カーターが壁の穴からのぞいた直後、隠し場所ではなく王墓だと確信に変わった

日付と暦

原典表記
1922年11月26日(グレゴリオ暦)
換算
1922-11-26(グレゴリオ暦)
掲載日
11月26日のページ

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概要

1922年11月26日午後、ハワード・カーター率いる発掘隊は、通路奥9メートルの地点に見つけた第2の封印扉の左上に、小さな穴をあけた[SRC-00635]。ろうそくの明かりを差し入れてのぞき込むと、暗闇の奥に、漆黒の王の像や黄金の玉座、寝台の群れが浮かび上がった[SRC-00635]。カーナヴォン伯爵の「Can you see anything(何か見えるか)」という問いに、カーターは言葉を失いながらも短く答えたが、発掘日誌が記録するその返答は、のちに広く知られるようになった「Yes, wonderful things」とは、少し文言が違っていた[SRC-00635][SRC-00636]。穴をあける直前まで、カーターもカーナヴォンも、目の前にあるのは王の墓そのものではなく、王族の副葬品を寄せ集めた隠し場所(原文cache)だろうと確信していた[SRC-00635][SRC-00636]。だが、のぞき込んだ直後、二人は衛兵像の間にもう一つの封印扉に気づき、その奥にこそ王墓があるとの考えに変わった[SRC-00635][SRC-00636]。日誌はさらに、目の前の品々の多くにツタンカーメンのカルトゥーシュが記されていたことにも気づいたと記す[SRC-00635]。

本文

11月25日に開いた第1の封印扉の先の通路には、盗掘を思わせる散乱物が残っていた[SRC-00635]。翌26日午後、通路奥9メートルの地点に第2の封印扉が現れた[SRC-00635][SRC-00636]。印章や通路の造りが、セオドア・デイヴィスが近くで見つけていたアクエンアテンの副葬品の隠し場所(cache)に酷似していたことから、カーターとカーナヴォンはこの時点で、これも同種の隠し場所であり王墓そのものではないと確信していた[SRC-00635][SRC-00636]。

扉全体を露出させたカーターは、左上の隅に小さな穴をあけた。鉄の棒で空洞であることを確かめたのち、有毒ガスを警戒しつつろうそくの火で中をのぞいた[SRC-00635][SRC-00636]。目が慣れるにつれ、漆黒の王の像2体、獣頭の寝台、彩色や象嵌を施した箱、アラバスターの壺、金色に輝く戦車部品などが折り重なって浮かび上がった[SRC-00635]。カーナヴォン伯爵の「Can you see anything」に、カーターは「Yes, it is wonderful」と答えたと日誌は記す[SRC-00635]。この場面は、発見翌年刊行のカーター=メイス共著では「Yes, wonderful things」の一言として紹介されており[SRC-00636]、この文言が広く知られている[SRC-00637]。

品々を前に、二人はあらためて、これは王墓なのか、それとも単なる隠し場所なのかと問い直した[SRC-00635][SRC-00636]。衛兵像に挟まれたもう一つの封印扉に気づき、その奥にこそファラオの墓があるに違いないとの考えに変わった[SRC-00635][SRC-00636]。日誌はさらに、目の前の品々の多くにツタンカーメンのカルトゥーシュが記されていたことにも気づいたと記す[SRC-00635]。この見立ては、翌27日の調査で裏付けられ、単なる隠し場所ではなく、ほとんど手つかずの王家の埋葬であるとの結論に至った[SRC-00635]。

歴史的背景

この視認は、11月4日にカーターの発掘隊が階段の最初の一段を見つけて以来続いていた、一連の発掘・発見の延長線上にある(階段発見の経緯は関連記事「ハワード・カーターが11月4日に見つけたのは、黄金ではなく一段の石段だった」〔EVT-00063〕を参照)[SRC-00635]。カーターは1907年からカーナヴォン伯爵の資金提供を受けて発掘を続けており[SRC-00637]、11月4日の階段発見はその長年の探索の末にもたらされたものだった[SRC-00635]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1922年11月25日(グレゴリオ暦) 第1の封印扉を開封。奥に下降通路を確認(盗掘を思わせる散乱物あり) [SRC-00635]
1922年11月26日(グレゴリオ暦) 通路奥9メートルの地点で第2の封印扉を発見。左上に穴をあけ、ろうそくの明かりで前室内部を初めて視認 [SRC-00635][SRC-00636]
1922年11月27日(グレゴリオ暦) 電灯設備のもとで前室に正式に入室。寝台の下の壁に、付属室(Annexe)へ通じる盗掘者の穴を発見し、単なる隠し場所ではなく王墓であると結論づけた [SRC-00635][SRC-00636]
1922年11月28日(グレゴリオ暦) カーナヴォン伯爵が、エジプト学者サー・アラン・ガーディナーへ発見の様子を私信で報告 [SRC-00808]
1922年11月29日(グレゴリオ暦) 招待客を招いての公式披露を実施 [SRC-00635]

暦の注記: 上表の日付はいずれもグレゴリオ暦であり、1922年の本事象に改暦境界等の複雑さは生じない。

異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

同一の場面について、資料間で記述に幅がある点、および同一資料の中で記述が推移する点を確認した。異説として併記する(調査範囲: SRC-00635〔カーター自身の発掘日誌〕・SRC-00636〔カーターとメイスの共著、発見翌年刊〕・SRC-00637〔National Geographic署名記事〕・SRC-00808〔カーナヴォン伯爵からガーディナーへの私信、発見2日後付〕)。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
カーナヴォン伯爵の問い「Can you see anything」へのカーターの返答文言 発掘日誌の逐語記録では「Yes, it is wonderful」(そうです、素晴らしい) [SRC-00635] カーター本人による発見当日中の記録
同上 発見翌年(1923年)に刊行されたカーターとメイスの共著では「Yes, wonderful things」(そうです、素晴らしいものが) [SRC-00636] 同じくカーター本人の記録だが、日誌の約1年後に編集を経て公刊されたもの。広く知られている文言はこちらである[SRC-00637]
この発見の見立ての推移(1) 発見当日、カーターの日誌・翌年刊行の共著は、いずれも穴をあける直前の時点で、王墓ではなく王族の副葬品を寄せ集めた隠し場所(cache)を開けようとしていると確信していたと記す [SRC-00635][SRC-00636] カーター本人による記録2件(発見当日の日誌、および発見翌年〔1923年〕に刊行された共著書)。共著書は26日についての事後の記述であり、日誌のような当日中の記録ではない
この発見の見立ての推移(2) だが、のぞき込んだ直後、衛兵像の間にもう一つの封印扉に気づき、その奥にファラオの墓があるとほぼ確信するに至ったと、日誌・共著書がともに記す。日誌はさらに、目の前の副葬品の多くにツタンカーメンのカルトゥーシュが記されていたことにも同時に気づいたとしている [SRC-00635][SRC-00636] カーター本人による、26日についての記述の中での見立ての変化。共著書は発見翌年(1923年)刊行の刊本であり、日誌が26日その場での記録であるのに対し、事後に編集を経た記述である点に留意。当初の「隠し場所」説は、視認の直後には既に改められていた
この発見の見立ての推移(3) 翌27日、電灯設備のもとで前室に正式入室した直後、カーターの日誌はなお「本当に墓なのか、それとも単なる王家のキャッシュなのか」と改めて問い直す記述を残している。その後、前室・付属室に残る物の散乱や、盗掘者によって開けられたとみられる穴を確認したカーターは、これを単なる隠し場所ではなくファラオの墓そのものであり、古代の盗掘者による性急な略奪を受けた以外はほとんど手つかずの王家の埋葬だと結論づけた [SRC-00635] カーター本人による発見翌日中の調査結果。26日の「確信」と同一資料内でなお揺り戻しがあったことも記録している
この発見の見立ての推移(4) 一方、その1日後にあたる11月28日付の私信で、カーナヴォン伯爵はなお「The find is extraordinary it is a cache」(この発見は驚異的なものであり、隠し場所である)と書いている [SRC-00808] カーナヴォン伯爵自身による、27日の結論の後もなお「cache」の語を用いた記録。カーター側の結論とどちらが的確かは、本サイトでは判断を下さない(本サイトの整理)
前室・付属室の散乱の原因 カーターの発掘日誌・共著書、カーナヴォン伯爵の私信の3件とも、前室・付属室に古代の盗掘の痕跡があったと記す [SRC-00635][SRC-00636][SRC-00808] 発見当事者2名による、別人・別の原資料に基づく記録。ただし両者は現場に同席し、当夜に見解を語り合っており、資料の来歴が独立であることは、解釈が独立に形成されたことを意味しない
同上 盗掘後に再び封じられた経緯について、カーターの発掘日誌は主体を記さず、再び閉じられ漆喰で塗り固められ封印されていたことのみを記す一方、カーナヴォン伯爵は私信で、視察官(役人)たちが再びこれを封じたと記している [SRC-00635][SRC-00808] 「役人による再封印」を述べるのはカーナヴォン伯爵の私信のみである

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

カーナヴォン伯爵は私信で、この発見について「I imagine it is the greatest find ever made」(史上最大の発見だと思う)と記し[SRC-00808]、副葬品の規模を「There is enough stuff to fill the whole Egyptian section upstairs of the B.M.」(B.M.のエジプト部門の階上を丸ごと満たせるほどの品がある)と表現している[SRC-00808]。前室・付属室が古代の盗掘の被害を受けていたことは、カーターの発掘日誌・共著書、カーナヴォン伯爵の私信の3件がいずれも記す[SRC-00635][SRC-00636][SRC-00808]。盗掘後に再び封じられた経緯について、カーナヴォン伯爵は私信で視察官(役人)たちの手によるものと記しているが[SRC-00808]、カーター自身の日誌はその主体を記していない[SRC-00635]。この見立てが、以後の本格的な調査の出発点になった(本サイトの整理)。

現代の視点

「Can you see anything」「Yes, wonderful things」というやり取りは、有名な一節として語り継がれている[SRC-00637]。だが、その場に居合わせたカーター自身が発見当日に記した日誌の文言は「Yes, it is wonderful」であり、「things」という語を含んでいない[SRC-00635]。今日知られている文言は、発見から1年近くを経て刊行された書物の表現である(本サイトの整理)[SRC-00636]。

また、穴をあける直前までカーターとカーナヴォンが抱いていた、王墓ではなく隠し場所だという見立ては、のぞき込んだ直後に一転していた[SRC-00635][SRC-00636]。ただし、その場で確信に変わった見立てが調査によって裏付けられ、確定した結論となったのは翌27日のことだった[SRC-00635]。歴史的な大発見の渦中にいた当事者自身の記録をたどると、見立てが一日のうちに二転していたことが見えてくる(本サイトの整理)。

出典一覧

  1. [SRC-00635] Tutankhamun: Anatomy of an Excavation — Howard Carter's excavation journal, 1st Season (28 October 1922 – 30 May 1923)/The Griffith Institute, University of Oxford(ランクA)
  2. [SRC-00636] The Tomb of Tut-ankh-Amen, Vol. I: Search, Discovery and the Clearance of the Antechamber/Internet Archive(原本: Cassell and Company, Ltd., London, 1923)(ランクA)
  3. [SRC-00637] Unmasking Howard Carter—the man who found Tutankhamun/National Geographic(ランクB)
  4. [SRC-00808] My dear Gardiner (Lord Carnarvon's letter to Sir Alan H. Gardiner, 28 November 1922) — "Wonderful Things", the blog of the Griffith Institute/The Griffith Institute, University of Oxford("Wonderful Things" ブログ)(ランクA)

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訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-05あり
22026-09-06あり
32026-09-05あり

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