ジョンソン大統領は、暗殺から1週間後に大統領令へ署名し、ウォーレン委員会を発足させた——共謀の可能性についての捜査を、16年後の議会委員会は不十分だったとも評価した

日付と暦

原典表記
1963年11月29日(グレゴリオ暦)
換算
1963-11-29(グレゴリオ暦)
掲載日
11月29日のページ

暦の注記: この出来事はグレゴリオ暦の1963年11月29日に起きた[SRC-00832]。アメリカ合衆国は当時すでにグレゴリオ暦下にあり、暦種別の換算は生じない。本サイトでは 11-29 のページに掲載している。

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概要

1963年11月22日にケネディ大統領がダラスで暗殺されてから[SRC-00776]1週間後の11月29日、ジョンソン大統領は大統領令11130号に署名し、事件の事実関係を確認・評価・報告する委員会を設置した[SRC-00832]。委員長には最高裁判所長官アール・ウォーレンが任命され、上院議員2名・下院議員2名・その他2名(アレン・W・ダレス、ジョン・J・マクロイ)を加えた計7名で委員会が構成された[SRC-00832][SRC-00833]。1963年当時の発表文書はこの委員会を「the Commission」「Special Commission」と呼び、1979年のHSCA最終報告書は「ウォーレン委員会」["Warren Commission"]の語を用いている[SRC-00832][SRC-00833][SRC-00778]。委員会には、FBIが収集した証拠の検討に加え、必要な追加調査を行う権限が与えられた[SRC-00832]。もっとも、この捜査のあり方は、16年後、別の連邦議会の調査機関(下院暗殺特別委員会)から、捜査の徹底度と不十分さの両面にわたって評価されることになった[SRC-00778]。

本文

ジョンソン大統領はすでにFBIに調査を指示しており、FBIは事件の捜査を進めていた[SRC-00833]。事件から1週間後の11月29日、ジョンソン大統領は連邦議会上下両院の与野党指導部にあらかじめ協議したうえで[SRC-00833]、大統領令11130号に署名した[SRC-00832]。命令は、大統領自身の権限に基づき、「ケネディ大統領暗殺と、その容疑者とされた人物の後の死亡に関する事実を確認・評価・報告する」["to ascertain, evaluate and report upon the facts relating to the assassination of the late President John Kennedy and the subsequent violent death of the man charged with the assassination"]ための委員会を任命すると定めた[SRC-00832]。委員会は、FBIが収集した証拠およびその後に判明する追加の証拠を検討し、必要と認める追加調査を行い、大統領へ結論を報告する権限を与えられた[SRC-00832]。委員会の運営経費は大統領緊急基金から支出でき、連邦行政府の全省庁は求めに応じて便宜・協力を提供するよう指示された[SRC-00832]。

委員会は7名で構成された[SRC-00832][SRC-00833]。委員長には最高裁判所長官アール・ウォーレンが指名され、上院からリチャード・B・ラッセル議員(ジョージア州選出)とジョン・シャーマン・クーパー議員(ケンタッキー州選出)、下院からヘイル・ボッグス議員(ルイジアナ州選出)とジェラルド・R・フォード議員(ミシガン州選出)、さらにアレン・W・ダレス、ジョン・J・マクロイの2名が加わった[SRC-00832][SRC-00833]。ホワイトハウスは、大統領が委員会に「真実を可能な限り明らかにし、その結論を大統領・国民・世界に報告する」["to satisfy itself that the truth is known as far as it can be discovered, and to report its findings and conclusions to him, to the American people, and to the world"]よう指示したと発表した[SRC-00833]。

翌月の12月13日、公法88-202(上下両院合同決議)が成立し、委員会に証人喚問・証拠提出強制の権限(召喚状発行権)を付与した[SRC-00834]。この決議は委員会を「大統領令11130号(1963年11月29日付)により大統領が任命した委員会」["the Commission appointed by the President by Executive Order 11130, dated November 29, 1963"]と定義しており、行政府とは別の憲法上の主体である連邦議会が、設置の根拠と日付を独立に確認する形になった(本サイトの整理)[SRC-00834]。

歴史的背景

暗殺の直後、FBIによる捜査に加え、テキサス州の司法長官(Attorney General of Texas)が招集する州レベルの司法審問(Texas Court of Inquiry)も別途予定されていた[SRC-00833]。大統領令11130号による委員会の設置は、これらの既存の捜査・審問と並行して、大統領自身の権限のもとで事件全体を確認・評価する主体を新たに設ける形をとった(本サイトの整理)[SRC-00832][SRC-00833]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1963年11月22日(グレゴリオ暦) ケネディ大統領がダラスで暗殺される [SRC-00776]
1963年11月29日(グレゴリオ暦) ジョンソン大統領が大統領令11130号に署名し、委員会(後のウォーレン委員会)を設置する(本記事の主題) [SRC-00832]
1963年11月29日(グレゴリオ暦) ホワイトハウスが委員7名の氏名を発表する [SRC-00833]
1963年12月13日(グレゴリオ暦) 公法88-202(上下両院合同決議)が成立し、委員会に召喚状発行権を付与する [SRC-00834]
1964年(グレゴリオ暦) 委員会が報告書を発表し、オズワルドは単独で行動したと結論する [SRC-00776]
1979年(グレゴリオ暦) 下院暗殺特別委員会(HSCA)が最終報告書で、委員会の捜査を機関別に評価する [SRC-00778]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

ウォーレン委員会の捜査は十分だったかについては、16年後、下院に設置された別の連邦議会の調査機関(HSCA)自身が、その最終報告書の中で評価を書き分けている[SRC-00778]。

論点 根拠・出典 位置づけ
オズワルドの責任についての捜査 徹底した専門的な調査だった: HSCAは1979年、ウォーレン委員会によるオズワルドの責任についての捜査を「徹底した専門的な調査」["thorough and professional investigation"]だったと評価した。 HSCA最終報告書「結論の要約」機関別評価 [SRC-00778] 下院に設置された特別委員会(HSCA)による公式評価(本サイトの整理)。
共謀の可能性についての捜査 不十分だった: HSCAは同じ報告書で、共謀の可能性についての捜査は不十分だったとし、その一因を、他の政府機関が保有していた関連情報が委員会に十分共有されなかったことに帰した。 同上 [SRC-00778] 同上。オズワルドの責任についての評価と、共謀可能性についての評価を、同一の報告書内で書き分けている。
結論の示し方 誠実だが断定的すぎた: HSCAは、ウォーレン委員会の結論は入手した証拠に基づき誠実に導かれたとしつつ、それを「あまりに断定的な形で」["too definitive"]示したと評価した。一方、ウォーレン委員会自身は1964年の報告書で、「委員会に提示された証拠に基づき、オズワルドは単独で行動したと結論する」["On the basis of the evidence before the Commission it concludes that Oswald acted alone."]という、留保のない言い回しで結論を述べていた。 HSCA最終報告書 [SRC-00778]/委員会報告書第1章「結論」 [SRC-00776] HSCAによる、委員会自身の記述スタイルへの事後的な評価。

以上はいずれも、下院に設置された公的な調査機関(HSCA)自身による、大統領直属の委員会の捜査プロセスについての公式な評価である。共謀の有無そのものについての各機関の実体的な結論(委員会は単独犯行、HSCAは共謀の可能性が高いと結論)は、1963年11月22日の暗殺そのものを主題とする別記事「ケネディ大統領は、ダラスの車列でオズワルドの銃弾を受けて死亡した——共謀の有無をめぐり、公式調査の結論は割れている」で整理している(本サイトの整理)[SRC-00776][SRC-00778]。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

委員会は、行政命令によって大統領が任命した特別委員会という形式で、現職大統領の暗殺という事態に対応した事例である[SRC-00832]。その捜査プロセス自体は、16年後、下院に設置された特別委員会(HSCA)から、捜査の徹底度と不十分さの両面にわたって評価されることになった[SRC-00778]。

現代の視点

大統領令11130号の全文は、今日も国立公文書記録管理局(NARA)のウェブサイトで、委員会報告書の付録として公開されている[SRC-00832]。同じ報告書の付録には、委員会に召喚状発行権を与えた連邦議会の公法88-202の条文も収められている[SRC-00834]。

出典一覧

  1. [SRC-00832] Appendix 1: Press Release Announcing Appointment of Commission(Executive Order No. 11130 全文)/アメリカ国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration, NARA)(ランクS)
  2. [SRC-00833] Appendix 2: Press Release Announcing Appointment of Commission(1963年11月29日付ホワイトハウス発表)/アメリカ国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration, NARA)(ランクS)
  3. [SRC-00834] Appendix 3: Public Law 88-202(88th Congress, S.J.Res. 137, 1963年12月13日)/アメリカ国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration, NARA)(ランクS)
  4. [SRC-00776] Report of the President's Commission on the Assassination of President John F. Kennedy — Chapter 1: Summary and Conclusions/アメリカ国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration, NARA)(ランクS)
  5. [SRC-00778] Summary of Findings and Recommendations — Findings in the Assassination of President Kennedy(House Select Committee on Assassinations Final Report, 1979)/アメリカ国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration, NARA)(ランクS)

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訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-05あり
22026-09-05あり

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