ローレンス裁判長は開廷にあたり、この裁判が世界の司法史上に例がないと告げた
日付と暦
- 原典表記
- 1945年11月20日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1945-11-20(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 11月20日のページ
暦の注記: この出来事はグレゴリオ暦の1945年11月20日に起きた[SRC-00760]。原典(法廷の公式記録)自体がグレゴリオ暦で日付を記しており、暦種別の換算は生じない。本サイトでは 11-20 のページに掲載している。
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概要
1945年11月20日、ドイツ・ニュルンベルクで、ナチス・ドイツの指導者らを裁く国際軍事裁判(IMT)が開廷した[SRC-00760][SRC-00765]。開廷した裁判所は法宮殿(Palace of Justice)とされる[SRC-00765]。裁判は、米・英・仏・ソ連の4か国が同年8月8日のロンドン協定・憲章に基づいて設置し、それぞれ判事と検察団を出す形で運営された[SRC-00760][SRC-00766]。開廷したこの日、法廷ではまず英国代表のローレンス裁判長が「The Trial which is now about to begin is unique in the history of the jurisprudence of the world and it is of supreme importance to millions of people all over the globe.」(今まさに始まろうとしているこの裁判は、世界の司法の歴史上に例がなく、全世界の何百万もの人々にとって最重要の意義を持つ)と述べたうえで、起訴状の朗読に入った[SRC-00760][SRC-00766]。起訴状は24名の個人と6団体を被告とし、訴因は共同謀議・平和に対する罪・戦争犯罪・人道に対する罪の4つだった[SRC-00760][SRC-00766]。もっとも、24名のうち実際に裁判を受けたのは22名で、開廷までに1名が自殺し、1名が審理対象から除外されていた[SRC-00765][SRC-00766]。この裁判をめぐっては、開廷の前後の時期から「事後法にあたる」との批判があり[SRC-00762]、後年には「国際刑事法の礎になった」という評価も示されている[SRC-00767]。
本文
裁判長ローレンスは開廷にあたり、法廷の設置根拠を読み上げた[SRC-00760][SRC-00766]。国際軍事裁判は1945年8月8日の協定とこれに付属する憲章に基づいて設置され、署名国は英・米・仏・ソ連の4か国政府だと述べた[SRC-00760]。起訴状は同年10月18日にベルリンで法廷に提出され、ドイツ語版の写しが各被告に30日以上前から交付されていたことも合わせて説明された[SRC-00760]。そのうえでローレンスは「The Trial which is now about to begin is unique in the history of the jurisprudence of the world and it is of supreme importance to millions of people all over the globe.」(今まさに始まろうとしているこの裁判は、世界の司法の歴史上に例がなく、全世界の何百万もの人々にとって最重要の意義を持つ)と述べ、「For these reasons, there is laid upon everybody who takes any part in this Trial a solemn responsibility to discharge their duties without fear or favor, in accordance with the sacred principles of law and justice.」(そのため、この裁判に関わるすべての者には、恐れも依怙贔屓もなく、法と正義の神聖な原則に従って職責を果たす厳粛な責任が課せられている)と続けた[SRC-00760]。
この日は答弁(有罪・無罪の申立て)にはまだ入らず、起訴状の全文朗読に終始した[SRC-00760]。朗読は米・英・仏・ソの検察官が交代で担当し、被告として名を連ねたのはヘルマン・ゲーリングをはじめとする24名だった[SRC-00760]。この朗読の途中、法廷は「The Tribunal understands that the Defendant Ernst Kaltenbrunner is temporarily ill. The Trial will continue in his absence.」(法廷は、被告エルンスト・カルテンブルンナーが一時的な病気であることを了解している。裁判は彼の不在のまま続行する)と述べ、カルテンブルンナーはこの日欠席のまま審理が進んだ[SRC-00760]。
起訴された24名のうち、労働戦線の指導者ロベルト・ライは1945年10月25日に自ら命を絶っており、実業家グスタフ・クルップ・フォン・ボーレンは高齢で健康状態が悪いことを理由に、開廷前の予備審理の段階で審理対象から除外されていた[SRC-00765][SRC-00766]。結果として実際に裁判を受けたのは22名で、そのうち所在が分からなかった党官房長マルティン・ボルマンは本人不在のまま裁かれ(欠席裁判)、残る21名が法廷に出頭した[SRC-00765]。
1945年11月19日付で、出頭中の被告全員の弁護人を代表し、ヘルマン・ゲーリングの弁護人オットー・シュターマーが動議に署名した[SRC-00762]。動議は、平和に対する罪の訴追について「it is rather a proceeding pursuant to a new penal law, a penal law enacted only after the crime」(犯罪が行われた後に制定された新たな刑罰法規に基づく訴追手続きにほかならない)とし、「only he can be punished who offended against a law in existence at the time of the commission of the act」(行為の時点で存在した法に違反した者だけが罰せられる)という原則が英・米・仏・ソ連それぞれの法体系にも根づいた大原則だと主張した[SRC-00762]。動議はさらに、判事が「appointed exclusively by States which were the one party in this war」(この戦争で一方の当事者だった国々によってのみ任命されている)ことを挙げ、同じ当事者が「creator of the statute of the Tribunal and of the rules of law, prosecutor and judge」(法廷の準則を作る者であり、検察官であり、裁判官でもある)一方性に疑義を呈した[SRC-00762]。法廷は1945年11月21日、この動議を憲章第3条(裁判官への異議申立てを制限する条項)に反する管轄権への異議だとして却下した[SRC-00762]。
同じ11月21日、米国の主席検察官ロバート・ジャクソンが検察側の冒頭陳述に立った[SRC-00761]。ジャクソンは「The privilege of opening the first trial in history for crimes against the peace of the world imposes a grave responsibility.」(平和に対する罪を裁く史上初めての裁判を開く特権は、重大な責任を伴う)と述べ、「That four great nations, flushed with victory and stung with injury stay the hand of vengeance and voluntarily submit their captive enemies to the judgment of the law is one of the most significant tributes that Power has ever paid to reason.」(戦勝に沸き、傷を負った4大国が、復讐の手を止め、みずから捕えた敵を法の裁きに委ねたことは、力が理性に払った最も意義深い敬意の一つである)と語った[SRC-00761]。この後、演説がさらに続いたのち、ジャクソンは、告発する側とされる側の立場には「a dramatic disparity」(著しい不均衡)があり、些細な点でも公正さと節度を欠けば裁判そのものの信用を損ないかねないと自ら注意を促した[SRC-00761]。さらに、これらの犯罪の性質上「both prosecution and judgment must be by victor nations over vanquished foes」(訴追も裁判も、戦勝国が敗戦国に対して行わざるを得ない)とし、「Either the victors must judge the vanquished or we must leave the defeated to judge themselves. After the first World War, we learned the futility of the latter course.」(戦勝国が敗者を裁くか、さもなければ敗者に自らを裁かせるほかない。第一次世界大戦後、私たちは後者の道の無益さを学んだ)と述べ、この裁判が戦勝国による裁きという構造を免れないことを自ら認めたうえで、「We must never forget that the record on which we judge these defendants today is the record on which history will judge us tomorrow. To pass these defendants a poisoned chalice is to put it to our own lips as well.」(私たちが今日これらの被告を裁く記録は、明日には歴史が私たちを裁く記録になることを、決して忘れてはならない。この被告たちに毒杯を回すことは、それを我々自身の唇にも当てることにもなる)と結んだ[SRC-00761]。
歴史的背景
国際軍事裁判は、1945年8月8日にロンドンで署名された協定とこれに付属する憲章によって設置された[SRC-00763]。憲章第1条は、この裁判所の目的を「the just and prompt trial and punishment of the major war criminals of the European Axis」(欧州枢軸国の主要な戦争犯罪人を、公正かつ迅速に裁き処罰すること)と定め、第2条は「The Tribunal shall consist of four members, each with an alternate. One member and one alternate shall be appointed by each of the Signatories.」(裁判官は4名とし、それぞれに予備裁判官を置く。各署名国が裁判官1名と予備裁判官1名を任命する)と定めた[SRC-00763]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1945年8月8日(グレゴリオ暦) | ロンドンで協定・憲章に署名し、国際軍事裁判の設置が定められる | [SRC-00763] |
| 1945年10月18日(グレゴリオ暦) | 起訴状がベルリンで法廷に提出される | [SRC-00760] |
| 1945年10月25日(グレゴリオ暦) | 被告の一人ロベルト・ライが自殺する | [SRC-00766] |
| 1945年11月14〜17日(グレゴリオ暦) | 開廷前の予備審理が行われる | [SRC-00766] |
| 日付不明(開廷前の予備審理段階) | グスタフ・クルップ・フォン・ボーレンが、高齢で健康状態が悪いことを理由に審理対象から除外される(決定の正確な日付は出典に明記がない) | [SRC-00765] |
| 1945年11月20日(グレゴリオ暦) | 国際軍事裁判が開廷し、起訴状が全文朗読される(本記事の主題) | [SRC-00760] |
| 1945年11月21日(グレゴリオ暦) | 弁護側の管轄権異議動議が却下され、被告が答弁し、ジャクソン検察官が冒頭陳述を行う | [SRC-00761][SRC-00762] |
| 1946年9月30日(グレゴリオ暦) | 判決が言い渡される | [SRC-00766] |
| 1946年10月1日(グレゴリオ暦) | 判決と量刑が確定する | [SRC-00765][SRC-00766] |
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)
この裁判の性格そのものをどう評価するかについては、異なる立場がある。本サイトはいずれの評価にも与しない(本サイトの整理)。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 裁判の法的正当性 | 事後法・一方的法廷という批判: 平和に対する罪の訴追は、行為時に存在しなかった法規を事後に適用するものであり「罪刑法定不遡及の原則」に反する。判事も戦勝4か国のみから任命されており、法廷の準則制定・訴追・裁判のすべてを同じ当事者が担う一方的な構造にも疑義がある。 | 1945年11月19日付、出頭中の全被告弁護人を代表したシュターマー弁護士の動議(法廷は同21日にこれを却下) [SRC-00762] | 開廷直後の法廷で被告側から正式に提起され、却下された論点。 |
| 裁判の法的正当性 | 国際刑事法の礎という評価: この裁判と憲章は、人道に対する罪を国際法上の犯罪として確立した[SRC-00765]。国連法務局サイトに掲載された国際法学者アントニオ・カッセーゼの解説は、1946年の国連総会決議95号がニュルンベルク諸原則に今日の慣習国際法としての地位を与えることに大きく寄与したと述べ、国際刑事裁判所(ICC)など後続の国際刑事法廷の設立文書への反映を紹介している[SRC-00767]。 | 米ホロコースト記念博物館の解説 [SRC-00765]/国連法務局サイトに掲載された国際法学者アントニオ・カッセーゼによる解説 [SRC-00767] | 人道に対する罪の確立自体には争いがない。決議95号と慣習法化の関係については、同じ解説内でイェシェック説(決議95号は既に慣習国際法であった諸原則を宣言したにすぎないとする説)との対立が明示されている[SRC-00767]。 |
なお、検察側代表のジャクソン自身も、冒頭陳述で「戦勝国が敗者を裁くか、さもなければ敗者に自らを裁かせるほかない」「私たちが今日これらの被告を裁く記録は、明日には歴史が私たちを裁く記録になる」と述べ、戦勝国が裁く側に立つ構造そのものには検察側の当事者として自ら言及していた[SRC-00761]。
関連する出来事
- 開廷に先立ち、1945年8月8日にロンドンで協定・憲章の署名があった[SRC-00763]。
- 裁判はその後1946年9月30日に判決、翌10月1日に量刑が確定して結審した(開廷とは別の日付であり、本記事の主題である開廷〔11月20日〕とは区別する)[SRC-00766]。
関連人物
- ジェフリー・ローレンス(英国代表判事・裁判長): 開廷にあたり法廷を代表して声明を読み上げた[SRC-00760][SRC-00766]。
- ロバート・H・ジャクソン(米国主席検察官): 開廷の翌日、11月21日に検察側の冒頭陳述を行った[SRC-00761]。
- オットー・シュターマー(弁護人): 出頭中の全被告弁護人を代表し、法廷の管轄権に異議を申し立てる動議に署名した[SRC-00762]。
歴史的意義
この裁判は、国家指導者の戦争犯罪を国際法廷で裁くという、それまで例のなかった枠組みを実行した点に意義がある[SRC-00760][SRC-00765]。その後、人道に対する罪を国際法上の犯罪として確立した点が、この裁判の遺産として位置づけられている[SRC-00765]。1946年の国連総会決議95号がニュルンベルク諸原則の慣習国際法化に寄与したかどうかについては学説上の対立があり[SRC-00767]、異説・論争欄で扱う。同時に、この裁判が抱えた「事後法」「戦勝国のみによる法廷」という批判は、開廷直後の法廷で被告側から正式に提起されたものである[SRC-00762]。この裁判の評価が一様でないこと自体が、国際刑事法という分野の出発点の複雑さを示している。
現代の視点
今日の国際刑事裁判所(ICC)をはじめとする国際刑事法廷の設立文書には、ニュルンベルク諸原則が反映・展開されているとされる[SRC-00767]。国家指導者個人の刑事責任を国際法廷が問うという枠組みは、この裁判をひとつの起点として現在まで続いている(本サイトの整理)。
出典一覧
- [SRC-00760] Nuremberg Trial Proceedings, Vol. 2 — First Day: Tuesday, 20 November 1945/The Avalon Project, Lillian Goldman Law Library, Yale Law School(ランクA)
- [SRC-00761] Nuremberg Trial Proceedings, Vol. 2 — Second Day: Wednesday, 21 November 1945/The Avalon Project, Lillian Goldman Law Library, Yale Law School(ランクA)
- [SRC-00762] Motion Adopted by All Defense Counsel (19 November 1945)/The Avalon Project, Lillian Goldman Law Library, Yale Law School(ランクA)
- [SRC-00763] Charter of the International Military Tribunal (Annexed to the London Agreement of 8 August 1945)/The Avalon Project, Lillian Goldman Law Library, Yale Law School(ランクA)
- [SRC-00765] The International Military Tribunal at Nuremberg/United States Holocaust Memorial Museum(ランクA)
- [SRC-00766] International Military Tribunal (IMT) — Overview/Nuremberg Trials Project, Harvard Law School Library(ランクA)
- [SRC-00767] Affirmation of the Principles of International Law recognized by the Charter of the Nürnberg Tribunal, General Assembly resolution 95 (I) — Introductory Note/United Nations Audiovisual Library of International Law(国連法務局)(ランクA)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-05 | あり |
| 2 | 2026-09-05 | あり |
| 3 | 2026-09-05 | あり |
| 4 | 2026-09-05 | なし |
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