見解(Additional Views)として、アポロ計画ディレクターらによる契約者管理の内部報告書(通称フィリップス報告書)の存在・内容についてNASA当局者が委員会に十分な説明を行わなかったことへの懸念を示し、この報告書の一部結論と審査委員会の結論との類似性を指摘した上で、NASAの当初の対応の率直さの欠如が議会・国民との信頼関係を脅かしたと論じている[SRC-01305]。両者とも、この報告書自体が事故の原因になったと断定してはいない[SRC-01305]。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 発火源 | 電気アークが最も可能性が高いが、確定的な特定には至らず | [SRC-01304][SRC-01305] | アポロ204審査委員会の結論であり、米上院委員会もこれと異なる認定を示していない |
| NASAの説明責任のあり方 | 審査委員会の調査は客観的であり、NASAの対応は全体として是認できる | [SRC-01305] | 米上院委員会報告書の本文(多数意見) |
| NASAの説明責任のあり方 | フィリップス報告書をめぐるNASA当局者の当初の説明の率直さに懸念がある | [SRC-01305] | 同委員会に属するブルック・パーシー両上院議員による追加見解 |
関連する出来事
- 1967年春、NASAの有人宇宙飛行担当アソシエイト・アドミニストレーターだったジョージ・E・ミューラーは、このミッションが「アポロ1」と呼ばれることになると発表した[SRC-01306]。NASAによれば、「アポロ2」「アポロ3」という呼称のミッション・飛行は一度も存在しなかった(本記事「タイムライン」参照)[SRC-01306]。
- 1967年5月9日、NASAはアポロ1のバックアップ乗員だったウォルター・M・シラー、ドン・F・アイゼル、R・ウォルター・カニンガムが最初の有人アポロ飛行に搭乗すると発表した[SRC-01307]。
- 事故50周年にあたる2017年、NASAはアポロ1司令船の3分割式ハッチを、ケネディ宇宙センターのアポロ/サターンV記念館で展示することを決定した[SRC-01307]。
関連人物
- バージル・I・「ガス」・グリソム(ばーじる・あい・がす・ぐりそむ、Virgil I. "Gus" Grissom): アポロ1号の司令パイロットで、米空軍中佐だった[SRC-01308]。1959年に宇宙飛行士として選抜され、マーキュリー計画MR-4のパイロット、ジェミニ3号の司令パイロットを務めた[SRC-01308]。1926年4月3日、インディアナ州ミッチェル生まれ[SRC-01308]。
- エドワード・H・ホワイト2世(えどわーど・えいち・ほわいと・にせい、Edward H. White II): アポロ1号の上級パイロットで、米空軍中佐だった[SRC-01308]。ジェミニ4号のパイロットとして米国人初の宇宙遊泳を行った[SRC-01308]。1930年11月14日、テキサス州サンアントニオ生まれ[SRC-01308]。
- ロジャー・B・チャフィー(ろじゃー・びー・ちゃふぃー、Roger B. Chaffee): アポロ1号のパイロットで、米海軍少佐だった[SRC-01308]。1963年に宇宙飛行士として選抜され、アポロ1号が自身初の宇宙飛行となるはずだった[SRC-01308]。1935年2月15日、ミシガン州グランドラピッズ生まれ[SRC-01308]。
- フロイド・L・トンプソン(ふろいど・える・とんぷそん、Floyd L. Thompson): アポロ204審査委員会の議長で、NASAラングレー研究センター所長だった[SRC-01305]。
歴史的意義
リンドン・B・ジョンソン大統領は事故を受け、「3名の勇敢な若者が国への奉仕のうちに命を捧げた。我々はこの大きな喪失を悼み、ご遺族に心からの哀悼の意を表する」["Three valiant young men have given their lives in the nation’s service. We mourn this great loss and our hearts go out to their families."]と述べた[SRC-01307]。事故を受けてNASAはその後の全ての有人飛行をブロックII宇宙船で行うこととし、可燃材料の選定・配置を厳格に管理するなど、設計変更を行った[SRC-01305]。開放が困難だった3分割式ハッチは、新型の統合ハッチへ置き換えられた[SRC-01307]。この新型統合ハッチは、内外いずれからも3秒で開放できるものだったという[SRC-01307]。米議会は、NASAの運用計画を審査し安全性について助言する航空宇宙安全諮問委員会の設置をNASA長官に義務づけた[SRC-01305]。米上院委員会は、「グリソム、ホワイト、チャフィーの名は歴史に刻まれ、この国が残せる最もふさわしい記念碑は、彼らが命を捧げた目標であるアポロ計画の成功である」["The names Grissom, White, and Chaffee are recorded in history and the most fitting memorial the country can leave these men is the success of the Apollo program-the goal for which they gave their lives."]と結んでいる[SRC-01305]。
現代の視点
NASA公式サイトは現在、アポロ1の事故を「人類の有人宇宙飛行における失われた乗員」["Fallen Heroes of Human Spaceflight"]の枠組みの中で、のちのスペースシャトル計画で起きたチャレンジャー号・コロンビア号の事故と並べて紹介している[SRC-01306]。事故から半世紀を経た2017年には、アポロ1司令船の3分割式ハッチがケネディ宇宙センターのアポロ/サターンV記念館で展示されるようになった[SRC-01307]。船体自体は現在もバージニア州のNASAラングレー研究センターの保管施設に置かれている[SRC-01307]。
出典一覧
- [SRC-01304] Report of Apollo 204 Review Board/NASA(ランクS)
- [SRC-01305] Apollo 204 Accident (Senate Report No. 956, 90th Congress, 2d Session, with Additional Views)/U.S. Government Printing Office(米国上院航空宇宙科学委員会)(ランクS)
- [SRC-01306] Apollo 1 — NASA Mission Page/NASA(ランクA)
- [SRC-01307] 55 Years Ago: The Apollo 1 Fire and its Aftermath/NASA(Johnson Space Center)(ランクA)
- [SRC-01308] Apollo by the Numbers: A Statistical Reference (NASA SP-2000-4029) — Apollo 1 chapter/NASA History Division, Office of Policy and Plans(NASA History Series)(ランクA)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-16 | あり |
| 2 | 2026-09-16 | あり |
| 3 | 2026-09-17 | あり |
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