アメリカ同時多発テロ事件 — 「前例のない命令」が、全米の空を止めた日

日付と暦

原典表記
2001年9月11日(グレゴリオ暦)
換算
2001-09-11(グレゴリオ暦)
掲載日
9月11日のページ

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概要

2001年9月11日午前9時42分(米国東部夏時間)、米連邦航空局(FAA)運用管理センター(全米運用管理者はベン・スライニー)は、ペンタゴンへの旅客機衝突を報道で知った[SRC-00181]。その直後(9時46分より前)、スライニーは全米のFAA施設に対しすべての航空機を最寄りの空港へ着陸させるよう命じたという[SRC-00181]。9/11委員会報告書はこの命令を「前例のない命令」と記す[SRC-00181]。この時点ですでに、2機の旅客機がニューヨークの世界貿易センター北棟・南棟に、1機がペンタゴンに突入していた[SRC-00181]。19人の実行犯が同日朝、米国内線の旅客機4機を同時にハイジャックしたことに端を発する一連の攻撃だった[SRC-00181][SRC-00186]。委員会報告書によれば、実行犯を除く死者は2,973人にのぼるとされ[SRC-00181]、日本国政府は邦人(日本国籍者)24人が犠牲になったとしている[SRC-00185][SRC-00186]。

本文

最初の衝突は午前8時46分40秒(近畿大学中央図書館の換算で日本時間午後9時46分)、アメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に激突した[SRC-00181][SRC-00187]。約17分後の9時03分11秒(同換算で日本時間午後10時03分)、ユナイテッド航空175便が南棟に突入した[SRC-00181][SRC-00187]。9時37分46秒には、アメリカン航空77便が時速約530マイルでペンタゴンの壁面に突入した[SRC-00181]。ニューアーク発サンフランシスコ行きのユナイテッド航空93便は離陸が遅れ、9時28分ごろ実行犯が操縦室を制圧した[SRC-00181][SRC-00184]。乗客・乗員の一部は機内電話や携帯電話でニューヨークの惨状を知り、9時57分から反撃を試みたという[SRC-00181]。同機は10時03分11秒、ワシントンD.C.まで飛行時間にして約20分のペンシルベニア州シャンクスビル近郊の野原に墜落した[SRC-00181][SRC-00184]。この墜落時刻は「議論の対象となってきた」と委員会報告書自身が記すが、レーダー・飛行記録装置・操縦室音声記録装置・衛星データなど複数の独立した手法の分析からこの時刻が導かれたという[SRC-00181]。世界貿易センターは南棟が9時58分59秒に、北棟が10時28分25秒に崩壊したとされる[SRC-00181]。9/11委員会報告書によれば、商業機・一般航空機あわせて約4,500機が程なく事故なく着陸したとされ[SRC-00181]、FAA自身の史料担当官は、地上停止(ground stop)の発令後、これらの航空機が数時間のうちに着陸したと記している[SRC-00183]。

歴史的背景

9/11委員会報告書は、この攻撃をアルカイダによるものとし、その一員ハリド・シェイク・モハメドを「9/11攻撃の主たる立案者」としている[SRC-00181]。背景として、1998年2月にウサマ・ビンラディンらは「世界イスラム戦線」の名で、みずから「ファトワ」と称する声明を発し、米国人への攻撃を呼びかけた[SRC-00181]。委員会報告書は、署名者がイスラム法学者ではなかったと付言している[SRC-00181]。19人の実行犯は、当時の民間航空保安のすべての防御層を突破したうえで搭乗していたという[SRC-00181]。同じ世界貿易センターは1993年2月26日にも地下駐車場でのトラック爆弾により6人が死亡する事件に見舞われており、委員会報告書はこれを「旧来のテロから新型テロへ」の転換点として位置づけている[SRC-00181]。

タイムライン

日付(暦種別を明記) 出来事 出典
2001年9月11日 8:46:40(米国東部夏時間。近畿大学中央図書館の換算で日本時間21:46) アメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に激突 [SRC-00181][SRC-00187]
2001年9月11日 9:03:11(同換算で日本時間22:03) ユナイテッド航空175便が世界貿易センター南棟に激突 [SRC-00181][SRC-00187]
2001年9月11日 9:28ごろ ユナイテッド航空93便で実行犯が操縦室を制圧 [SRC-00181][SRC-00184]
2001年9月11日 9:37:46(米国東部夏時間) アメリカン航空77便がペンタゴンに激突(日本政府資料が記す異なる時刻は異説・論争欄参照) [SRC-00181]
2001年9月11日 9:42 コマンドセンターが、ペンタゴンへの衝突を報道で知る [SRC-00181]
2001年9月11日 9:46より前 スライニーが全米のFAA施設に対し航空機の着陸を命じたとされる(「前例のない命令」) [SRC-00181]
2001年9月11日 9:57ごろ ユナイテッド航空93便の機内で乗客・乗員が反撃を試みる [SRC-00181]
2001年9月11日 9:58:59 世界貿易センター南棟が崩壊 [SRC-00181]
2001年9月11日 10:03:11 ユナイテッド航空93便がペンシルベニア州シャンクスビル近郊に墜落 [SRC-00181][SRC-00184]
2001年9月11日 10:28:25 世界貿易センター北棟が崩壊 [SRC-00181]
異説・論争 — 定説のない論点があります(開く)

本稿の調査範囲(米日政府機関資料6件〔[SRC-00181]〜[SRC-00186]〕、および日本時間の換算値についてのみ用いるレファレンス協同データベースの回答1件〔[SRC-00187]・ランクB〕)では、事件の基本的な経過(いつ・どこで・何が起きたか)そのものについて対立する説は確認されなかった。ただし、以下の点について、出典間で数値・時刻の違いが見られたため整理する。

論点 根拠・出典 学界・当局での位置づけ
ユナイテッド航空93便の正確な墜落時刻 10時03分11秒(レーダー・飛行記録装置・操縦室音声記録装置・衛星データ等の分析による委員会の確定値) 9/11委員会報告書 [SRC-00181] 委員会報告書自身が「議論の対象となってきた(has been the subject of some dispute)」と明記したうえでの確定値。他の具体的な推定時刻は、本稿の調査範囲では確認できなかった
事件全体の死者総数(実行犯を除く) 2,973人(2004年の委員会最終報告による確定値) 9/11委員会報告書 [SRC-00181] 2004年、身元確認・重複計上の精査を経て確定した数値
同上 3,062名(2002年2月25日米当局発表分の集計) 外務省 外交青書2002 [SRC-00185] 事件翌年時点の集計。委員会の最終値より前の、途中経過としての数値と考えられる(本稿の整理)
同上 「3,000人を超える犠牲者(行方不明者を含む)」 警察庁 平成14年版警察白書 [SRC-00186] 同上の性格の記述
アメリカン航空77便のペンタゴン突入時刻 9時37分46秒(委員会の確定値) 9/11委員会報告書 [SRC-00181] 2004年の委員会最終報告による確定値
同上 「9時39分ころ」 警察庁 平成14年版警察白書 [SRC-00186] 事件翌年時点の記述。委員会の確定値・外務省の値のいずれとも異なる
同上 「9時45分頃」 外務省 外交青書2002 [SRC-00185] 事件翌年時点の記述
世界貿易センター両棟の崩壊時刻の関係 南棟9時58分59秒・北棟10時28分25秒(約29分の差) 9/11委員会報告書 [SRC-00181] 2004年の委員会最終報告による確定値
同上 「二つのビルは午前10時頃ほぼ同時に倒壊した」 外務省 外交青書2002 [SRC-00185] 事件翌年時点の概括的な記述。委員会の確定値(約29分差)とは値そのものが異なる
ユナイテッド航空93便の墜落地・時刻 「ペンシルベニア州シャンクスビル近郊の野原」(行政上はサマーセット郡ストーニークリーク町内)、10時03分11秒 9/11委員会報告書 [SRC-00181]、フライト93国立記念碑 [SRC-00184] 2004年の委員会最終報告・国立公園局解説による
同上 「ピッツバーグ近郊」、10時10分ころ 外務省 外交青書2002 [SRC-00185]、警察庁 平成14年版警察白書 [SRC-00186] 事件翌年時点の記述。日本政府の2資料が一致して記す

死者総数・墜落地の各行は、対立する異説というより、確定作業の進んだ段階(2004年の委員会最終報告・国立公園局解説)と、その途上段階(2002年発行の日本政府資料)という時点の違いとして扱う。 ペンタゴン突入時刻は、外務省「9時45分頃」・警察庁「9時39分ころ」と、日本政府内の2省庁でも異なる値を記しており、値そのものが分単位の丸めでは説明できない相違である。世界貿易センター両棟の崩壊が「ほぼ同時」だったとする外交青書の記述も、委員会が確定した約29分の差とは値そのものが異なる。93便の墜落地・時刻については、外務省・警察庁の2資料が「ピッツバーグ近郊」「10時10分ころ」で一致しており、これは委員会報告書・国立公園局の「シャンクスビル近郊の野原」「10時03分11秒」とは異なるが、日本政府内で相互に矛盾しているわけではない。

関連する出来事

関連人物

歴史的意義

ニューヨーク市消防局(FDNY)は343人、ニューヨーク・ニュージャージー港湾局警察(PAPD)は37人、ニューヨーク市警察(NYPD)は23人の職員を失った。委員会報告書は、これをそれぞれ「消防機関として史上最大」「警察機関として史上最大」「PAPDに次ぐ史上2番目に大きい警察機関の損失」の人的損失としている[SRC-00181]。委員会報告書は2,973人の死者のうち世界貿易センターでの死者を2,749人としており、NISTも世界貿易センターでの死者を2,749人としている[SRC-00181][SRC-00182]。事件を受け、FAAの保安部門の人員・機能は同年新設された運輸保安庁(TSA)に移管されたという[SRC-00183]。

現代の視点

ベン・スライニーが、コマンドセンターがペンタゴンへの衝突を知った直後に下した、全米の航空機への着陸命令を、9/11委員会報告書は「前例のない命令」と記している[SRC-00181]。この命令を受けて商業機・一般航空機あわせて約4,500機が着陸したという規模は、平時の航空管制の運用からすれば大きな異例であったことをうかがわせる(本稿の見立て。委員会報告書はこの措置の是非やその後の意義を評価するものではなく、経過を記録するにとどまる)。事件を機にFAAの情報保安部門がTSA情報部門の中核となったこと(歴史的意義参照)は[SRC-00183]、平時の危機管理体制が一日で書き換わり得ることを示す一例である(本稿の見立て)。

出典一覧

  1. [SRC-00181] The 9/11 Commission Report: Final Report of the National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States/U.S. Government Publishing Office(米国政府出版局。National Commission on Terrorist Attacks Upon the United States〔9/11委員会〕の最終報告書の公式版)(ランクA)
  2. [SRC-00182] World Trade Center Investigation/National Institute of Standards and Technology(NIST・米国商務省傘下の国立標準技術研究所)(ランクA)
  3. [SRC-00183] Looking Back on 9/11: "We Knew What We Had to Do"/Federal Aviation Administration(FAA・米国連邦航空局。執筆はFAA史料担当官テレサ・クラウス)(ランクA)
  4. [SRC-00184] September 11, 2001 Timeline(Flight 93 National Memorial)/National Park Service(NPS・米国国立公園局。フライト93国立記念碑〔Flight 93 National Memorial〕の公式解説ページ)(ランクA)
  5. [SRC-00185] 外交青書2002 第1章第2節1項「米国における同時多発テロ事件」/外務省(外交青書2002年版)(ランクA)
  6. [SRC-00186] 平成14年版 警察白書 第2章 国際テロ情勢と警察の対応 第1節 国際テロ情勢 1 米国における同時多発テロ事件/警察庁(平成14年版警察白書)(ランクA)
  7. [SRC-00187] 9.11のテロが起きた時間(日本時間)を知りたい。(レファレンス協同データベース)/レファレンス協同データベース(運営: 国立国会図書館/本事例の回答作成: 近畿大学中央図書館〔提供館コード3310037〕)(ランクB)(複数の資料を収載)

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訂正履歴

日付事実主張への変更
12026-08-28
22026-08-29あり
32026-08-29あり

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