リンカーンは、南部の複数州で投票用紙に名前がないまま、大統領選挙に勝った

日付と暦

原典表記
1860年11月6日(グレゴリオ暦)
換算
1860-11-06(グレゴリオ暦)
掲載日
11月6日のページ

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概要

1860年11月6日、共和党のエイブラハム・リンカーンは、北部民主党のスティーブン・ダグラス、南部民主党のジョン・C・ブレッキンリッジ、立憲統一党のジョン・ベルとの4候補による選挙を制し、選挙人票180(総数303・過半数152)を得て第16代アメリカ合衆国大統領に当選した[SRC-00643][SRC-00644][SRC-00649][SRC-00651]。得票率は、The American Presidency Projectの集計によれば約39.8%だった[SRC-00644]。だが南部の複数州では、リンカーンの名は投票用紙にすら載らず、得票の記録が一つも残らなかった[SRC-00646][SRC-00644]。当選が法的に確定したのは、連邦議会が選挙人票を集計した1861年2月13日のことであり、リンカーンが実際に大統領へ就任したのは、さらに先の1861年3月4日である[SRC-00645][SRC-00650]。

本文

この選挙は、奴隷制をめぐる対立から民主党が北部と南部に分裂し、4候補が争う構図となった[SRC-00646]。共和党はリンカーンを、北部民主党はスティーブン・ダグラスを、南部民主党はジョン・C・ブレッキンリッジを、旧ホイッグ党系の立憲統一党はジョン・ベルをそれぞれ擁立した[SRC-00644][SRC-00649][SRC-00646][SRC-00651]。

11月6日の投票の結果、選挙人票はリンカーン180・ブレッキンリッジ72・ベル39・ダグラス12となり、総数303のうち過半数152を大きく上回る差でリンカーンが制した[SRC-00643][SRC-00644][SRC-00645][SRC-00649][SRC-00653]。もっとも一般投票では、リンカーンの得票率はThe American Presidency Projectの集計で約39.8%にとどまった[SRC-00644]。ミラーセンターに寄稿するコネチカット・カレッジ名誉教授マイケル・バーリンゲイムは、ベルとダグラスの得票を合わせるとリンカーンの得票よりおよそ10万票多かったと指摘する[SRC-00646]。The American Presidency Projectの州別集計によれば、アラバマ・アーカンソー・フロリダ・ジョージア・ルイジアナ・ミシシッピ・ノースカロライナ・テネシー・テキサスの9州でリンカーンの得票記録がなく、サウスカロライナ州では一般投票そのものが行われず、選挙人は州議会によって選出されブレッキンリッジに投じられた[SRC-00644]。バーリンゲイムも、リンカーンは南部のいかなる州でも投票用紙に載っていなかったと記している[SRC-00646]。

リンカーンの勝敗そのものは11月6日の投票で決したが、その法的な確定にはなお数か月の手続きを要した[SRC-00645][SRC-00653]。1861年2月13日、連邦議会は上下両院合同会議を開き、選挙人票を集計してリンカーンの当選を正式に確定させた[SRC-00645]。米下院歴史部局によれば、この集計に先立って、サウスカロライナ・ミシシッピ・フロリダ・アラバマ・ジョージア・ルイジアナ・テキサスの7つの奴隷州がすでに連邦を離脱し、南部連合政府を樹立していた[SRC-00645]。リンカーンが実際に大統領へ就任したのは、さらに先の1861年3月4日のことである[SRC-00650]。

歴史的背景

サウスカロライナ州は、リンカーン勝利の報を受けて招集された会議で、1860年12月20日、連邦から脱退した[SRC-00648][SRC-00653]。国立公園局によれば、この議決は169人の代議員による全会一致で行われ、同州は連邦から脱退した最初の州となった[SRC-00648]。国立公園局は、リンカーンの選挙での勝利が、奴隷州である南部各地で連邦離脱を求める声を「引き起こした」と記す[SRC-00648]。もっとも、サウスカロライナ州自身が脱退の4日後(12月24日)に採択した宣言文は、リンカーン当選を離脱の理由として直接名指しするのではなく、非奴隷州が逃亡奴隷条項をめぐる連邦の義務を果たしていないと主張したうえで、「一本の地理的な線が連邦を横断して引かれ、その線より北のすべての州が、奴隷制に敵対する意見と目的を持つ人物を大統領という高位に選出することで一致した」と記すにとどまり、国立公園局はこの一節を、リンカーン当選を「間接的に、一因として」言及したものと位置づけている[SRC-00648][SRC-00647]。同宣言はさらに「来る3月4日、この党〔リンカーンの党〕は政府を掌握することになる」とも記しており、政権交代の期日として、投票日(11月6日)ではなく就任日(3月4日)を意識していたことがうかがえる[SRC-00647]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1860年11月6日(グレゴリオ暦) 大統領選挙の投票日。リンカーンが選挙人票180を獲得 [SRC-00643][SRC-00644][SRC-00651][SRC-00652][SRC-00653]
1860年12月20日(グレゴリオ暦) サウスカロライナ州、連邦から脱退。国立公園局によれば、169人の代議員の全会一致による、脱退した最初の州 [SRC-00648][SRC-00653]
1860年12月24日(グレゴリオ暦) サウスカロライナ州、脱退の理由を述べる宣言を採択 [SRC-00647]
1861年2月13日(グレゴリオ暦) 連邦議会、選挙人票を集計しリンカーンの当選を法的に確定 [SRC-00645][SRC-00653]
1861年3月4日(グレゴリオ暦) リンカーン、第16代大統領に就任 [SRC-00650]

暦の注記: 上表の日付はいずれもグレゴリオ暦であり、19世紀のアメリカ合衆国に暦種別の複雑さ(改暦境界等)は生じない。

異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)
論点 根拠・出典 学界での位置づけ
1860年選挙の各候補の得票数(実数) リンカーン1,865,908票(ブレッキンリッジ848,019・ベル590,901・ダグラス1,380,202) [SRC-00643] 米議会図書館のリサーチガイドが掲載する集計(市販の選挙統計集を典拠として明記)
同上 リンカーン1,867,198票・得票率39.8%(ブレッキンリッジ854,248票・18.2%、ベル591,658票・12.6%、ダグラス1,379,434票・29.4%) [SRC-00644] The American Presidency Project(UCSB)の集計。選挙人票の数値(180/72/39/12)は両出典で完全に一致するが、得票の実数はわずかに異なる。本記事では両者を単純合算せず、出典ごとに個別に帰属して記す
リンカーン当選と南部の連邦離脱運動の関係をどこまで因果として記述できるか 国立公園局は、選挙での勝利が南部各地で連邦離脱を求める声を「引き起こした」(triggered)と記す一方、サウスカロライナ州自身の脱退宣言については、リンカーン当選を離脱の直接の理由として名指しするのではなく「間接的に、一因として」言及したものと位置づけている [SRC-00648][SRC-00647] 選挙結果それ自体が連邦離脱を法的・自動的に引き起こしたのではなく、南部側の州が選挙結果をどう解釈し、脱退の議決・宣言という政治的行動をとったかという媒介を経た帰結である(本サイトの整理)。本記事はこの関係を「引き金となったとされる」級の帰属形でのみ記述する
南部の投票用紙にリンカーンの名が「いかなる州でも」載らなかったか、それとも一部の州には載っていたか ミラーセンターに寄稿するバーリンゲイムは「リンカーンは南部のいかなる州でも投票用紙に載っていなかった」と記す [SRC-00646] 同氏は同じ段落で、ベルが上南部のヴァージニア・ケンタッキー・テネシーで勝利したとも記しており、これらの州を「南部」に含めている
同上 The American Presidency Project(UCSB)の州別集計では、ヴァージニア(1,929票・1.15%)・ケンタッキー(1,364票・0.93%)・メリーランド(2,895票・3.11%)・デラウェア(3,816票・23.71%)・ミズーリ(17,028票・10.29%)で、いずれもリンカーンの得票が記録されている [SRC-00644] 「投票用紙に載っていない」ことと「得票が記録されている」ことは両立しないため、「南部のいかなる州でも」という一般化は、少なくともこれら5州には当てはまらない。本記事は、得票記録がない9州+サウスカロライナ(一般投票不存在)についてはUCSBの表記構造どおりの精緻な数え方として確定的に扱い、「南部のいかなる州でも」という一般化した表現はバーリンゲイムへの帰属形としてのみ記述する(本文・関連する Claim 参照)(本サイトの整理)

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

国立公園局によれば、1860年11月6日には投票資格を持つ有権者の81%が投票し[SRC-00651]、リンカーンは得票率50%未満で当選した史上初の大統領になったという[SRC-00651]。この選挙は、地域対立によって分裂した政党政治のもとで大統領が選ばれた事例として記憶され、選挙結果を受けたサウスカロライナ州の脱退が、以後4年に及ぶ南北戦争へと至る一連の政治過程の起点の一つになった[SRC-00648][SRC-00645]。もっとも、選挙結果そのものが内戦を自動的に引き起こしたのではなく、南部側の州が選挙結果をどう解釈し、脱退の議決や宣言の採択という政治的な意思決定を重ねた末の帰結である点に留意が必要である(本サイトの整理)[SRC-00647][SRC-00648]。

現代の視点

NARAが同じページで示す現行制度の日程例によれば、現在の大統領選挙は投票日から就任日(1月20日)までがおよそ2か月半に短縮されている[SRC-00649]。これに対し、リンカーンの当選(1860年11月6日)から就任(1861年3月4日)までは、当時の制度のもとでおよそ4か月を要した[SRC-00651][SRC-00650]。投票日・選挙人票の集計・大統領就任という複数の異なる日付を経て大統領が確定するという構造そのものは、当時も現在も変わらない。

出典一覧

  1. [SRC-00643] Presidential Election of 1860: A Resource Guide — Introduction/Library of Congress(ランクA)
  2. [SRC-00644] 1860 — The American Presidency Project/The American Presidency Project, University of California, Santa Barbara(ランクA)
  3. [SRC-00645] Joint Session to Count 1860 Electoral College Votes/Office of the Historian, U.S. House of Representatives(ランクA)
  4. [SRC-00646] Abraham Lincoln: Campaigns and Elections/Miller Center, University of Virginia(ランクA)
  5. [SRC-00647] Confederate States of America - Declaration of the Immediate Causes Which Induce and Justify the Secession of South Carolina from the Federal Union/The Avalon Project, Lillian Goldman Law Library, Yale Law School(ランクA)
  6. [SRC-00648] South Carolina Secession/National Park Service (U.S. Department of the Interior)(ランクA)
  7. [SRC-00649] 1860 Electoral College Results/Office of the Federal Register, National Archives and Records Administration (NARA)(ランクS)
  8. [SRC-00650] March 4, 1861: First Inaugural Address/Miller Center, University of Virginia(ランクA)
  9. [SRC-00651] The Elections of 1860 and 1864/National Park Service (U.S. Department of the Interior)(ランクA)
  10. [SRC-00652] Election Day 1860/Smithsonian Magazine (Smithsonian Institution)(ランクB)
  11. [SRC-00653] Abraham Lincoln Event Timeline/The American Presidency Project, University of California, Santa Barbara(ランクA)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-04あり
22026-09-04あり
32026-09-04あり

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