1967年12月3日、クリスチャン・バーナードは世界初のヒト間心臓移植手術に踏み切った——手術は成功、患者は18日後に肺炎で死亡した

日付と暦

原典表記
1967年12月3日(グレゴリオ暦)
換算
1967-12-03(グレゴリオ暦)
掲載日
12月3日のページ

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概要

1967年12月2日の夜、南アフリカ・ケープタウンのグルート・スキュール病院で、外科医クリスチャン・バーナードは、前日に交通事故で重度の脳損傷を負った25歳の女性デニス・ダーヴァルの心臓を、重度の心不全で入院していたルイス・ワシュカンスキーへ移植する手術に踏み切った[SRC-00864][SRC-00865][SRC-00866][SRC-00867]。手術は翌3日午前6時15分に完了し、独立した複数の医学史文献は、これをヒトからヒトへの心臓移植として世界初の手術だったと記す[SRC-00864][SRC-00865][SRC-00866][SRC-00867]——1964年に米国でチンパンジーの心臓をヒトに移植した先行例は、うち2件の出典が「異種移植」として明確に区別している[SRC-00865][SRC-00866]。手術そのものは技術的に順調に進んだが、ワシュカンスキーは術後18日目に肺炎で死亡しており、「成功」という言葉が何を指すのかは出典ごとに扱いが異なる(詳細は異説・論争欄)[SRC-00864][SRC-00865][SRC-00866][SRC-00867]。ドナーの死亡判定に至る経緯についても、出典間で記述の食い違いが残っている[SRC-00867]。

本文

バーナードは1958年、米国での研修を経てグルート・スキュール病院に開心術プログラムを立ち上げ、先天性心疾患・弁膜症の手術で実績を重ねていた[SRC-00864][SRC-00866]。1960年代前半から心臓移植を将来の選択肢として意識するようになり、弟のマリウス・バーナードとともに犬を用いた心臓移植の実験を重ね、米国リッチモンドでの研修で免疫抑制療法の経験も積んだ[SRC-00866][SRC-00867]。心臓病学の教授ヴァル・シュライアーが選んだレシピエント候補は、糖尿病と喫煙歴のある重度の虚血性心疾患患者ルイス・ワシュカンスキーだった[SRC-00864][SRC-00866]。

1967年12月2日午後、25歳のデニス・ダーヴァルが母親とともに自動車にはねられた。母は即死し、ダーヴァルは重度の脳損傷を負ってグルート・スキュール病院に搬送された[SRC-00866][SRC-00867]。神経外科医が回復の見込みのない致命的な脳損傷と判定し、父親の同意を得て、その夜のうちに心臓が移植に用いられることになった[SRC-00864][SRC-00866][SRC-00867]。当時の南アフリカに脳死や臓器移植を定める法律はなく、バーナードは人工呼吸器を外してから心臓の拍動が止まるのを待つという方法を選んだ。停止までの所要時間は出典によって記述が異なる(詳細は異説・論争欄)[SRC-00866][SRC-00867]。

胸を開いたバーナードは、それまでの外科医人生で一度も見たことのない、空になった胸の中を目の当たりにしたと後年語っている[SRC-00866]。心肺装置からの離脱を2度試みて失敗したのち、3度目の試みで血圧が上昇し始めて心臓は正常に拍動を回復し、心肺装置を停止して閉胸したのが皮膚切開から約5時間後の午前6時15分だった[SRC-00866]。48時間以内に世界中の報道陣がケープタウンに押し寄せ、バーナードは世界的な著名人になった[SRC-00864][SRC-00866]。ワシュカンスキーの回復は当初順調だったが、術後12日から2週間ほどで肺に陰影が現れ、チームはこれを拒絶反応と誤って判断して免疫抑制療法を強化した。実際には肺炎であり、この対応が症状を悪化させ、ワシュカンスキーは術後18日目の1967年12月21日に肺炎・敗血症で死亡した[SRC-00864][SRC-00865][SRC-00866][SRC-00867]。剖検では移植した心臓に拒絶反応の所見はなく、縫合の状態からバーナードの手技そのものに問題がなかったことが確認された[SRC-00866]。

歴史的背景

この手術に世界で初めて到達したのが、米国でも欧州でもなく南アフリカの外科医だった背景について、ある研究は、障害は技術面よりも規制面にあったと指摘する。当時、脳死は世界のどこでも法的な死亡基準として確立しておらず、心停止を待たない臓器摘出には重大な法的リスクが伴うと考えられていた[SRC-00867]。南アフリカの法律は「医師が死亡を宣告した時点で死亡」とのみ定めており、この余地を利用してバーナードは手術に踏み切ることができたとされる[SRC-00866][SRC-00867]。バーナード自身は、米国ミネソタ大学でのC・ウォルトン・リレハイのもとでの開心術研修、米国リッチモンドでのリチャード・ローワーの研究室における実験的心臓移植の経験、デイヴィッド・ヒュームのもとでの免疫抑制療法の研修を通じて、必要な技術と知識を米国から持ち帰っていた[SRC-00866][SRC-00867]。

この手術に先立つ1964年1月23日、米国ミシシッピ大学病院のジェームズ・ハーディ医師が、チンパンジーの心臓をヒトの患者に移植する手術を行っている。この患者は1時間後に死亡した[SRC-00865][SRC-00866]。当時は脳死という概念が確立しておらず、心停止を待つ方式では適切な人間のドナーを得られる見込みが薄いと判断されたため、この症例ではチンパンジーがドナーとして用いられたとされる[SRC-00865]。バーナードの手術から3日後の1967年12月6日には、米国ニューヨークのエイドリアン・カントロウィッツ医師が世界で2例目となる心臓移植(小児例)を実施したが、患者(生後18日の乳児)は6時間で死亡している[SRC-00865]。1968年1月2日には、バーナード自身が2例目の手術を行い、患者フィリップ・ブライバーグは19か月生存して退院した最初の心臓移植患者になった[SRC-00864][SRC-00866]。1968年末までに世界17か国52施設で102例の心臓移植が行われ、心臓移植は世界的な医学的関心事になった[SRC-00865]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1964年1月23日(グレゴリオ暦) 米国ミシシッピ大学病院のジェームズ・ハーディ医師が、チンパンジーの心臓をヒトへ移植(異種移植)。患者は1時間後に死亡 [SRC-00865][SRC-00866]
1967年12月2日午後(グレゴリオ暦) デニス・ダーヴァルが自動車事故で重度の脳損傷を負い、グルート・スキュール病院に搬送される [SRC-00866][SRC-00867]
1967年12月2日深夜〜3日未明(グレゴリオ暦) クリスチャン・バーナードのチームが、ダーヴァルの心臓をルイス・ワシュカンスキーへ移植する手術を実施 [SRC-00864][SRC-00865][SRC-00866][SRC-00867]
1967年12月3日午前6時15分(グレゴリオ暦) 皮膚切開から約5時間後、心肺装置を停止して閉胸し、手術が完了する [SRC-00866]
1967年12月6日(グレゴリオ暦) 米国のエイドリアン・カントロウィッツ医師が世界2例目の心臓移植(小児例)を実施。患者は6時間で死亡 [SRC-00865]
1967年12月21日(グレゴリオ暦) ワシュカンスキーが術後18日目に肺炎・敗血症で死亡 [SRC-00864][SRC-00865][SRC-00866][SRC-00867]
1968年1月2日(グレゴリオ暦) バーナードが2例目の心臓移植を実施。患者フィリップ・ブライバーグは19か月生存 [SRC-00864][SRC-00866]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

「成功」の意味をめぐる出典ごとの言い回しの違い: この手術を「成功(successful)」と呼ぶかどうかは出典によって扱いが異なる。Cooper(2018年、SRC-00866)は、患者が18日後に死亡した事実を別に記したうえで「手術は成功だった(The operation had been successful)」と、手術の完遂そのものを指して明記する。Süttő(2025年、SRC-00867)も同様に「世界初のヒト間心臓移植は成功だった(was successful)」としつつ、直後に患者の死亡を続けて記す。Stolf(2017年、SRC-00865)も、手術から半年後にブラジルでの追随例を紹介する文脈で「バーナードの成功した手術(Barnard's successful procedure)」と地の文で振り返っているが、手術当日の経過を直接描写する箇所では「当初は優れた回復」と記すのみで、この語は用いていない。Brink & Hassoulas(2009年、SRC-00864)は、この手術自体についての記述では地の文でこの語を用いていないが、バーナード自身が手術の3週間後に発表した原論文の表題「成功した手術に関する中間報告」を参考文献として引いている(同記事は、バーナードが1958年に確立した開心術プログラムを指しては「successful」の語を別の文脈で用いている)。いずれの出典も、手術という技術的な達成と、患者が長期に生存したかどうかを同一視してはいない。本サイトも同様に、両者を区別して記述する。

ドナーの脳損傷の判定をめぐる記録の違い: ダーヴァルの脳損傷について、Cooper(2018年、SRC-00866)は「病院の神経外科医団により数時間以内に脳死と判定された(she was certified brain-dead by the hospital neurosurgeons)」と、正式な脳死判定が成立したと明記する。一方、Brink & Hassoulas(2009年、SRC-00864)は同じ場面を「回復の見込みのない致命的な脳損傷」という予後の判断として記すにとどまり、Süttő(2025年、SRC-00867)はダーヴァルが本当に脳死だったかどうかに疑義を呈する。同一の出来事について、出典間でこのような記述の強さの違いがある。

ドナーの死亡判定・心停止に至る経緯をめぐる相違: 人工呼吸を停止してからダーヴァルの心臓が停止するまでの所要時間は、出典によって大きく異なる。手術直後の同時代の症例報告(麻酔科医オジンスキーによる)は「午前2時20分に人工呼吸停止、午前2時32分に心停止」と記し、12分としている[SRC-00867]。バーナード本人は1999年のBBCインタビューで、心臓が止まるまで「苦しい60秒(an agonising 60 seconds)」待ったと回想している[SRC-00867]。一方、後年の評伝(Cooper、2018年)は「約6分」と記す[SRC-00866]。さらに、バーナード自身の1967年の論文は、心電図の無活動を5分間観察したのちに心臓を摘出したと記しており、オジンスキーの症例報告と矛盾すると指摘されている[SRC-00867]。この食い違いに加え、ダーヴァルが今日の脳死判定基準(不可逆的昏睡・脳幹反射の消失・無呼吸)を実際に満たしていたかどうかにも疑義を呈する研究がある。当時の記録は「脳病変は致命的で治療不能(cerebral lesion as lethal and beyond treatment)」という予後の判断を記すのみで、脳幹反射や無呼吸についての具体的な検査記録は見当たらない。挿管の目的について、気道を清潔に保つための吸引と、呼吸不全の兆候が現れた場合に人工呼吸を行うためだったとする記録があり、当時まだ呼吸不全に至っていなかった(=自発呼吸をしていた)可能性を示すとの指摘もある[SRC-00867]。

さらに踏み込んで、ジャーナリストのドナルド・マクレイが2007年の著書で伝えたところによれば、マリウス・バーナード(クリスチャンの弟で手術チームの一員)は、心臓がなかなか止まらないことに焦れ、低酸素による損傷を避けるためカリウムを注射して人為的に停止させることを兄に進言し、クリスチャンがこれに同意したと証言したとされる。ただしマリウス自身は2011年の自著の回想録で、この証言は「事実と異なる発言だった」と述べて撤回している(撤回の理由についてマリウスは「伝記用のインタビューだと誤解していたため、機密のつもりの発言には意図的に一つ嘘を混ぜる習慣があった」という趣旨の説明をしているが、この説明自体、Süttő論文の著者を含め複数の関係者が理解しがたいと評している)。1984年からグルート・スキュール病院に勤務するヨハン・ブリンク(SRC-00864の著者)は、クリスチャン・バーナード本人から個人的に聞いた話を根拠にこれを「噂」と否定しているが、この人為的心停止説を紹介した研究の著者は、本人の発言だけでは独立した反証とは言えないとしている[SRC-00867]。デイヴィッド・クーパー(SRC-00866の著者)は自著で、手術室にいた全員が気づいたはずだとしてこの人為的心停止説に否定的な立場を取ったが、その論拠はマクレイの著書の誤った引用に基づくとして同研究の著者に退けられている。クーパーもまた、マリウスが後になって証言を翻した際の説明については「奇妙」で理解しがたいと評している[SRC-00867]。この人為的心停止説を紹介した研究の著者自身、「本論文が示す筋書きはありそうに見えるが、ここで示したデータに基づく限り絶対的な確実性をもって証明することはできない」と明記しており、確定した事実ではない[SRC-00867]。本サイトも、この論点を撤回済みの証言に基づく未確定の学説として、以上の経緯とともに紹介するにとどめる。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
ダーヴァルの脳損傷の判定 病院の神経外科医団により脳死と判定された 後年の評伝(Cooper、2018年) [SRC-00866]
(同上) 「回復の見込みのない致命的な脳損傷」という予後の判断のみが記録されている 後年のレビュー論文(Brink & Hassoulas、2009年) [SRC-00864]。脳死判定の成立自体に疑義を呈する研究もある
人工呼吸停止から心停止までの時間 12分 手術直後の同時代の症例報告(オジンスキー) [SRC-00867]。単独系統だが同時代記録
(同上) 約60秒 バーナード本人の1999年の回想(BBCインタビュー) [SRC-00867]。単独系統・32年後の回想
(同上) 約6分 後年の評伝(Cooper、2018年) [SRC-00866]。単独系統
(同上) 心電図の無活動を5分間観察したのち バーナード本人の1967年原論文 [SRC-00867]が引用。オジンスキーの記録と矛盾すると指摘される
ワシュカンスキーの年齢 53歳 Brink & Hassoulas(2009年)/Cooper(2018年) [SRC-00864][SRC-00866]
(同上) 54歳 Stolf(2017年)/Süttő(2025年) [SRC-00865][SRC-00867]。本サイトはこの食い違いを是正せず両方の記載を示す
ダーヴァルの心臓停止の原因 人工呼吸停止後の自然な心停止を待った 手術直後の同時代の症例報告/Brink & Hassoulas(2009年)/Cooper(2018年) [SRC-00864][SRC-00866][SRC-00867]。手術当時から一貫して伝えられてきた経緯
(同上) カリウム注射による人為的な心停止だった可能性がある マクレイの著書(2007年)が伝えるマリウス・バーナードの証言に基づく学説 [SRC-00867]。証言の当人であるマリウス自身が2011年に撤回しており、未確定

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

この手術は、脳死という概念の社会的受容を大きく前進させた出来事として位置づけられている。手術から1か月以内に、米ハーバード大学医学部は特別委員会を設置し、1968年8月5日、不可逆的昏睡・無呼吸・反射消失・平坦脳波を「脳死」の基準として定義する報告書を発表した。この報告書は、その後半世紀以上にわたり世界各国の脳死・臓器移植に関する法制度の基礎になっている[SRC-00867]。さらに1968年2月には、米国議会に医療の進歩がもたらす倫理・法・社会・政治上の課題を検討する委員会の設置法案が提出されている[SRC-00864]。グルート・スキュール病院とケープタウン大学のチームはその後も心臓移植プログラムを継続し、1973年に着想を得たのち1974年から1983年にかけて、心臓を2つ並列させるヘテロトピック心移植法を49例実施したほか、脳死に伴う血行動態・内分泌の変化に関する研究でも先駆的な貢献をした[SRC-00864]。最初の10例の心臓移植のうち4例は1年以上生存し、うち2例は13年・23年の長期生存に至っている[SRC-00864]。

現代の視点

今日、心臓移植は世界各地で行われる確立した治療法になっており、1967年当時とは免疫抑制療法の水準が大きく異なる(心臓移植へのサイクロスポリンの導入〔1980年〕以前は、アザチオプリン・副腎皮質ステロイド・抗リンパ球血清という初期の免疫抑制療法しかなかった)[SRC-00864][SRC-00865]。一方で、脳死の概念そのものについては現在も議論が続いている。近年の研究の中には、脳死判定の診断精度や、無呼吸テストに伴う倫理的な問題を指摘するものがあり、この手術のドナーの死亡判定をめぐる疑義(異説・論争欄参照)は、脳死概念の成立過程そのものに内在していた不確かさを映す事例として再検討されている(本サイトの整理)[SRC-00867]。

出典一覧

  1. [SRC-00864] The first human heart transplant and further advances in cardiac transplantation at Groote Schuur Hospital and the University of Cape Town/Cardiovascular Journal of Africa(Clinics Cardive Publishing (Pty) Ltd.)(ランクA)
  2. [SRC-00865] History of Heart Transplantation: a Hard and Glorious Journey/Brazilian Journal of Cardiovascular Surgery(Sociedade Brasileira de Cirurgia Cardiovascular)(ランクA)
  3. [SRC-00866] Christiaan Barnard—The surgeon who dared: The story of the first human-to-human heart transplant/Global Cardiology Science & Practice(Magdi Yacoub Institute)(ランクA)
  4. [SRC-00867] How Did Denise Darvall Die? A Contribution to the History of the First Heart Transplant/The Linacre Quarterly(SAGE Publications/Catholic Medical Association)(ランクA)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-05
22026-09-05あり

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