ロンドン王立協会は1660年11月28日、レンの講義の後の会合から始まった——発起人12名の1人は、憲章書に名を残せないまま世を去ったとされる

日付と暦

原典表記
1660年11月28日(ユリウス暦)
換算
1660-11-28(ユリウス暦)
掲載日
11月28日のページ

暦の注記: ロンドン王立協会創設の発起会合が開かれたのは、ユリウス暦の1660年11月28日である(ユリウス暦換算: 1660-11-28、実質的な暦計算を伴わない識別変換)[SRC-00824][SRC-00827]。イングランドは大陸諸国が1582年にグレゴリオ暦へ改暦した後も1752年9月14日まで旧暦(ユリウス暦)を用い続けたため(R-CAL-9)、この日付は換算後もユリウス暦のままとなる。本サイトでは 11-28 のページに掲載している。先発グレゴリオ暦での対応日を明示する機関の暦日データベース等の出典には到達できなかったため、本記事では独自にその日数を算出していない[SRC-00614]。

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概要

1660年11月28日、ロンドン・グレシャム・カレッジで、天文学教授クリストファー・レンの講義が終わった後、12名の自然哲学者が会合し、実験哲学振興のための学院の設立を決めた[SRC-00824][SRC-00827]。この一団にはレン自身のほか、ロバート・ボイル、ジョン・ウィルキンズ、ロバート・モーレー、ウィリアム・ブラウンカーが含まれていた[SRC-00825][SRC-00827]。この会合は今日、ロンドン王立協会(The Royal Society of London)の起点として扱われている一方、協会自身は「協会は1660年に創設され、勅許状によって法人化された」と、創設と勅許状による法人化を明示的に区別して説明し[SRC-00826]、その勅許状が交付されたのは1662年である[SRC-00824]。協会自身のブログ記事によれば、発起人フェロー12名のうち10名の署名は協会所蔵のチャータードブック(憲章書)5頁に残る一方、12人目のローレンス・ルークはチャータードブックに署名する前の1662年6月27日に病死し、ついに憲章書に自らの名を書き記せなかった——ただし彼の名は、協会の議事録第1巻の署名シートには記録されているという[SRC-00825]。

本文

グレシャム・カレッジの天文学教授だったクリストファー・レンの講義が終わった後、その場に居合わせた自然哲学者たちが会合し、「実験哲学振興のための学院(a Colledge for the Promoting of Physico-Mathematicall Experimentall Learning)」の設立を決めた[SRC-00827]。royalsociety.org自身は、この最初の会合をもって「新しいフェロー団体が自然哲学——今日でいう科学——を扱うようになった(the new Fellowship would concern itself with natural philosophy - what we would now term science)」と説明する[SRC-00824]。

この会合が実際に開かれた部屋は、レンの前任者で当時は幾何学教授だったローレンス・ルークの部屋だったと、協会自身のブログ記事(同協会の図書資料部長による署名記事)は記す[SRC-00825]。ルークは1652年にグレシャム・カレッジ天文学教授となったが、1657年に幾何学教授へ転じ、天文学の椅子をより若いレンに譲っていた——幾何学教授職の方が住まいの条件がよかったためだという[SRC-00825]。

会合に参加した「発起人フェロー(Founder Fellows)」[SRC-00825]は12名だったとされる[SRC-00825][SRC-00827]。協会のブログ記事(同協会図書資料部長の署名記事)は、このうち10名(ウィル・ボール、ロバート・ボイル、ウィリアム・ブラウンカー、ブルース、J・ゴダード、A・ヒル、ロバート・モーレー、ポール・ネイル、ジョン・ウィルキンズ、クリストファー・レン)の署名が協会所蔵のチャータードブック5頁に見られると記す(同記事の原文はゴダード・ヒルを含む数名を頭文字と姓のみで記載しており、ファーストネームを記す出典には到達できなかった)[SRC-00825]。同記事によれば、11人目のウィリアム・ペティの署名は、比較的空いている6頁の1列目にあるという[SRC-00825]。

同記事によれば、12人目の発起人フェロー、ローレンス・ルークは、ついにチャータードブックに自らの名を記すことができなかったという。もともと病弱だったルークは、パトロンの自宅があるハイゲートから、グレシャム・カレッジの自室までの散歩の途中で風邪を引き、それをこじらせた熱病により、チャータードブックに署名する前の1662年6月27日、40歳で世を去ったと同記事は伝える。もっとも同記事はここで終わらない——協会の議事録第1巻の冒頭には1660年12月5日付で115名の署名シートが挿入されており、その最初期の名の一つとしてルークの署名が、オックスフォード時代の恩師ジョン・ウィルキンズや、レンの従兄弟マシューの近くに残っているという。憲章書には名を刻めなかったルークだが、協会のもう一つの記録にはたしかに署名している[SRC-00825]。ロバート・モーレーは、この協会の創設をいち早く国王チャールズ2世に伝え、その承認と激励を取り付けたとされる[SRC-00827]。

歴史的背景

王立協会の前史(1660年11月28日以前の集まり)を指す呼称は、到達した出典によって異なる。royalsociety.org自身の現行の公式解説は、前史を「非公式な集まり(informal gatherings)」とだけ表現し、「invisible college(見えざる大学)」の語は用いていない[SRC-00824]。これに対しNational Museum of Australiaは、王立協会の起源を、1640年代半ばからフランシス・ベーコンの思想を議論するために集まり始めた自然哲学者たちの「見えざる大学(invisible college)」に位置づける[SRC-00827]。さらにオックスフォード大学ウォダム・カレッジ自身は、同カレッジ第6代学寮長ジョン・ウィルキンズの非公式な「哲学クラブ(Philosophical Club)」が王立協会になったと説明し、ウィルキンズが学寮長を務めた12年間、ウォダム・カレッジが「1660年以降に王立協会となる実験者たちの核(the nucleus of experimenters who after 1660 became the Royal Society)」の定例会場だったとする[SRC-00828]。同カレッジによれば、レンも1653年にオックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジのフェローとなるためウォダムを離れたが、その後もウィルキンズの友人としてウォダムの会合に出席し続けたという[SRC-00828]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1640年代半ば(ユリウス暦・とされる。National Museum of Australiaによる年代) ロンドン・オックスフォード双方で、自然哲学者たちの非公式な集まりが始まったとされる[SRC-00824]。National Museum of Australiaはこれを1640年代半ばに位置づける(呼称は出典間で相違。詳細は歴史的背景・異説欄) [SRC-00824][SRC-00827]
1652年(ユリウス暦) ローレンス・ルークがグレシャム・カレッジ天文学教授に就任 [SRC-00825]
1653年(ユリウス暦) クリストファー・レンがオックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジのフェローとなり、ウォダム・カレッジを離れる(その後もウォダムの会合に出席) [SRC-00828]
1657年(ユリウス暦) ルークがグレシャム・カレッジ幾何学教授へ転じ、天文学教授職をレンへ譲る [SRC-00825]
1660年11月28日(ユリウス暦) グレシャム・カレッジでのレンの講義の後、12名が会合し、実験哲学振興のための学院の設立を決める[SRC-00824][SRC-00827]。会合の場所はルークの部屋だったという[SRC-00825] [SRC-00824][SRC-00825][SRC-00827]
1660年12月5日(ユリウス暦) 協会の議事録第1巻に、会員の義務規定を伴う署名ページが挿入される——115名の氏名を記載し、ルークもこの中に署名している [SRC-00825]
1661年(ユリウス暦) 「The Royal Society」の名称が初めて印刷物に現れる [SRC-00827]
1662年6月27日(ユリウス暦・単一系統の記述による) 発起人フェローの一人ローレンス・ルークが、熱病により40歳で死去したとされる(チャータードブックへの署名前) [SRC-00825]
1662年(ユリウス暦) 勅許状(Royal Charter)により、ロンドン王立協会が法人として正式に設立される。モットー「Nullius in verba」もこの勅許状で採用される [SRC-00824][SRC-00827]
1663年(ユリウス暦) 第二勅許状で「The Royal Society of London for Improving Natural Knowledge」という名称が用いられる [SRC-00827]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

「創設」の起点をどこに置くか: ロンドン王立協会自身、統治機構の解説ページで「協会は1660年に創設され(founded)、勅許状によって法人化された(incorporated)」と、創設と法人化を明示的に区別して述べる[SRC-00826]——その勅許状が交付されたのは1662年である[SRC-00824][SRC-00827]。同協会の別ページも、1660年11月28日の最初の会合を起点として描く一方、モットーの採用や書記・実験監督の任命は1662年の出来事として語る[SRC-00824]。National Museum of Australiaは、1660年11月28日を協会の「公式な創設日(official foundation date)」と明記する[SRC-00827]。本サイトは、日付アンカー型のページである以上、記録された最初の会合日である1660年11月28日を掲載日とし、法人としての正式な設立(1662年勅許状)は別の出来事として本文・タイムラインに記す。

前身組織の呼称の相違: 到達した3機関の記述はいずれも「1660年11月28日以前に、自然哲学者たちの何らかの集まりが存在した」という点では一致するが、その呼び方は揃わない。royalsociety.org自身は「非公式な集まり(informal gatherings)」とのみ表現し「invisible college」の語を用いない[SRC-00824]。National Museum of Australiaは「見えざる大学(invisible college)」と呼び、1640年代半ばに起源を置く[SRC-00827]。ウォダム・カレッジは、ウィルキンズが学寮長を務めた同カレッジで開かれていた非公式な「哲学クラブ(Philosophical Club)」を前身として説明する[SRC-00828]。なお、royalsociety.org自身のこのページも、2024年2月時点のアーカイブ版では「わたしたちの起源は、自然哲学者と医師たちの1660年の『見えざる大学(invisible college)』にある」と記しており、当時はNational Museum of Australiaと同じ語(invisible college)を用いていた——ただし起源の年代はその版でも1660年としており、NMAの「1640年代半ば」とは年代でも食い違う。現行版が「非公式な集まり」へ表現を改め「invisible college」の語を退けたのは、少なくとも2024年2月以降のことである[SRC-00829]。到達した出典の範囲では、これらの呼称・起源づけが、同一の実体を異なる角度から語ったものなのか、それとも複数の系統(ロンドン側の集まりとオックスフォード側の集まり)が別々に存在したのかを一意に確定する記述は見つからなかった。本サイトはこの点を確定した事実としては扱わず、出典ごとの語り方の違いとして併記する。

「12名」の内訳を巡る細部: 「12名の発起人フェロー」という数自体は、royalsociety.org自身の記述と一致する形でNational Museum of Australiaも記すが[SRC-00825][SRC-00827]、NMAのページ末尾のReferencesが挙げる典拠(Sprat『The History of the Royal Society of London』1667年、Guillim『A Display of Heraldry』1724年ほか)はいずれも王立協会系統の刊行物であり[SRC-00827]、NMAの記述を王立協会の記述から独立した系統として扱うことはできない。到達した範囲で、内訳(誰が実際にチャータードブックへ署名したか)を具体的に記す出典は、royalsociety.orgのブログ記事1件のみである[SRC-00825]。この記事によれば、10名は発起会合直後にチャータードブック5頁へ署名したが、11人目(ウィリアム・ペティ)の署名は6頁と離れており、12人目(ローレンス・ルーク)はチャータードブックに署名する前に死去したため、憲章書への署名自体が存在しない[SRC-00825]。本サイトはこの内訳を単一系統の記述として掲載する(詳細は前述「本文」参照)。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
「創設」の起点 1660年11月28日の発起会合を「創設」とし、1662年の勅許状は別の「法人化」の出来事とする royalsociety.org(協会自身) 協会公式の区別[SRC-00826]。勅許状の交付年(1662年)は同協会の別ページ・NMAが記す[SRC-00824][SRC-00827]。本サイトはこの区別に従い1660年11月28日を掲載日とする
(同上) 1660年11月28日を「公式な創設日」と明記する National Museum of Australia royalsociety.orgとは別機関による記述で、同じ日付を「創設日」と呼ぶ[SRC-00827]
前身組織の呼称 「非公式な集まり(informal gatherings)」 royalsociety.org 協会自身の現行の公式解説。「invisible college」の語は使わないが、同じページの2024年2月時点の旧版はこの語を用いていた[SRC-00824][SRC-00829]
(同上) 「見えざる大学(invisible college)」、1640年代半ばに起源 National Museum of Australia royalsociety.orgとは異なる呼称・起源年代(ただしReferencesは王立協会系統の刊行物に依拠し、独立した系統ではない)[SRC-00827]
(同上) ウィルキンズの「哲学クラブ(Philosophical Club)」(オックスフォード) ウォダム・カレッジ ロンドン側の集まりとは別に、オックスフォードの集まりを前身として位置づける[SRC-00828]

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

1660年11月28日の発起会合は、ロンドン王立協会の起点として扱われている[SRC-00824]。協会は現在も、この会合をめぐる初期の記録——1660年12月5日付で議事録第1巻に挿入された署名シートや、それより後に作られたチャータードブック(憲章書)——を所蔵しており、これらは今日まで協会自身の沿革解説の参照点になっている[SRC-00825](本サイトの整理)。1662年の勅許状による法人化ののち、1663年には第二勅許状が発行され[SRC-00827]、さらに2012年にはエリザベス2世女王が承認した補足勅許状が、現在の協会の統治文書として機能している[SRC-00826]。

現代の視点

協会の所蔵資料であるチャータードブックは、今日も新規フェローの入会儀式で実際に署名される現役の記録簿であり、2026年にも国王チャールズ3世が国王付属者(Royal Patron)として署名し、同年の新規フェローも署名を加えたと、協会自身のブログは伝える[SRC-00825]。協会自身の記録によれば、12名の発起人のうち11名分の署名は今もこの帳簿の中に残るという——1660年の発起会合から366年後の今もである。一方、12人目のローレンス・ルークの名は憲章書には一度も刻まれなかったが、協会の議事録第1巻の署名シートには、彼の署名が今も残っているという[SRC-00825]——この非対称性は、「創設者」という言葉が指し示す実体も、それを記録する台帳も、単純な一枚岩ではないことを示している(本サイトの整理)。

出典一覧

  1. [SRC-00824] History of the Royal Society/The Royal Society(ランクA)
  2. [SRC-00825] Twelfth man/The Royal Society(著者: Rupert Baker, Library Manager)(ランクA)
  3. [SRC-00826] Governance/The Royal Society(ランクA)
  4. [SRC-00827] The Royal Society of London(企画展『Exploration and Endeavour』解説ページ)/National Museum of Australia(オーストラリア国立博物館)(ランクA)
  5. [SRC-00828] Founding the Royal Society/Wadham College, University of Oxford(ランクA)
  6. [SRC-00614] The Gunpowder Plot — House of Commons Information Office Factsheet G8/House of Commons Information Office(英国庶民院広報室)/ UK Parliament(ランクA)
  7. [SRC-00829] History of the Royal Society(2024年2月時点のアーカイブ版)/The Royal Society(ランクA)

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訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-09-05
22026-09-05あり
32026-09-05あり

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