来栖三郎がベルリンで署名した条約は、名指ししない「一国」から攻撃されたときの相互援助を誓っていた

日付と暦

原典表記
昭和15年9月27日(グレゴリオ暦)
換算
1940-09-27(グレゴリオ暦)
掲載日
9月27日のページ

この記事の主張は出典に紐づけて検証しています。検証記録を見る

概要

1940年(昭和15年)9月27日、ドイツの首都ベルリンで、日本・ドイツ・イタリア三国間の軍事同盟条約――いわゆる日独伊三国同盟条約が調印された[SRC-00271][SRC-00272][SRC-00273][SRC-00278]。署名したのは日本の来栖三郎駐独大使である[SRC-00274][SRC-00278][SRC-00280]。条約は「新秩序建設」の指導的地位を、欧州は独逸・伊太利のもの、大東亜は日本のものと、三国が相互に認め合うことを定めた(第一条・第二条)[SRC-00271][SRC-00272][SRC-00273][SRC-00278]。さらに、三締約国のいずれかが、現に欧州戦争または日中戦争に参入していない一国から攻撃された場合、三国は相互に援助することを約したが(第三条)、条文はその攻撃してくる「一国」の名を一度も記していない[SRC-00272][SRC-00273][SRC-00278]。

本文

三国同盟に至る交渉は1937年の日独伊三国防共協定を軍事同盟へ強化する動きとして始まったが、1939年8月の独ソ不可侵条約締結で一時中断した[SRC-00272]。その後交渉再開の機運が高まり、1940年9月6日、ドイツの特使シュターマーの来日を機会に交渉が正式に再開され、9月24日、外相・松岡洋右との間で全面的な合意に達したという[SRC-00272]。そして9月27日、ベルリンで条約が調印された[SRC-00271][SRC-00272][SRC-00273][SRC-00278]。日本の来栖三郎、ドイツ外相リッベントロップ(1938年から在任[SRC-00275])が署名し[SRC-00278][SRC-00280]、イタリア外相チアノ(1936年から在任[SRC-00276])も署名したとされる[SRC-00278]。条約は前文と本文6条からなり、第五条は、これらの取り決めが三国それぞれとソヴィエト連邦との間に現存する政治的状態に何の影響も及ぼさないことを確認している[SRC-00273]。松岡はこの三国同盟にとどまらず、ソ連を加えた日・独・伊・ソ四国協商の実現を思い描いていたとされる[SRC-00272]。

歴史的背景

三国同盟に至る道のりは平坦ではなかった。1936年の日独防共協定、1937年の日独伊三国防共協定に続き、ベルリン駐在武官の大島浩と、のちにドイツ外相となるリッベントロップとの間で軍事同盟化の交渉が続けられたが、日本海軍首脳部を中心に独伊との結合強化への抵抗が国内に強く、日本政府の態度はあいまいだったという[SRC-00272]。リッベントロップは、日本を除いた独伊軍事同盟(1939年5月)と独ソ不可侵条約(同年8月)を先に結び、交渉はいったん挫折した[SRC-00272]。1940年、ドイツの電撃戦によるヨーロッパ制覇が進むと交渉は再燃し、9月27日の調印に至ったとされる[SRC-00272]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
1936年11月25日(グレゴリオ暦) 日独防共協定が成立 [SRC-00272]
1937年11月6日(グレゴリオ暦) 日独伊三国防共協定が成立 [SRC-00272]
1939年8月23日(グレゴリオ暦) 独ソ不可侵条約が成立し、軍事同盟交渉が一時中断 [SRC-00272]
1940年9月6日(グレゴリオ暦) ドイツの特使シュターマーの来日を機会に交渉が正式に再開されたという [SRC-00272]
1940年9月24日(グレゴリオ暦) シュターマーと松岡洋右外相が全面合意に達したという [SRC-00272]
1940年9月27日(グレゴリオ暦・昭和15年9月27日) ベルリンで日独伊三国同盟条約が調印された [SRC-00271][SRC-00272][SRC-00273][SRC-00278]
1943年9月(グレゴリオ暦) イタリアが無条件降伏した [SRC-00272]
1945年5月(グレゴリオ暦) ドイツが降伏し、同盟は完全に崩壊したという [SRC-00272]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

条約の調印日(1940年9月27日)・調印地(ベルリン)・条約の骨子(指導的地位の相互承認、第三国攻撃への相互援助)については、本セッションで確認した出典(国立公文書館の解説ページ[SRC-00271]、コトバンク収載の10事典[SRC-00272]、条約正文の転記[SRC-00273]、官報原本[SRC-00278]、JACAR3件[SRC-00279][SRC-00280][SRC-00281]、関係者に関する出典4件〔収載事典21件〕[SRC-00274][SRC-00275][SRC-00276][SRC-00277])の範囲内で、対立する説は見当たらなかった。

一方、条約成立後の加盟拡大国のリストについては、事典間でわずかな差異がある。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
条約成立後に加盟した国 満州国・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア 精選版日本国語大辞典 [SRC-00272]
同上 ハンガリー・ルーマニア・スロバキア・クロアチア ブリタニカ国際大百科事典 [SRC-00272]

両者は「条約成立後に複数の国が加盟した」という骨子では一致しており、対立する説というより事典ごとの記載範囲の違いとみられる。本記事では加盟国の詳細な検討には立ち入らない(過剰な記述の回避)。

また、1943年9月のイタリア降伏時点における同盟の状態についても、同一の情報源内で記述が割れている。

論点 根拠・出典 学界での位置づけ
1943年9月時点の同盟の状態 日独両国が共同声明を発して三国同盟を再確認した ブリタニカ国際大百科事典 [SRC-00272]
同上 イタリアが単独降伏して同盟を離脱した 精選版日本国語大辞典 [SRC-00272]

いずれも、最終的に1945年5月のドイツ降伏によって同盟が完全に崩壊した点では一致する。本記事のタイムラインでは、1943年9月時点の同盟の状態については断定せず、イタリアの降伏という事実にとどめた。

来栖三郎・リッベントロップ・チアノの3名が条約に署名したことは、官報に公布された条約文の末尾に3名の氏名が記されていることで確認できる[SRC-00278]。ただし官報は公布のために印刷された条約文であり、記載された氏名も印刷された活字であって、自筆署名の画像そのものではない。また、調印式典の具体的な建物名を明記する記述には、本セッションで確認した出典の範囲では到達できなかった。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

三国同盟の成立は米・英を強く刺激し、太平洋戦争突入の要因の一つとなったとされる[SRC-00272]。条約成立後、日本はくず鉄・鉄鋼の対日輸出禁止といったアメリカの対抗措置に直面したという[SRC-00272]。リッベントロップが唱え、松岡ら日本側が賛同した日・独・伊・ソ四国協定構想は、翌1941年6月の独ソ開戦によって幻想に終わり、三国同盟はかえって日米関係を悪化させる結果をもたらしたとされる[SRC-00272]。1943年9月のイタリアの無条件降伏、1945年5月のドイツの完全敗北により、同盟は完全に崩壊したという[SRC-00272]。

現代の視点

条約第三条は、攻撃してくる国を「一国」と呼ぶのみで、その名を一度も挙げていない[SRC-00273][SRC-00278]。旺文社日本史事典は、この条項が想定する「第三国」について「具体的にはアメリカ」と注記している[SRC-00272]。名指しを避けながら特定の相手を念頭に置くという外交文書の書き方そのものが、当時の国際関係の緊張を映し出しているようにも見える(本稿の見立てであり、出典が直接この評価を述べるものではない)。また条約正文は、日付を「昭和十五年九月二十七日即チ一九四〇年、『ファシスト』暦十八年九月二十七日」と、日本の元号・西暦・イタリアのファシスト暦の3通りで記している[SRC-00273]。官報が公布した条約文では、この西暦の部分が「千九百四十年」という位取り漢数字で印刷されている点が異なる[SRC-00278]。なお官報が印刷した署名者名のうちチアノの表記は「チアーノ」(長音符入り)であり、現在一般的な「チアノ」という転写とは異なる[SRC-00278]。ベルリンと東京の間には当時も数時間の時差があったはずだが、調印の現地時刻を明記する出典には本セッションで到達できなかった。国立公文書館の解説[SRC-00271]・条約正文[SRC-00273][SRC-00278]とも、日付は「9月27日」で一致している(本稿の整理であり、出典が調印の正確な現地時刻を述べるものではない)。なお外務省外交史料館には、条約の案文作成過程・国内手続の経緯をまとめた別の内部記録もあり、その目録の作成者名称にはチアノの名も現れる。ただしこれは条約交渉の過程に関する記録の当事者としての言及であり、条約への署名そのものを直接裏づけるものではない[SRC-00281]。

出典一覧

  1. [SRC-00271] 昭和15年(1940)9月|日独伊三国同盟が成立する:日本のあゆみ/国立公文書館(ランクA)
  2. [SRC-00272] 日独伊三国同盟(ニチドクイサンゴクドウメイ)とは? 意味や使い方 - コトバンク/コトバンク(朝日新聞社・VOYAGE GROUP運営)(ランクB)(複数の資料を収載)
  3. [SRC-00273] 日独伊三国同盟/日本国、独逸国及伊太利国間三国条約(にちどくいさんごくどうめいにほんこくどいつこくおよびいたりこくかんさんごくじょうやく)とは? 意味や使い方 - コトバンク/コトバンク(朝日新聞社・VOYAGE GROUP運営)(ランクB)
  4. [SRC-00274] 来栖三郎(クルスサブロウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク/コトバンク(朝日新聞社・VOYAGE GROUP運営)(ランクB)(複数の資料を収載)
  5. [SRC-00275] リッベントロップ(りっべんとろっぷ)とは? 意味や使い方 - コトバンク/コトバンク(朝日新聞社・VOYAGE GROUP運営)(ランクB)(複数の資料を収載)
  6. [SRC-00276] チアノとは? 意味や使い方 - コトバンク/コトバンク(朝日新聞社・VOYAGE GROUP運営)(ランクB)(複数の資料を収載)
  7. [SRC-00277] 松岡洋右(マツオカヨウスケ)とは? 意味や使い方 - コトバンク/コトバンク(朝日新聞社・VOYAGE GROUP運営)(ランクB)(複数の資料を収載)
  8. [SRC-00278] 官報. 1940年10月21日(第4137号)/国立国会図書館デジタルコレクション(ランクS)
  9. [SRC-00279] 御署名原本・昭和十五年・条約第九号・日本国、独逸国及伊太利国間三国条約(JACAR Ref. A03022538200)/国立公文書館アジア歴史資料センター(JACAR)(ランクS)
  10. [SRC-00280] 調印書(日本国独逸国伊太利国間三国条約〔日独伊三国同盟条約〕、JACAR Ref. B13090985400)/外務省外交史料館(国立公文書館アジア歴史資料センター経由)(ランクS)
  11. [SRC-00281] 日独伊同盟条約関係一件 第二巻 分割3(外務省外交史料館、JACAR Ref. B04013490400)/外務省外交史料館(国立公文書館アジア歴史資料センター経由)(ランクS)

本文中の [SRC-nnnnn] はこの一覧の番号を指します。各出典の所在・参照日・信頼度の判定は検証記録で確認できます。

訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-08-29
22026-08-29あり
32026-08-29あり

訂正の方針は訂正ポリシーに記載しています。各版が事実主張に関わる変更を伴ったかは上表のとおりで、再fact-checkの実施状況は検証記録でご確認いただけます。