アイザック・ニュートンは、当時のイングランドの暦でクリスマスに生まれた——グレゴリオ暦ではすでに1643年1月4日だった

日付と暦

原典表記
1642年12月25日(ユリウス暦)
換算
1643-01-04(グレゴリオ暦)
掲載日
12月25日のページ

暦の注記: この出来事は、当時のイングランドで用いられていたユリウス暦(旧暦)の1642年12月25日に起きた[SRC-01040][SRC-01041][SRC-01042][SRC-01043]。グレゴリオ暦換算: 1643年1月4日[SRC-01040][SRC-01041]。当時のグレゴリオ暦はユリウス暦より10日進んでおり[SRC-01040]、イングランドがグレゴリオ暦を採用したのは、これよりおよそ110年後の1752年である[SRC-01041]。ニュートン・プロジェクトはユリウス暦とグレゴリオ暦の食い違いを避けるため、日付を特定できる箇所では両暦の表記を併記する方針を採っており、この出来事の年は資料によって「1642年」「1643年」の双方で、あるいは「1642/3年」と併記して示される[SRC-01040]。なお当時のイングランドは1月1日ではなく3月25日を年始とする慣行(Old Style)も用いていたが、これはこの誕生日の年号には影響しない(本記事では教区登録簿の洗礼記録の年表記にのみ関わる)[SRC-01040]。本サイトでは 12-25 のページに掲載している。換算値はニュートン・プロジェクト(オックスフォード大学)およびMacTutor数学史アーカイブ(セントアンドリューズ大学)による転記であり、独自の暦計算は行っていない[SRC-01040][SRC-01041]。

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概要

1642年12月25日、リンカンシャー州コルスタワース近郊、ウールズソープの邸宅で男の子が生まれた。母ハンナ・ニュートン(旧姓エイスコウ)の子で、名はアイザック——およそ3か月前に世を去った父と同じ名だった[SRC-01041][SRC-01042]。この日付は当時のイングランドで使われていたユリウス暦(旧暦)によるもので、グレゴリオ暦では1643年1月4日にあたる[SRC-01040][SRC-01041]。この子が、のちに万有引力や微積分法の基礎の確立で知られる自然哲学者・数学者アイザック・ニュートンである[SRC-01041]。ユリウス暦とグレゴリオ暦のいずれで示すかによって、資料はこの誕生年を「1642年」「1643年」の双方で、あるいは「1642/3年」と併記して示す[SRC-01040]。

本文

ニュートンの父、同名のアイザック・ニュートンは、ウールズソープ・マナーを治める裕福な自作農だったが、自分の名前も書けなかったとされる[SRC-01041]。祖父ロバート・ニュートン(1563-1641)は、少なくとも5代続くコルスタワースの地主一族の出身で、1623年にウールズソープ・マナーを取得した[SRC-01042]。父アイザックは1641年にこの邸宅を相続したが、その直後、1642年10月に死去し(10月6日〔ユリウス暦〕/16日〔グレゴリオ暦換算〕に埋葬)、遺した家財・家畜は459ポンド12シリング6ペンスと評価された[SRC-01040][SRC-01042]。ニュートンは、実の父を知らずに育つことになった[SRC-01041]。

ニュートンの生地・生家について、友人であり伝記作者でもあったウィリアム・ストゥークリー[SRC-01042]は、グランサムの南6マイルにあるコルスタワースの一集落ウールズソープで、一族の所領であった邸宅(マナーハウス)にてニュートンが生まれたと記している[SRC-01043]。ストゥークリーは1721年10月13日にウールズソープを訪れ、1726年4月15日にはケンジントンの下宿でニュートン本人と終日を過ごした。ストゥークリーによれば、これが二人の最後の面会となったが、その席でニュートンは「自分はクリスマスの日、1642年に生まれた」["he was born on Christmas day 1642"]と語ったという[SRC-01043]。

ニュートンの死の直後、1727年にストゥークリーはコルスタワース教区で誕生の記録を裏付けようと調査した。当時の教区登録簿は保存状態が悪く、大半が失われていたが、現任の牧師メイソンが古い町の櫃(チェスト)から、1571年から1642年まで(うち1630年から1640年は中断)の記録が残る数葉を見つけ出した[SRC-01043]。その最後の1葉に、「1642年に洗礼」["Baptizd Ao. Dni 1642."]の見出しの下、「アイザックとハンナ・ニュートンの息子アイザック、1月1日」["Isaac sonne of Isaac & Hanna Newton Ian. 1."]という記載が残っていた[SRC-01043]。当時のイングランドは3月25日を年始とする慣行(Old Style)を用いていたため[SRC-01040]、この記録上の年は誕生年と同じ「1642年」のままだが、現代の1月1日年始の慣行に置き換えると1643年1月1日にあたる[SRC-01040]——誕生から1週間後の洗礼である[SRC-01043]。

1646年1月27日/2月6日、母ハンナは近隣のノース・ウィザムの牧師バーナバス・スミスと再婚し、同地へ転居した[SRC-01040]。幼いアイザックはウールズソープに残され、ハンナの母マージェリー・エイスコウの世話を受けることになった[SRC-01040][SRC-01041]。

歴史的背景

ニュートンが生まれた1642年は、イングランドにとって激動の年だった。同じ10月には、のちのイングランド内戦が勃発している[SRC-01040]。この時期のヨーロッパでは、暦の扱いも国・地域ごとに割れていた。イングランドを含む一部の国・地域はユリウス暦(旧暦・Old Style)を使い続けており、その他の地域はより精度の高いグレゴリオ暦(新暦・New Style)を用いていた[SRC-01040]。ニュートンが生まれた当時、両暦の差は10日で[SRC-01040]、イングランドがグレゴリオ暦を採用したのは、ニュートンの死後25年を経た1752年のことである[SRC-01041]。ニュートン・プロジェクトは、こうした事情から「一部の資料はユリウス暦を、一部はグレゴリオ暦を、一部は両者の混在を用いるため、これが相当な混乱を招きうる」["Since some reference sources use one calendar, some the other, and some a mixture of both, this can cause considerable confusion."]と注記している[SRC-01040]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1642年10月(ユリウス暦) 父アイザック・ニュートンが死去(6日〔ユリウス暦〕/16日〔グレゴリオ暦換算〕に埋葬) [SRC-01040]
1642年12月25日(ユリウス暦。グレゴリオ暦換算1643年1月4日) ウールズソープの邸宅でアイザック・ニュートンが生まれる [SRC-01040][SRC-01041][SRC-01042][SRC-01043]
(教区記録上)1642年1月1日(Old Style。現代の1月1日年始換算では1643年1月1日) コルスタワース教区でアイザック少年が洗礼を受けたと登録簿に記される [SRC-01040][SRC-01043]
1646年1月27日/2月6日(ユリウス暦/グレゴリオ暦換算) 母ハンナがバーナバス・スミスと再婚し、ノース・ウィザムへ転居。アイザックは祖母のもとウールズソープに残る [SRC-01040]
1661年6月(ユリウス暦) 18歳のニュートン、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学 [SRC-01040][SRC-01042]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

誕生年の表記の相違: ニュートンの誕生年を、資料は「1642年」「1643年」のいずれか、あるいは両方の併記で示しており、これは事実についての対立ではなく、どの暦を基準に年を表記するかという編集方針の相違である。ニュートンの生家を保存するNational Trustは、「born on Christmas Day 1642」という表記を一貫して用いる[SRC-01042]。一方、MacTutor数学史アーカイブは、見出し(Quick Info)で「Born 4 January 1643」とグレゴリオ暦換算値を採用しつつ、本文では当時の暦では1642年のクリスマスに生まれたとしたうえで、現在の暦に合わせるためこの伝記では「補正された」["corrected"]グレゴリオ暦の日付である1643年1月4日を用いる、と明示的に説明する[SRC-01041]。ニュートン・プロジェクトはさらに踏み込み、年表上でニュートンの誕生を「1642」ではなく独立した「1642/3」という行に置き、日付を特定できる箇所ではユリウス暦・グレゴリオ暦の双方の表記を併記するという編集方針を、読者への注記で明示している[SRC-01040]。同プロジェクトは、当時のイングランドが1月1日ではなく3月25日を年始とする慣行(Old Style)を用いていたことも「さらなる複雑化要因」として別に注記しているが、これは12月25日というニュートンの誕生日そのものの年号には影響しない[SRC-01040]。同プロジェクトは「一部の資料はユリウス暦を、一部はグレゴリオ暦を、一部は両者の混在を用いるため、これが相当な混乱を招きうる」["Since some reference sources use one calendar, some the other, and some a mixture of both, this can cause considerable confusion."]と自ら注記しており、この年号表記の相違は本サイトが確認した出典の範囲でも実際に生じている[SRC-01040]。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
誕生年の表記 1642年(当時のイングランドで使われていた日付表記を一貫して使用) National Trust [SRC-01042]
(同上) 1643年(グレゴリオ暦換算・現代の暦に揃えた「補正」表記を見出しに採用) MacTutor数学史アーカイブ [SRC-01041]
(同上) 1642/3年(ユリウス暦・グレゴリオ暦の年表記を併記する編集方針による表記) ニュートン・プロジェクト [SRC-01040]

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

ニュートンはのちに、微積分法の基礎を築き、光学と重力に関する研究で知られる存在となった[SRC-01041]。1687年には代表的著作『プリンキピア』を刊行している[SRC-01042]。ニュートンの生家を保存するNational Trustは、ニュートンを「西洋科学の発展においてもっとも重要な人物と広くみなされている」["widely considered the most important figure in the development of Western science"]と位置づける[SRC-01042]。1642年のクリスマス、父を知らずに生まれた乳児が、のちにこう位置づけられる存在になったことは、彼の生涯を語るうえで繰り返し参照される出発点である。

現代の視点

ニュートン・プロジェクトが自ら注記するとおり、ニュートンの誕生日は今も、参照する資料が用いる暦によって「1642年12月25日」にも「1643年1月4日」にもなる[SRC-01040]。この点をどう扱うかは、現代の研究機関の間でも一様ではない。MacTutor数学史アーカイブは、現代の読者の混乱を避けるため、見出しにグレゴリオ暦換算値を採用するという編集判断を明示的に選んでいる[SRC-01041]。一方、ニュートンの生家を保存するNational Trustは、当時のイングランドで実際に使われていた暦の日付をそのまま用いる[SRC-01042]。どちらも「誤り」ではなく、同じ出来事を異なる暦の物差しで測った結果である。

出典一覧

  1. [SRC-01040] The Life and Work of Isaac Newton at a Glance/The Newton Project, University of Oxford(ランクA)
  2. [SRC-01041] Isaac Newton (1643 - 1727) - Biography/MacTutor History of Mathematics Archive, University of St Andrews(ランクA)
  3. [SRC-01042] History of Woolsthorpe Manor/National Trust(ランクA)
  4. [SRC-01043] Memoir of Newton, sent to Richard Mead in four instalments with covering letters, dated 26 June to 22 July 1727 (Diplomatic)/The Newton Project, University of Oxford(ランクA)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-07あり
22026-09-07あり

訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。