ゲティスバーグ演説、リンカーン自筆の5つの草稿——標準版となったブリス草稿
日付と暦
- 原典表記
- 1863年11月19日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1863-11-19(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 11月19日のページ
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概要
1863年11月19日、南北戦争中のペンシルベニア州ゲティスバーグで、戦没兵士を埋葬するための国立墓地「ソルジャーズ・ナショナル・セメタリー」の奉献式が開かれた[SRC-00745][SRC-00748]。この日の主演説者は、著名な演説家で元ハーバード大学学長のエドワード・エヴェレットであり、約2時間に及ぶ演説を行った[SRC-00745][SRC-00746][SRC-00751]。American Battlefield Trustによれば、エイブラハム・リンカーン大統領はゲティスバーグの弁護士デイヴィッド・ウィルズから「いくつかの適切な言葉」("a few appropriate remarks")を述べるよう依頼されたとされる[SRC-00748]。エヴェレットに続いて、リンカーンは約2分間(2分に満たなかったとも記される)の発言を行った[SRC-00745][SRC-00746][SRC-00751]。この短い発言が、今日「ゲティスバーグ演説」として知られるものである。リンカーン自身の手による直筆写本は5種現存し、それぞれ文言や句読点にわずかな違いがある[SRC-00744][SRC-00747][SRC-00748]。このうち、表題・日付・リンカーン自身の署名を備える唯一の写本であるブリス草稿は、標準版("the standard version")として定着している[SRC-00747]。
本文
ジョン・ヘイの日記によれば、式典は町の中心部から墓地までの行列に始まり、ストックトン師による祈祷、エヴェレットの演説、リンカーンの発言、音楽という順で進んだとされる(同じ資料は、式典の目撃証言が互いに食い違う点も多いと注記している)[SRC-00745]。リンカーンは「後から思いついたように話すよう頼まれ、準備の時間は2週間ほどしかなかった」("was asked to speak as an after thought and had only about two weeks to prepare his remarks")[SRC-00746]。その発言は「会場の多くの人々が始まったことに気づく前に終わっていた」("was over before most in the crowd realized he had even begun")というほど短かった[SRC-00746]。リンカーンは上着のポケットから取り出した紙から発言を読み上げたと伝えられるが、その日どの写本を読んだのか、正確にどのような言葉を述べたのかは判明していない[SRC-00745]。式典にはおよそ1万5000人が集まったとされる[SRC-00746]。
エヴェレットはこの演説を気に入り、リンカーンにこう伝えたとされる。「あなたが2分で成し遂げたことに、私が2時間かけてこの機会の核心にどれだけ迫れたか、自分を欺けるものならそうしたいものです」("I should be glad, if I could flatter myself that I came as near to the central idea of the occasion, in two hours, as you did in two minutes.")[SRC-00750]。もっとも、当時の新聞論調は一様ではなかった。共和党系の記者は心のこもった名演説として称賛した一方、民主党系の記者は不十分だとして酷評した[SRC-00751]。ロンドンの『タイムズ』紙の通信員は「退屈でありふれている」("dull and commonplace")と評した[SRC-00750]。
リンカーンは、この演説を含め少なくとも5通りの直筆写本を残した。式典前後に作成されたとみられる「ニコレー草稿」(秘書ジョン・ニコレーに渡った)と「ヘイ草稿」(秘書ジョン・ヘイに渡った)の2通は、いずれも現在アメリカ議会図書館が所蔵する[SRC-00744][SRC-00748]。その後、1864年になってから、主演説者エヴェレットの依頼による「エヴェレット草稿」(現在はイリノイ州のエイブラハム・リンカーン大統領図書館・博物館が所蔵)[SRC-00744][SRC-00748][SRC-00749]、歴史家ジョージ・バンクロフトの依頼による「バンクロフト草稿」、バンクロフトの継子アレクサンダー・ブリスのために作られた「ブリス草稿」の3通が作成された[SRC-00744][SRC-00748]。このうちブリス草稿だけが、表題・日付・リンカーン自身の署名を備えている[SRC-00747][SRC-00744]。
歴史的背景
ゲティスバーグでは、この墓地の奉献式に先立つ南北戦争の激しい戦闘で多数の死者が出ていた。ゲティスバーグ市民デイヴィッド・ウィルズは、「戦場の17エーカーをペンシルベニア州が買い取り、兵士たちを適切に埋葬できるよう」働きかけた("Gettysburg citizen David Wills convinced Pennsylvania to purchase seventeen acres of the battlefield to have the soldiers properly buried.")[SRC-00746]。この墓地の奉献式のためにウィルズがリンカーンを招いたことが、演説が行われる直接のきっかけになったとされる[SRC-00748]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1863年11月19日(グレゴリオ暦) | ソルジャーズ・ナショナル・セメタリー奉献式。エヴェレットの演説(約2時間)に続き、リンカーンが発言(約2分) | [SRC-00745][SRC-00746] |
| 1864年2〜3月(グレゴリオ暦) | エヴェレット草稿・バンクロフト草稿が作成される | [SRC-00744] |
| 1864年3月上旬(グレゴリオ暦) | ブリス草稿が作成される | [SRC-00744] |
| 1901年(グレゴリオ暦) | ニコレーが死去する。ニコレー草稿は死去まで手元にあり続け、その後ヘイに渡ったとされる | [SRC-00748] |
| 1905年(グレゴリオ暦) | ヘイが死去する。それまでニコレー草稿・ヘイ草稿の両方を保持し続けていた | [SRC-00748] |
| 1916年(グレゴリオ暦) | ヘイの遺族が、ニコレー草稿・ヘイ草稿をアメリカ議会図書館へ寄託する | [SRC-00748] |
| 1949年(グレゴリオ暦) | バンクロフト草稿が、個人の手を経てコーネル大学へ渡る | [SRC-00748] |
暦の注記: 上表の日付はいずれもグレゴリオ暦であり、1863〜1949年の本事象に暦種別の複雑さ(改暦境界等)は生じない。
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)
ゲティスバーグ演説は、現存する5種の直筆写本(ニコレー・ヘイ・エヴェレット・バンクロフト・ブリスの各草稿)の間で文言・句読点にわずかな違いがある[SRC-00744][SRC-00747][SRC-00748]。このうち表題・日付・リンカーン自身の署名を備える唯一の写本であるブリス草稿は、記念堂を管理する国立公園局自身が「標準版」("the standard version")と説明しており、リンカーン記念堂の刻字の底本にもなるなど広く引用される[SRC-00747][SRC-00744]。(本サイトの整理)これは特定の写本が実務上「標準版」として扱われているという事実であり、学術的にブリス版が他の4写本より「正しい」と裁定された結果を意味するものではない。
差異のうち最も知られるのは、「under God」(神のもとに)という語句の有無である。ニコレー草稿とヘイ草稿にはこの語句がなく、その後に作られたエヴェレット・バンクロフト・ブリスの3写本にはある[SRC-00748][SRC-00750]。式典を報じた同時代報道のうち、この語句を読み上げの書き起こしとして伝える件数は出典によって異なる。National Constitution Centerは聴衆内の記者による新聞記事のうち「少なくとも4件」("at least four newspaper accounts")と記す一方、American Battlefield Trustは式典から電信報告を送った通信員のうち「3人」("three correspondents")と記しており、件数も母集団も一致しない[SRC-00750][SRC-00748]。この語句が式典の場で即興的に付け加えられたのか、後から写本を作成する過程で加えられたのか、あるいはリンカーンが実際には発声しなかったのかについて、確定した定説はない[SRC-00748]。
どの写本が式典で実際に読み上げられた「朗読原稿」だったのかも、学者の間で見解が分かれている。ニコレー草稿はしばしば候補に挙げられるが、リンカーンが実際にこの版を読んだかどうかは不確実である[SRC-00744][SRC-00748]。一方でヘイ草稿についても、式典から打電されたAP通信記者ジョセフ・L・ギルバートの速記録との類似性を理由に、これが朗読原稿だった可能性を指摘する歴史家がいるが、こちらも確定はしていない[SRC-00748]。
聴衆の反応についても、同時代の記録は一致しない。ある記録はリンカーンの発言後に深い静寂が続いたと伝える一方、別の記録は「長く続いた拍手」("Long continued applause.")があったと記す[SRC-00745]。さらに、拍手があったこと自体は前提としつつ、その程度や起きた時点については今なお議論があるとする記録もある("The speech was interrupted by applause, but how much applause and when it happened is still a subject of debate.")[SRC-00750]。演説の語数についても、しばしば「272語」等の数値が引かれるが、これは特定の写本を数えた結果であり、演説全体を通じた単一の確定語数ではない(本サイトの整理)。一般的な言及では「275語に満たない」という短さの目安が示されるにとどまる[SRC-00751]。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| どの写本が実際の朗読原稿か | ニコレー草稿説(式典前後に作成された最初期の写本) | [SRC-00744][SRC-00748] | しばしば候補に挙げられるが、リンカーンがこの版を読んだかどうかは不確実 |
| 同上 | ヘイ草稿説(AP通信の速記録との類似性) | [SRC-00748] | 一部の歴史家が指摘するが確定していない |
| 「under God」をどう説明するか | 式典で即興的に付け加えられた可能性 | [SRC-00748] | 一部の歴史家が指摘する |
| 同上 | リンカーンが実際には発声しなかった可能性 | [SRC-00748] | 一部の学者が主張する |
| 同時代報道が「under God」を伝えた件数 | 聴衆内の記者による新聞記事「少なくとも4件」 | [SRC-00750] | National Constitution Centerの記述 |
| 同上 | 式典から電信報告を送った通信員「3人」 | [SRC-00748] | American Battlefield Trustの記述。件数・母集団とも前者と一致しない |
| どの写本が「標準テキスト」か | ブリス草稿(署名・日付・表題を備え、記念堂の刻字にも使用) | [SRC-00747][SRC-00744] | 国立公園局自身が「標準版」と説明。実務上広く採用されるが、学術的な優劣裁定ではない |
| 聴衆の反応はどうだったか | 深い静寂が続いた | [SRC-00745] | 同時代の記録同士が対立し、確定困難 |
| 同上 | 長く続いた拍手があった | [SRC-00745] | 同上 |
| 同上 | 拍手はあったが、程度や時点は議論の対象 | [SRC-00750] | National Constitution Centerの記述。上記2説と部分的に対立 |
関連する出来事
- この墓地の奉献式は、直前にゲティスバーグで戦われた南北戦争の激しい戦闘の戦没者を埋葬するために、ペンシルベニア州が戦場の一部を買い取ったことに端を発する[SRC-00746]。
- ワシントンD.C.のリンカーン記念堂の壁面には、ブリス草稿の版に基づく演説文が刻まれている[SRC-00747]。
関連人物
- エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln): 第16代アメリカ合衆国大統領。ゲティスバーグの弁護士デイヴィッド・ウィルズから「いくつかの適切な言葉」("a few appropriate remarks")を依頼されたとされ[SRC-00748]、式典で約2分間の発言を行った[SRC-00746]。
- エドワード・エヴェレット(Edward Everett): 当時著名な演説家・元ハーバード大学学長。式典の主演説者として約2時間の演説を行った[SRC-00745][SRC-00746]。自分の2時間の演説よりリンカーンの2分の発言の方がこの機会の核心に迫ったと伝えたとされる[SRC-00750]。
- ジョン・ニコレー(John George Nicolay): リンカーンの個人秘書。直筆写本の一つ(ニコレー草稿)を託された[SRC-00744][SRC-00748]。
- ジョン・ヘイ(John Hay): リンカーンの個人秘書(ニコレーの同僚)。直筆写本の一つ(ヘイ草稿)を託された[SRC-00744][SRC-00748]。式典の様子を日記に記している[SRC-00745]。
歴史的意義
ゲティスバーグ演説は、今日ではアメリカ史を代表する演説の一つとして広く記憶されているが、その記憶を支える「テキスト」自体が単一に定まらないという点に、この演説の史料としての特徴がある。5種の直筆写本が並存し、文言の異同や朗読原稿の特定をめぐって学者の見解が分かれ続けていること自体が、この演説が後世どのように受け継がれ、引用され、記念されてきたかを映す史料批判上の論点になっている[SRC-00744][SRC-00748]。
現代の視点
現在最も広く引用されるブリス草稿は、表題・日付・署名を備えて丁寧に清書された、標準版としての扱いを受けている版である[SRC-00747]。しかし、それが式典で実際に読み上げられた言葉と完全に一致する保証はない。ある演説の「正確な原文」を求めることの難しさそのものが、この出来事から読み取れる論点である(本サイトの整理)。
出典一覧
- [SRC-00744] In Lincoln's Hand/Cornell University Library(ランクA)
- [SRC-00745] Dedication of the Soldiers' National Cemetery/Cornell University Library(ランクA)
- [SRC-00746] Gettysburg Address - Lincoln Home National Historic Site (U.S. National Park Service)/National Park Service, U.S. Department of the Interior(ランクA)
- [SRC-00747] Gettysburg Address - Lincoln Memorial (U.S. National Park Service)/National Park Service, U.S. Department of the Interior(ランクA)
- [SRC-00748] Versions of the Gettysburg Address/American Battlefield Trust(ランクB)
- [SRC-00749] 272 Words that Changed America: The Gettysburg Address (event page)/Abraham Lincoln Presidential Library and Museum(ランクA)
- [SRC-00750] Myths and Mysteries about the Gettysburg Address/National Constitution Center(ランクB)
- [SRC-00751] The Gettysburg Address - Definition, Meaning & Purpose/A&E Television Networks (HISTORY)(ランクB)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-05 | あり |
| 2 | 2026-09-05 | あり |
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