東海村の動力試験炉JPDRが電気出力2000キロワットで発電に成功、原子力委員会は「わが国最初の原子力発電」と記す
日付と暦
- 原典表記
- 1963年10月26日(グレゴリオ暦)
- 換算
- 1963-10-26(グレゴリオ暦)
- 掲載日
- 10月26日のページ
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概要
茨城県東海村の日本原子力研究所東海研究所には、動力試験炉JPDR(英語名Japan Power Demonstration Reactorに由来する[SRC-00590])が建設されていた[SRC-00588][SRC-00589][SRC-00590]。JPDRは1963年(昭和38年)10月26日、発電試験に成功した。原子力委員会の記録によれば、到達した電気出力は2,000キロワット、時刻は午後5時であったとされる[SRC-00587][SRC-00588]。原子力委員会は自らの記録の中で、この到達を「わが国最初の原子力発電」(白書)「わが国における初めての原子力発電」(月報)と位置づけている[SRC-00587][SRC-00588]。この「発電」の成功は、研究炉JRR-1が1957年8月に達成していた「臨界」とは、原子力委員会の記述の上で異なる技術的到達点として扱われている[SRC-00591][SRC-00587][SRC-00588]。1964年、毎年10月26日を「原子力の日」とすることが閣議で了解された理由の一つとして、原子力委員会(月報)はこの発電成功を挙げている[SRC-00589]。
本文
JPDRは、日本原子力研究所(原研)が、原子力委員会の記録が白書で「ジェネラルエレクトリックジャパン社(GEJ)」、月報で「GEJ社」と記す企業(以下GEJ社)との契約に基づき、東海研究所内に建設した、電気出力12,500キロワットの発電用試験炉である[SRC-00587][SRC-00588]。炉型は自然循環沸騰水型(BWR型)である[SRC-00588][SRC-00590]。契約は昭和35年(1960年)9月1日に発効した[SRC-00588]。原子力委員会の記録によれば、1963年8月22日に燃料装荷が開始され、同日炉は臨界に達したとされる[SRC-00587][SRC-00588]。その後、零出力での特性試験を経て出力上昇試験の段階に入り、10月20日から11月23日にかけて定格出力の約半分までの出力上昇試験が行われた[SRC-00588]。この段階の途中、原子炉で発生した蒸気でタービンが起動され、JPDRは1963年10月26日、発電試験に成功した。原子力委員会の記録によれば、到達した電気出力は2,000キロワット、時刻は午後5時であったとされる[SRC-00587][SRC-00588]。
原子力委員会は『昭和38年版原子力白書』で、この到達を「わが国最初の原子力発電」と記し、「わが国における原子力の平和利用開発史上,画期的な意義を有するものである」と位置づけている[SRC-00587]。同委員会の月刊広報誌『原子力委員会月報』第9巻第1号(原子力局執筆)も、同じ出来事を「わが国における初めての原子力発電」と記している[SRC-00588]。原子力委員会の記録によれば、10月26日の到達点である2,000キロワットは、JPDRの定格電気出力12,500キロワットの一部であり、定格出力での運転はこの時点ではまだ達成されていないとされる[SRC-00587][SRC-00588]。
原子力委員会の記録によれば、発電成功から3日後の10月29日、日本原子力研究所内の労働争議(労働不安)を理由にGEJ社から運転中止の申入れがあり、JPDRの出力上昇試験は約3週間にわたり中断されたとされる[SRC-00587][SRC-00588]。同記録は、労使間の協定(11月16日仮調印・11月28日正式成立)を経て11月20日に運転が再開され、出力上昇試験は順調に進捗したと記す[SRC-00588]。同記録はまた、定格出力での100時間連続運転という最終試験が12月5日に開始され、12月9日午後5時30分に終了し、同日JPDRはGEJ社から日本原子力研究所へ正式に引き渡されたと記している[SRC-00587][SRC-00588]。
歴史的背景
JPDRに先立ち、研究炉JRR-1(ウォーターボイラー型、熱出力50キロワット)が1957年(昭和32年)8月に臨界に達していた[SRC-00591]。原子力委員会の白書はJRR-1について、原子炉振動子実験・放射化分析・照射試験等の基礎的研究に使用されたと記しており、電気出力・発電・タービンへの言及は含まれていない[SRC-00591]。これに対しJPDRについて、原子力委員会は昭和32年末、軽水型動力炉の将来性を考慮し、日本原子力研究所に濃縮ウラン軽水型の動力試験炉を設置することを決定したと記している[SRC-00588]。目的は、動力炉の建設・運転・保守についての実際の経験を得ること、燃料等の国産部品の試験を通じて軽水型動力炉の国産化に貢献させること、船用炉への応用研究を行うことなどにあった[SRC-00587][SRC-00588]。
JPDRの契約は日本原子力研究所とGEJ社の間に結ばれたが、GEJ社の契約義務の履行についてはインタナショナルゼネラルエレクトリック社(IGE社)が保証人となり、米国内では原子炉関係機器の設計・製作をGE社が、土木建築関係と原子炉を除く全般の設計・工事をEBASCO社が担当した[SRC-00588]。国内では、GEJ社の下請業者として株式会社日立製作所と日本原子力事業株式会社が参画し、原子炉圧力容器をはじめとする機器の製作や原子炉格納容器の建設等を行った[SRC-00588]。契約は、全体が完成した状態で原研に引き渡される、いわゆるターン・キー方式であった[SRC-00588]。
タイムライン
| 日付(暦種別を明記) | 出来事 | 出典 |
|---|---|---|
| 1956年(昭和31年)10月26日(グレゴリオ暦) | 日本、国際原子力機関(IAEA)憲章に署名(国連の関係機関である同機関への加盟のため。後の「原子力の日」の由来の一つ) | [SRC-00589] |
| 1957年(昭和32年)8月 | 研究炉JRR-1(熱出力50キロワット)が臨界に達する(JPDRとは別の炉。発電への言及なし) | [SRC-00591] |
| 1957年(昭和32年)末 | 原子力委員会、日本原子力研究所に濃縮ウラン軽水型の動力試験炉(JPDR)を設置することを決定 | [SRC-00588] |
| 1960年(昭和35年)9月1日 | 日本原子力研究所とGEJ社の間でJPDR建設契約が発効 | [SRC-00588] |
| 1963年(昭和38年)8月22日 | JPDR、燃料装荷開始・同日臨界に達したとされる(原子力委員会の記録) | [SRC-00587][SRC-00588] |
| 1963年(昭和38年)10月26日 | JPDRの発電試験が成功。原子力委員会の記録によれば到達した電気出力は2,000キロワット、時刻は午後5時とされる。同委員会は「わが国最初の原子力発電」(白書)「わが国における初めての原子力発電」(月報)と記す | [SRC-00587][SRC-00588] |
| 1963年(昭和38年)10月29日 | 日本原子力研究所内の労働争議を理由にGEJ社が運転中止を申入れ、運転が中断されたとされる(約3週間、原子力委員会の記録) | [SRC-00587][SRC-00588] |
| 1963年(昭和38年)11月20日 | JPDR運転再開(原子力委員会の記録) | [SRC-00587][SRC-00588] |
| 1963年(昭和38年)12月5日〜9日 | 定格出力での100時間連続運転(最終試験)。12月9日午後5時30分に終了し、JPDRはGEJ社から日本原子力研究所へ正式に引き渡されたとされる(原子力委員会の記録) | [SRC-00587][SRC-00588] |
| 1964年(昭和39年)7月30日〜31日 | 事務次官会議を経て閣議了解、毎年10月26日を「原子力の日」とすることが定まる | [SRC-00589] |
| 1976年(昭和51年)3月 | 熱出力を倍増する改造計画(JPDR-II)が、不具合により全出力未達のまま運転を終了 | [SRC-00590] |
| 1986年〜1996年3月31日 | JPDRの解体作業(将来の商業炉の解体技術開発のための実地試験を兼ねる) | [SRC-00590] |
暦の注記: 上表の日付はいずれもグレゴリオ暦。日本は明治6年(1873年)以降グレゴリオ暦を用いており、本件(1956年〜1996年)はすべてこの範囲内にあるため、暦の換算は生じない。
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)
| 論点 | 説 | 根拠・出典 | 学界での位置づけ |
|---|---|---|---|
| 「日本初の原子力発電」が指す到達点 — 原子力委員会の記述における「臨界」と「発電」の書き分け | 研究炉JRR-1は1957年8月に「臨界」に達した。原子力委員会の記述はこれを熱出力(電気出力ではない)の研究炉として扱い、発電・タービンへの言及を含まない | [SRC-00591] | 対立する2説ではなく、原子力委員会の記述上の区別。「臨界」と「発電」は異なる技術的段階であり、本記事はこの区別を踏まえ、JPDRの到達を「日本初の原子力発電」に限定して扱う(本サイトの整理) |
| 同上 | JPDRは1963年10月26日、電気出力2,000キロワットで「発電」に成功した。原子力委員会は本件を「わが国最初の原子力発電」(白書)「わが国における初めての原子力発電」(月報)と明記する | [SRC-00587][SRC-00588] | 原子力委員会自身による位置づけ。本記事はこの帰属(原子力委員会がそう記している、という事実)として紹介する |
| JPDR建設契約の相手方・時期 | 原子力委員会の記録は、契約当事者を白書では「ジェネラルエレクトリックジャパン社(GEJ)」、月報では「GEJ社」と記す。契約発効日は月報のみが「昭和35年9月1日」(1960年9月1日)と記し、白書は「35年9月」に契約が結ばれたとのみ記す | [SRC-00587][SRC-00588] | 契約から3〜4年後(白書)・3年余り後(月報、号数からの推定)にまとめられた同時代寄りの政府記録。契約の当事者関係(原研の直接の契約相手はGEJ社で、米GE社は機器設計製作の担当、IGE社は保証人)まで具体的に記す |
| 同上 | JAEA編纂のATOMICAは、契約相手を「米国ゼネラルエレクトリック(GE)社」、契約時期を「1960年8月」と記す | [SRC-00590] | 事象から約50年後(2013年)にJAEAが編纂した用語解説。年(1960年)は一致するが、契約相手の呼称(GE社かGEJ社か)と月(8月か9月か)が原子力委員会の記録と異なる。本記事は、より詳細な当事者関係を示す原子力委員会の記録(白書・月報)の記述を主に用いる(本サイトの整理) |
証拠の系統についての補足(本サイトの整理): 本記事が10月26日の日付・時刻・出力(2,000キロワット)の根拠とする主な出典(SRC-00587・SRC-00588)は、いずれも原子力委員会(原子力局を含む)自身が発行した記録であり、独立した外部機関による裏付けではない。ただし両者は、発行時期(白書は事象から半年〜1年後の年次編纂、月報は号数から推定して2〜3か月後の月刊速報)と想定読者が異なる別個の文書である。JPDRの立地(東海村・日本原子力研究所東海研究所内)については、これとは独立に編纂されたJAEA(研究機関)のATOMICA(SRC-00590)も一致して記しており、この点は複数系統での裏付けがある。
関連する出来事
JPDRに先立ち、研究炉JRR-1が導入されていた[SRC-00591]。JRR-1は1957年8月に臨界に達しているが、原子力委員会の記録はこれを実験・研究用途の炉として記し、JPDRのような電気出力への言及を含まない[SRC-00591]。JPDRは1976年3月、熱出力を倍増する改造(JPDR-II)が不具合により全出力を達成できないまま運転を終了し、1986年から1996年3月31日にかけて解体された[SRC-00590]。この解体作業は、将来の商業用発電炉の解体技術開発に向けた実地試験を兼ねており、JPDR・JPDR-IIの運転経験で得られた知見は、その後の商業原子力発電所の建設・運転、および多発した応力腐食割れの原因究明と防止対策に貢献したとJAEAは記している[SRC-00590]。
関連人物
- 日本原子力研究所(原研): JPDRの建設・運転主体[SRC-00587][SRC-00588]。
- 原子力委員会: 原子力白書・原子力委員会月報の発行主体であり、JPDRの発電成功を「わが国最初の原子力発電」と記録した当事者でもある。毎年10月26日を「原子力の日」とすることは、1964年(昭和39年)7月31日の閣議了解により定められた[SRC-00589]。
- GEJ社: 原子力委員会の記録は、契約当事者を白書で「ジェネラルエレクトリックジャパン社(GEJ)」、月報で「GEJ社」と表記する[SRC-00587][SRC-00588]。日本原子力研究所との間でJPDR建設契約を結び、建設・試運転を主導した[SRC-00588]。1963年10月29日には、原研内の労働争議を理由に運転中止を申し入れたとされる[SRC-00587][SRC-00588]。
歴史的意義
原子力委員会は、JPDRの発電成功を「わが国における原子力の平和利用開発史上,画期的な意義を有するもの」と位置づけている[SRC-00587]。JAEAは、JPDRおよびその改造計画JPDR-IIの運転経験で得られた知見が、その後の商業原子力発電所の建設・運転、および多発した応力腐食割れの原因究明と防止対策に多大な貢献をしたと記している[SRC-00590]。また、1986年から1996年にかけて行われたJPDRの解体作業は、将来の商業用発電炉の解体技術開発に向けた実地試験を兼ねていた[SRC-00590]。
この発電成功はまた、1964年に毎年10月26日を「原子力の日」とすることが閣議で了解された理由の一つとなった。原子力委員会(月報)は、10月26日を選んだ理由として、1956年(昭和31年)に日本がIAEA憲章に署名した日であることと、1963年(昭和38年)にJPDRにより日本が初めて原子力による発電に成功した日であることの2点を挙げている[SRC-00589]。それ以前は「科学技術週間」(4月)内に「原子力デー」が置かれていたが、期間内で日程が毎年一定しないなどの理由で、関係機関・民間団体の活動が行いにくかったとされる[SRC-00589]。
現代の視点
原子力委員会月報は、1964年の「原子力の日」制定にあたり、初年度の行事として、講演会・テレビ座談会・原子力セミナー(広島市・東海村での教職員向け講習)・関連施設の公開・研究発表会などが、科学技術庁や日本原子力産業会議、日本原子力研究所等の関係団体の参画により実施される計画であったと記している[SRC-00589]。その後の「原子力の日」の運用が現在まで続いているかどうかについて、本記事が確保した出典(いずれも1964年時点の記録)は直接述べていない(本サイトの整理。調査範囲: 上記出典)。JPDR-IIは1976年に運転を終え、JPDRは1996年に解体を完了しているが[SRC-00590]、その運転・解体の経験は、後の商業炉の技術的知見や廃炉技術の基盤となったとJAEAは位置づけている[SRC-00590]。
出典一覧
- [SRC-00587] 動力試験炉|昭和38年版|原子力白書|決定文・報告書等|原子力委員会/原子力委員会(ランクS)
- [SRC-00588] 動力試験炉完成引渡し(10月26日発電12月9日引渡し)|原子力委員会月報 第9巻第1号|原子力局/原子力委員会(原子力局)(ランクS)
- [SRC-00589] 「原子力の日」設定|原子力委員会月報 第9巻第8号|原子力局/原子力委員会(原子力局)(ランクS)
- [SRC-00590] JPDR|ATOMICA(高度科学技術用語解説集)/国立研究開発法人日本原子力研究開発機構(JAEA)(ランクA)
- [SRC-00591] JRR-1|昭和33〜34年版|原子力白書|決定文・報告書等|原子力委員会/原子力委員会(ランクS)
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訂正履歴
| 版 | 日付 | 事実主張への変更 |
|---|---|---|
| 1 | 2026-09-04 | — |
| 2 | 2026-09-04 | 不明 |
| 3 | 2026-09-04 | 不明 |
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