2月8日に起きたこと
この日付に掲載しているのは、原典の日付がこの月日である出来事です。西暦への換算日は各記事の冒頭に記しています。
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1828年
ジュール・ヴェルヌは、1828年2月8日、フランス・ナントに生まれた——ブリタニカ百科事典によれば1863年、『気球に乗って五週間』を皮切りに「驚異の旅」シリーズを刊行し、同事典は近代SF小説の基盤の多くを築いた作家と評する
法律家の道を捨てた青年の物語が、20世紀にはSFというジャンルの「守護聖人」と呼ばれるまでになった。
この週の出来事
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1773年世界 18世紀2月9日
ウィリアム・ヘンリー・ハリソンは、1773年2月9日、ヴァージニアのバークレー・プランテーションで生まれたとされる——史上最短とされる大統領在任期間ののち、死因は肺炎か腸性熱かで近年の医学史的再検証が対立している
1773年2月9日、ウィリアム・ヘンリー・ハリソンがヴァージニアの家族のプランテーション(バークレーとされる)で生まれた。1841年に第9代大統領へ就任したが在任期間は史上最短とされ(日数は出典により32日等と分かれる)、就任1か月足らずで死去した。死因は肺炎説と2014年の腸性熱説が対立する。
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1812年世界 19世紀2月7日
チャールズ・ディケンズは、1812年2月7日、イングランド・ポーツマスで生まれた——12歳で靴墨工場へ働きに出たが、絶対的貧困のふちで生きた経験は生涯彼から離れなかったとチャールズ・ディケンズ博物館は記す
1812年2月7日、チャールズ・ディケンズがイングランド南岸ポーツマスのランドポートで生まれた。父は海軍経理局に勤務する書記官ジョン・ディケンズで、当時ポーツマス造船所に配属されていた。12歳のとき、父の債務問題を背景に、靴墨製造業ウォレンズ・ブラッキングの倉庫で働いた。この時期をディケンズは生涯秘密にしていたという。
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1919年世界 20世紀2月6日
ワイマール憲法制定国民議会は、1919年2月6日、首都ベルリンでなくワイマールで開会した(会場はドイツ国民劇場とされる)——憲法そのものが可決されたのは、同年7月31日のことである
1919年2月6日、ドイツの憲法制定国民議会が、首都ベルリンでなくワイマールで開会した(会場はドイツ国民劇場とされる)。ベルリンの革命的な情勢を理由にした選地とされる。議会がワイマール憲法を可決したのは同年7月31日のことで、開会そのものとは別の出来事である。
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1996年世界 20世紀2月10日
ディープ・ブルーは、1996年2月の第1局でガルリ・カスパロフに勝利し、現役世界王者からトーナメント条件下で初めて1ゲームを奪ったとされる——ただし1996年のマッチ全体は、カスパロフが4–2で制している
IBMのコンピュータ「ディープ・ブルー」が、世界チェス王者ガルリ・カスパロフとの6局マッチ第1局に勝利した。マッチは1996年2月10日に開幕したとみられる。現役世界王者がトーナメント条件下でゲームを喫した最初の事例とされるが、全体はカスパロフが4–2で制し、1997年の再戦を待つことになる。