ネリー・ブライは、フィリアス・フォッグの記録を破ろうと、世界一周の船に乗り込んだ
日付と暦
- 原典表記
- 1889年11月14日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1889-11-14(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 11月14日のページ
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概要
1889年11月14日午前、記者ネリー・ブライ(本名エリザベス・コクラン。ブリタニカによれば、後年みずから綴りにeを加えコクレインとしたという[SRC-00675])は、ニュージャージー州ホーボーケンの埠頭からアウグスタ・ヴィクトリア号に乗り、世界一周の旅に出た[SRC-00674][SRC-00676]。目標は、ジュール・ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』の主人公フィリアス・フォッグが果たした架空の80日間という記録を破ることだった[SRC-00670][SRC-00674][SRC-00676]。この企画は、米国議会図書館の解説によれば、ブライの雇用主であるニューヨーク・ワールド紙が勧めたという[SRC-00670]。同紙はジョゼフ・ピュリツァーが発行し、連日の記事に加え帰着時刻を言い当てる懸賞企画を展開し、応募はおよそ100万件に達した[SRC-00670][SRC-00675]。ブライ自身は知らなかったが、同じ11月14日、雑誌コスモポリタンも記者エリザベス・ビスランドを反対方向へ送り出しており、事実上の競走が始まっていた[SRC-00674][SRC-00676][SRC-00677]。ブライは72日6時間11分でニューヨーク近郊へ帰り着き、世界一周の新記録を打ち立てた[SRC-00670][SRC-00674][SRC-00675]。
本文
ブライへの依頼は出発のわずか数日前に舞い込んだとされる[SRC-00674]。11月14日木曜日の午前9時40分、アウグスタ・ヴィクトリア号はホーボーケンの埠頭を離れ、ハドソン川を下って大西洋へ出た[SRC-00674]。一般向けの解説の中には、出航地を単に「ニューヨーク」と記すものもあるが[SRC-00675]、実際に乗船した埠頭はハドソン川対岸のニュージャージー州ホーボーケンにあった[SRC-00674][SRC-00676]。
ブライの遠征は、ヴェルヌの小説でフィリアス・フォッグが果たした架空の80日間という世界一周記録を上回ることを目指すものだった[SRC-00670][SRC-00674][SRC-00676]。もっとも、ブライ自身が実際に掲げていた目標は、それよりも厳しい75日だったという[SRC-00674][SRC-00676]。
出発と同じ11月14日、雑誌コスモポリタンの発行人ジョン・ブリスベン・ウォーカーは、同誌の文芸担当編集者エリザベス・ビスランドを呼び出し、ブライとは反対方向(西回り)で世界一周に出発するよう求めた[SRC-00674][SRC-00677]。ビスランドはその日のうちに支度を整え、数時間後にはサンフランシスコ行きの列車に乗っていたという[SRC-00674][SRC-00677]。ブライは出発の時点でこの競走の存在を知らず[SRC-00674]、ヨーロッパ大陸からスエズ運河に至る区間でもそれを知らないまま旅を続けた[SRC-00676]。
ブライは出発から1週間余りが経った11月22日ごろ、フランス・アミアンに立ち寄り、ジュール・ヴェルヌ夫妻あての招待を受けてその自宅を訪ねたとされる[SRC-00674][SRC-00676]。ブライは1890年1月25日午後、ニュージャージー州ジャージーシティに帰着し、旅は72日6時間11分で幕を閉じた[SRC-00670][SRC-00674][SRC-00675]。米国議会図書館の『Today in History』ページとブリタニカ国際大百科事典は、これを秒単位まで「72日6時間11分14秒」と記録している[SRC-00670][SRC-00675]。一方、ビスランドは大西洋の荒天に阻まれて足止めされ、ブライから4日遅れで世界一周を終えたという[SRC-00676][SRC-00677]。
歴史的背景
ヴェルヌの小説『八十日間世界一周』は大衆的な人気を博し、80日間での世界一周は「架空だが挑戦しがいのある記録」として広く知られていた[SRC-00674]。新聞・雑誌の部数競争は激しく、若い女性記者に大胆な企画を任せる手法が読者の関心を集める手段として用いられていたという[SRC-00674][SRC-00676]。ブライ自身、1887年にニューヨーク市ブラックウェルズ島の精神病院へ患者を装って潜入取材した記事ですでに名を上げており、この調査報道が世界一周という次の大企画につながったとされる[SRC-00670][SRC-00673][SRC-00674][SRC-00675]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1887年(グレゴリオ暦) | ブライ、ブラックウェルズ島の精神病院に患者を装って潜入取材 | [SRC-00670][SRC-00671] |
| 1889年11月14日(グレゴリオ暦) | ブライ、ホーボーケンからアウグスタ・ヴィクトリア号で世界一周に出発。同日、ビスランドも反対方向へ出発 | [SRC-00674][SRC-00677] |
| 1889年11月22日ごろ(グレゴリオ暦) | ブライ、フランス・アミアンに立ち寄りヴェルヌ夫妻あての招待を受け自宅を訪ねたとされる | [SRC-00674][SRC-00676] |
| 1890年1月25日(グレゴリオ暦) | ブライ、ジャージーシティに帰着。72日6時間11分で世界一周を達成 | [SRC-00670][SRC-00674][SRC-00675] |
暦の注記: 上表の日付はいずれもグレゴリオ暦であり、本事象に暦種別の複雑さ(改暦境界等)は生じない。
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)
出典間で、本名の綴り・所要時間の記録精度・企画の発案者に幅がある。
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| ブライの本名の綴り | エリザベス・コクラン(Cochran) | [SRC-00672][SRC-00674][SRC-00676] | 米国議会図書館の調査ガイド本文、ハインツ歴史センター、スミソニアン・マガジンはこの表記を用いる |
| 同上 | エリザベス・コクレイン(Cochrane。後年みずからeを加えた綴り) | [SRC-00670][SRC-00675] | 米国議会図書館とブリタニカ国際大百科事典はこの表記を用いる。ブリタニカは「Cochranに後からeを加えた」とその経緯を説明する |
| 世界一周の所要時間の記録精度 | 72日6時間11分14秒(秒単位まで) | [SRC-00670][SRC-00675] | 米国議会図書館とブリタニカ国際大百科事典が秒単位まで一致して記録する |
| 同上 | 72日6時間11分(秒の記載なし) | [SRC-00674] | ハインツ歴史センターの解説記事はこの精度までを記す |
| 世界一周企画の発案者 | 雇用主ニューヨーク・ワールド紙の勧め | [SRC-00670] | 米国議会図書館の解説ページは「雇用主の勧めで」フォッグの架空記録に挑んだと明記する |
| 同上 | ブライ自身が着想し編集者に持ち込んだ。編集者は当初、送り出すことに消極的だった | [SRC-00674][SRC-00676] | ハインツ歴史センターは「ブライが編集者に着想を持ち込んだ」経緯を記す。スミソニアン・マガジンは「編集者は当初、彼女を送り出すことに消極的だった」と記す |
関連する出来事
- ブライは1887年、ニューヨーク市のブラックウェルズ島精神病院に患者を装って10日間潜入し、劣悪な処遇を告発する記事を書いていた。世界一周は、この調査報道で名を上げた後に持ち上がった企画である[SRC-00670][SRC-00671]。
- 帰国後の1890年、ブライは旅行記『ネリー・ブライの本 世界一周七十二日間』(Nellie Bly's Book: Around the World in Seventy-two Days)を刊行したという[SRC-00675]。
- ブライの記録は数か月しか保持されず、実業家ジョージ・フランシス・トレインが67日で世界を一周したと伝えられる[SRC-00674]。
関連人物
- ネリー・ブライ(本名エリザベス・〔ジェーン・〕コクラン。ペンシルベニア州コクランズ・ミルズ生まれ): ニューヨーク・ワールド紙の記者。1889年11月14日に世界一周に出発し、翌年72日6時間11分で帰着した[SRC-00670][SRC-00674][SRC-00675]。
- エリザベス・ビスランド: 雑誌コスモポリタンの文芸担当編集者。ブライと同じ11月14日、反対方向へ世界一周に出発した[SRC-00674][SRC-00677]。
- ジュール・ヴェルヌ: フランスの小説家。『八十日間世界一周』の著者。ブライの旅の途中、フランス・アミアンの自宅を訪ねられたとされる[SRC-00674][SRC-00676]。
歴史的意義
ブライの世界一周は、当時「女性には成し遂げられない」とみなされていた大規模な単独取材企画を、女性記者が成功させた事例として大きな注目を集めた[SRC-00676]。この旅は新聞による読者参加型の大型企画であり、ワールド紙の懸賞企画には約100万件もの応募が集まった[SRC-00670][SRC-00675]。
現代の視点
ブライの世界一周は、しばしば「女性記者の快挙」として単独で語られる。しかし同じ日にライバル誌が競走相手の記者を送り出していたという事実は、19世紀末の新聞・雑誌がいかに部数競争のために女性記者の挑戦を材料として競って取り上げていたかを物語っている(本サイトの整理)[SRC-00674][SRC-00676][SRC-00677]。
出典一覧
- [SRC-00670] Today in History - January 25 (Globe Trotting)/Library of Congress(ランクA)
- [SRC-00671] Nellie Bly: Topics in Chronicling America — Introduction/Library of Congress (Research Guides / Newspapers & Current Periodicals)(ランクA)
- [SRC-00672] Nellie Bly: A Resource Guide — Introduction/Library of Congress (Research Guides / Main Reading Room)(ランクA)
- [SRC-00673] Nellie Bly — Women on Stamps: Part 3 (Famous Female Journalists)/Smithsonian National Postal Museum(ランクA)
- [SRC-00674] Nellie Bly: Around the World/Senator John Heinz History Center(ランクA)
- [SRC-00675] Nellie Bly | Biography & Around the World in Seventy-two Days/Encyclopaedia Britannica(ランクB)
- [SRC-00676] Nellie Bly's Record-Breaking Trip Around the World Was, to Her Surprise, A Race/Smithsonian Magazine(ランクB)
- [SRC-00677] Elizabeth Bisland's Race Around the World/The Public Domain Review(ランクB)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-04 | あり |
| 2 | 2026-09-04 | あり |
| 3 | 2026-09-04 | あり |
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